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つれづれなるままに

.22 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆく
よしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの
ぐるほしけれ」
有名な吉田兼好の徒然草の冒頭の一節である。

今年に入り、少しだけブログの書き方を変えている。
以前はテーマを決め、それにあった写真を選び、それらを
先に貼り付けて、その後文章を書いていた。自分としては
写真さえあれば後は何とか書ける。そういうふうにブログを
作っていた。最近、写真を貼らずに真っ白な画面に思いつく
ままに文章を書いている。その姿はまさに兼好法師のいう
「なすこともなく、一日中パソコンに向かって、心に浮かんでくる
ことを書いていると、わけのわからぬほどもの狂おしくなってくる」

なんだ昔の人もおんなじだなと思って、昔の受験用参考書
「徒然草要解」を本棚から探し出して中を読んでみる。
「なんだ、こんなに面白いことが書いてある」とまあ、言わば
引退おやじのエッセー集だ。なんでこんな本を高校時代に
一生懸命勉強させられたんだろう。たぶん高校生にとって
そもそも引退おやじのエッセーなんか口語体でも面白い
はずがないし、これが古文ときてはなおさらだ。
でも、今読むとこれが面白い。皮肉なもんだ。

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話を前に戻そう。真っ白な部分に文字を書く作業というのは
思うほど苦痛ではない。書く事がそんなにないだろうと
思われるかもしれないが、逆に自由なんです。当たり前ですが
頭の中はいろんな思考に満ち満ちています。そうですね、
タンスにきちんと整理されてしまわれているかと思うと
そうではなくあちらの引き出しは開けっ放し、中身が外に
たれているものがあっちにもこっちにも床の上には昨日の
出来事も3年前の出来事も散らばっている。そんなものを
拾い集めて書いていると少なくとも書かれたものは順序だち
整理されて棚にコンパクトに収まるようになっていく。

これは面白いとおもうのだが、果たして読む人はどう
なんだろうか。こいつ最近わけがわからん。などと思う人も
いるかもしれない。

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最近、さくらももこのエッセー集を読んだ。小学校時代の
実につまらないバカバカしい話に満ちている。が克明に
書かれた過去の記憶は漫画表現になり多くのファンを
得た。一体私たちにあれほど克明に小学校時代が
描けるものだろうか。今日は実は小学校へ読み聞かせに
行く日だった。対象は小学5年生。前日、図書館に読む本を
探しに行こうか迷ったが、このさくらももこの小学校時代の
話を読んで聞かせるのはどうだろうと思い立った。
(実は寒かったので外に出るのが億劫だったのだ)

最初に読んだ「まる子だった」の中では「うわの空の詳細」が
面白かったし、「ももこの話」では「忘れ物をする」が面白かった。
「忘れ物をする」の方を読むことにした。練習すると10分くらいで
読めた。大人が腹を抱えて笑うほどだし、内容が小学生の話で、
共感しやすいだろう。

そして、読み聞かせに臨んだのだが、結果は大いに受けた。
皆朝から大笑い。見ると先生も笑ってる。
ついでに私も読みながら笑ってしまった。

ところでこのブログ立派にエッセーになってません?
(ああ今日も、つれづれにまかせて書いてしまった。)





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1月の読書会

.20 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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今年は読書会のテーマの骨格をしっかりしたものにしようと
最年長のMさんの提案で皆でなにをやるかを話し合った。
その結果
1月 谷崎潤一郎を読む・春琴抄
2月 海外作家
3月 女流作家
4月 平野啓一郎・ある男
5月 未定
6月 谷崎潤一郎・痴人の愛
7月 未定
8月 海外作家の1作品(2月に決める)
9月 女流作家の1作品(3月に決める)
10月以降 未定
となった。どういうわけか、最近出席率が極めていい。
今回8人の出席を見た。継続は力なり?

さて、今回のテーマ、私が強く薦めた。
以前、テレビでこの谷崎潤一郎の春琴抄をテーマにした
読書会が企画されたことがあり、見ていて面白かった。
なにしろ、本が薄い。これなら皆読んでくれるだろう。

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さて春琴抄とは、こうある。「美しく残忍な盲目の三味線師匠
春琴と、喜悦を隠して尽くし抜く奉公人佐助。凄絶な師弟愛の
行方は?」またこうもある。「被虐趣味を超え繰り広げられる
絶対美の世界。文豪谷崎が到達した小説の神品。」
なんだか読む前にゾクゾクしてきますね。

内容の概略は知っていたが、読むのは初めて。さて

読み進むうちになんだこれはとその谷崎の書き方、手法の方が
やたら気になってしまった。普通の小説なら、当然のことながら
主人公に盲人の美少女春琴か彼女に生涯仕える佐吉を据える
ところである。ところがこの小説は谷崎自身が語り部になり
自分が最近手に入れた「鵙屋春琴伝」という小冊子について
語るというなんとも不思議で複雑な構成になっている。
つまり物語の主人公たる春琴と佐吉は谷崎の操る人形浄瑠璃
のごとく描かれるのだ。これは一体なんだ?

村上春樹が「雑文集」の中で語った言葉を思い出した。

「良き物語を作るために小説家がなすべきことは、結論を用意する
ことではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。どれくらい
自然に巧みにそれを積み上げていけるか、それが小説家の力量になる」

冒頭、大阪のお寺にある二つの墓の描写から始まる。場所は具体的だ。
次に作者が手に入れた「鵙屋春琴伝」なる小冊子が出てくる。
二人の家系がきっちり示されている。ふたりの間に出来た子供の行く末が
示される。物語が始まる前に読者は作者の用意した仮説によって、
これから始まる物語周辺事情が事細かに説明されることによって、
それが仮説であるにも関わらず事実の物語として自然受け入れて
いくことになる。物語の核心「二人の愛憎劇」については二人の心理状態も
含めて極めてさらりとした表現に終始している。
こうした表現から読者が受ける感覚というのは不思議だが物語が
虚構と知りつつ、妙にリアルなのである。作者は二人についてあまり細かい
描写をしていないというか避けている節がある。なのに物語の筋書きは
実に鮮明に心に残る。

この小説は実験的であると思った。がこの作品が谷崎の若い頃ならわかるが
油の乗り切った48歳頃の作品であることを考えるとこういう書き方をしても
十分読者の心を惹きつけられるとの自信を持って書かれた作品なのである。
巧みな確信犯である。

この作品の不思議さは子供は子供としての読み方ができるし大人は大人の
読み方が出来る。それにちょっとアブナイ人はアブナイ読み方もできることである。
映画で山口百恵と三浦友和が主演したというが、ちょっと違う気がする。
春琴を女装の玉三郎が佐吉を男装の玉三郎に演じさせてみたい。
あるいは先に述べたように人形浄瑠璃の方が観客に受けそうな気もするのである。





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誕生祝い

.18 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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私と下の娘は誕生日が1週間だけずれていて
非常に近い。実は娘(妹)の誕生日は娘が小学校低学年の時
発生した阪神大震災の日と同じなのだ。
数日前、テレビを何げに見ていて、ああそうか、今日は
阪神大震災の起きた日だったかと思った次の瞬間、あれ、
娘の誕生日だ。しまった、忘れてた。その日、1週間前に借りた
DVDを日南まで返却に行く日だった。ちょうど良かった。
日南の山形屋デパートに立ち寄り、ムーミンのマグカップを
買った。蓋がついていてムーミンの人形がついている。
まてよ1個だけだと孫娘に取られるな。そこで2個にした。
完熟きんかんの販売が解禁になった。一緒に送ることにした。

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私の誕生日は1週間早い。二人の娘から、当日宛にプレゼントが
届いた。上の娘はアウトドア用革の手袋。下の娘からは
台所用品2点。私を主婦の同志と認めてくれていて、「おっ、
こりゃーいいな」といったものを探して送ってくれる。今回は
フライパンで炒め物をする時に油や調味料がはねるのを
防ぐ道具だ。早速使ってみる。「ああ、こりゃーいい」
コンロ周りが汚れなくて済む。

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家族というのは不思議なことだが、一人欠けると当たり前のように
「残された家族」と呼ばれる。子供としての私は5人家族のうち
父母と弟を先に亡くし、妹と私は「残された家族」である。親としての
私は4人家族の内、妻を先に亡くした。私と二人の娘はこれもまた、
「残された家族」ということになる。家族というものに完璧な形が
あるとすればそれは全員がそろっているにこしたことはない。
しかし、考えてみると世の中は「残された家族」で満ちている。
その残された家族が家族としての新たな形を意識することは
あまりない。ただ、敢えて意識してみることが大切なのではないかと
思う。人間は幸せなうちは幸せについて考えない。残された家族は
不幸か、そうではない。そういうことではなく、世の中がそういう
不完全なものでできているのだ。私は不思議なことに家族4人
揃っていた頃より今の方が娘たちのことを詳しく知っている。
一緒にいた頃より多くのコミュニケーションをとっている。
それは大きな傷を受けたあとの治癒力のようなものかも知れない。
傷跡が勲章になるように生きねばと思う。




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三年日記

.16 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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年末に思い立って3年日記を購入した。
年を取るほどに人はときめきが薄れ、日々の出来事が
記憶に残りにくくなる。一日前のことは思い出せるが
二日前になるとぼんやりしてきて、日々を過去に追うに
つれ、日々の垣根がぼんやりとしてくる。
父も母も3年や5年の日記をつけていた。今もそれは
捨てずに残してある。
時々父の日記を開いて、夏や冬の私の帰省時の頁を
めくるとその頃の自分の様子が書かれてあって、ああ、
あの時、親はこんなことを思っていたのかと思う事がある。

初めてで、3年か5年か迷ったが、3日坊主の場合、
3年の方がリスクが少ないかと3年にしたが三日坊主は
なんとか避けられた。数十年前にパリの文房具屋で買った
万年筆を使いたかった。カートリッジのインクではなく
インク瓶からインクを吸い上げるようになっている。
書き味も字の太さもあまり気に入っているわけではないが
それは書いていくうちになんとかなるかなと思っている。
問題はペン字だ。インクがたっぷり付いてちょっと文字の形に
味が出る。書くうちに自分の字体ができれば嬉しいと思う。

漢字が悩みだ。長い間、手書きせずにパソコンで文字を
打ち込むことに慣れてしまい、漢字を思い出すのに
苦労する。なんとなく覚えているがはっきり思い出せない。
例えばすもう。最初の相は出てくるが後の撲の字が
ぼんやりとしか出てこない。辞書が手放せない。

書いてみると一日というのは書く事に満ちている。
ああ、書く材料はこんなに日常に存在していて日常と
いうものが実に雑多であることに驚く。こうやって日々を
生きている。そういう日々がもう二十日分も重なった。
こんな私のつまらない日々でも重なっていくと
それはそれで少しは重たい存在に変化するのかもしれない。





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母の一年祭

.14 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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今週が始まって、モヤモヤ感がずっとまとわりついていた。
一つは稀勢の里の勝敗。そしてもう一つが朝ドラの池田信用組合の
問題。どちらも自分の身には全く関係ないはずなのに、心のどこかで
テレビを見ているとき、あゝ、一体どうなるのだ。などと全くいらぬ
心配をしてしまう。

さて、稀勢の里の方はきっぱりと引退を表明した。
現在の相撲人気を考えるとき、このスポーツというか、興行というか、
伝統の神事というか、奇妙なスポーツは時代に逆らうように
ルールを変えず、スタイルを変えず、愚直であるかに見えるのだが、
いつの間にか国際スポーツと言える程に外国人力士が多い世界である。
何が彼らを惹きつけるのだろう。

勝負の単純明快さではないだろうか。強いものが上位に上がる。
弱い者は下位へ落ちる。怪我や傷病に対する例外は特別な場合を
除いてない。土俵に先に落ちた方が負け。土俵から先に出た方が
負け。それだけである。見るものはわずか数十秒の息詰まる勝負を
息を飲んで見守る。

誰かが呟いた。稀勢の里も大関どまりだったらあんなに悩んで
勝負することなかったろうにと。落ちて又復帰したらよかったではないか。
まだ若いのだからと。誰かが言い返す。バカを言うな。横綱を目指さない
関取がどこにいる。横綱には降格がない。勝負に勝てなくなったとき、
自ら辞めねばならない。厳しい世界だ。

稀勢の里が引退を発表した日。関取一人一人が自らのことを
考えたことだろう。ある者は怪我をしないようにしようと考えたし、
ある者は自分の止め時を考えただろう。又ある者は強さとは何かを
再度自分の胸に問うたかもしれない。でもこの日も負けて4連敗した
関取は特に悲しかったかもしれない。

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14日成人の日、母の一年祭の法事を身近なものたちで行った。
前日に福岡から妹夫婦がやってきた。
早いもので、母が亡くなって早一年が過ぎようとしている。
亡くなる前後のことや葬式、その後の法事と色々忙しかったの
だろうけれどあまり記憶が鮮明ではない。一人でいるということは
日々があまりにも雑事に満ちていて、ひとつの何かに深く関われぬ
のかも知れぬ。何もない日でも家事その他でこうやって好きなことを
書く時間をひねり出すのは難しいのだ。

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庭先にやってくる小鳥にお前はいいなこうやって囀っていればいい。
などと見ていたら、雨の日、餌を探しに梢の間を動き回っていた。
そうか、お前は晴耕雨読というわけにいかぬか。私のほうが
ずっとマシだと思っていた。先日、こたつに横になり、夕食の時間に
なっても体がだるい。ああ、おれも小鳥と同じ、食べるために動くか
そう言って体を起こした。




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