幸せのかたち

.06 2018 日記 comment(0) trackback(0)
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母の後半の人生を見ていて思うことがあります。
人の人生というのは下降曲線を描きながら終末を
迎えるわけではないということです。

母は88歳の米寿の祝いをしたあたりまでは元気で
一人でしっかり生きていました。
その後、一人で生活するには少し支障が出てきたので
ケアーハウスに入りました。この施設はアパート暮らし
みたいなもので、自由に外出も外泊もできるし
家に帰ることもできるのですが、食事とお風呂などが
施設の皆と一緒に生活できるメリットはありましたが
一方で部屋にいる時が多く、次第に人との対話が少なくなり
認知症の度合いが進行したため、91歳の時に
グループホームへ移りました。しばらくは楽しげに
生活していたのですが、ある夜、トイレに行く途上で
倒れ、股関節骨折をしてしまい、手術後自力で歩くことが
難しくなりました。それでも楽しげに生活していたのですが
昨夏あたりから元気がなくなり病院へ行くと心臓が
壊れているとのこと、残りの半年は病院との間を
行き来することが多く、最期は眠るように静かに
息を引き取りました。

こういう人生は多くの人に当てはまるのかもしれないと
思うのです。そしてそれは歳をとってからだけのことではなく
壮年の方々にも言えることかもしれないと思うのです。
人生の後半は階段状に下っていく。
今はそうおもえて仕方ありません。

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母がグループホームに入ってしばらくして
グループホームの生活を取材したアルバム
「おもいで」という小冊子を作ったことがあります。
その小冊子に以下のような詩を作り掲載しました。
 

   幸せということ
 
うぬぼれてはいけない
可愛そうだなどと
何も見えていないのだ 
一日中笑顔が絶えない
お互いが優しく気を遣い合っている
まるで子供のようにはしゃいで
今朝も遠足気分で遠出です
 
今朝は市木の海に行くのです
青い海と晴れ渡った空には
遠い昔の楽しい思い出がたくさん詰まっている
長い砂浜の向こうにポッカリと浮かんだ島
眺めているだけで気持ちが安らぎます
 
みんなアイスクリームを楽しみにしている
食べることがここではこんなに楽しい
 
切れぎれの記憶をつなぎ合わせて
ここでは幸せの形が
少しだけ歪んでいる
きれいなハートの形ではないが
白い雲のようなハートをそれぞれが抱えて
お互いを補い合って
そんな幸せがふわふわと浮かんでいる
 
今日も笑い声が絶えない
行くたびに
元気をもらうのは私のほうだ
 

人はある日突然、階段を一つ落とされる。
その時、前にいた段の幸せのカタチにすがっては
いけないのではないか。そう思うのです。
だから自分の人生の段が一段落ちたら
そこで早く新しい「しあわせのカタチ」を作らねば
ならないのではないか。
言い方を変えると、人はどのような状況下でも
幸せになる権利を有している。
そんなことを考えさせられました。





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如月

.05 2018 日記 comment(0) trackback(0)
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気が付けば、いつのまにか2月になっていた。
寒波が去ったと思ったら暖かくなる間もなく
再び寒波である。

母が亡くなったのが夜中の29日0時前で
とにかく遺体の引き取りを考えねばならない。
そのためには葬儀社をどこにするかを決めねばならない。
そのためには我が家は神道なので
神主さんの都合を確かめねばならない。
それも夜中にである。
しかしこうしたことはそういうものであるかも知れない。
迷惑を顧みず、まずは神主さんに電話する。
私の家の本家が串間神社の神主さんなのである。
1日は病院の予約を入れているからダメという。
本家なので他を当たるわけにいかない。
じゃーということで30日お通夜、31日葬儀と決めて
葬儀社をあたった。
あいにく31日は友引だというが、人形を抱かせるから
それで良しとしましょうということになった。
家に帰り、まず考えたのは遺影のことだった。
夜のうちに決めておかないと夜が明けると親戚や近隣の
人たちがやってきてそれどころではないだろうと
夜中のうちに過去の写真を探してデータをUSBに入れた。
それから部屋を片付け、布団を敷いた。
朝方、母の遺体を引き取りに行く。
出がけに隣のおばちゃんに母が昨夜亡くなったことを
告げ、近隣へ連絡し、近隣の葬儀支援をお願いした。
葬儀屋さんが車を手配し、遺体を家に運ぶ、
設えをして、それから葬儀の手配を打合せする。
同時に親戚に母の死と通夜、葬儀の日程を伝える。
福岡に居る妹には昨夜のうちに電話を入れた。
2時頃妹夫婦がやってきた。
3時過ぎには棺桶に入れて出棺。夕方葬儀場へ向かう。

あっという間の2日間だった。

葬儀の終わった翌日から、各種支払い、役所での
年金や健康保険の手続きを行い、銀行へ預金通帳の
停止の手続きに行き、これでようやくひと息ついた。

土曜日の朝、妹夫婦は福岡へ帰っていった。
週末はまだお客さんがあるかもしれないと
ひとり家にいた。

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城山三郎の作品に「そうか君はいないのか」というのがある。
先に逝った奥さんのことを書いた小説である。
秀逸な題名であると思う。
大切な人を亡くした直後の偽わざる感覚である。
大切な人を亡くした直後しばらくは「生の名残」が
いたるところに残っている。そこではっと気づいて
この言葉「そうか君はいないのか」とつぶやくことになる。
やがてそうした「生の名残」は次第に薄れていき、
1年も経つと思い出は残るがどこかに生きているといった
「生の名残」は薄れてしまい、いつのまにか死者の列の
中に並んでいるのである。

以前は一般に言われるように悲しみはやがて時が
経てば薄れていくのだと思っていたのだが
最近はどうもそうではないのではないかと思うようになった。
薄れてなんかいない底に沈んでいるだけだと思うことがある。
玩具のスノウドームの雪に似ていると思う。
なにかの拍子にスノウドームを揺すると底に沈んだ
スノウがドームいっぱいに広がる。
哀しみは薄れない。
底に一時的に沈んでいるだけなのだ。

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2011年に弟が亡くなった。
2013年に妻が亡くなった。
そして今年
2018年に母が亡くなった。

歳を重ねた母の死は至って順当であった。
葬儀にもどことなく明るさがある。
お参りされたお客さんにも悲しみはあるが
長いあいだご苦労様、ゆっくり休んでねといった
何とも言えない優しさと穏やかさがあった。

順当でない死とはなんであったか、
順番に死なないことであった。
予想だにしない急な死であった。

この7年の間に喪主を3回務めた。
そして気がついた。
次は私の番だと

そうか、もうそういう時期なのか。





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母の死

.30 2018 日記 comment(1) trackback(0)
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母が昨夜23時45分に亡くなりました。

夜中に呼び出しがあり、駆けつけた時、
数日前まで計測器が数字を刻んでいたのに
全てが0を示していました。

昨夏、調子が悪いということで串間市民病院に
入院した折、お医者さんに告げられたのは
心臓の弁が半開きのまま機能していないと
いう大変な事態でした。手術にはとても耐えられない
ということで、それでも対処療法で半年生きながらえました。
心臓が血液を送れないと肺に逆流しすぐに
肺に水が溜まるのです。それから尿も出にくくなります。
夏に一度退院してグループホームに戻ったのですが
やはり元気がありません。それでもなんとか
かかりつけの病院に通いながら、やってきたのですが
11月末、入院したほうがいいということで
串間市民病院へ入院しました。
12月末には退院してもいいということだったのですが
病状がそれほど良くなる訳もなく、また、今の状態では
グループホームは無理だということで療養型の施設の
空くのを待っていたのですが、先週24日に県南病院が
空いたので転院しました。転院の前後は状態も悪く、
お医者さんからは覚悟をしておくよう話がありました。
そして今夜、最期を迎えたのでした。
96歳、最期は静かに息を引き取りました。

そんなわけで
ブログはしばらく休ませていただきます。




集落探訪ー中原

.23 2018 街歩き comment(0) trackback(0)
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広野からの帰り、そのまま帰るのはもったいないと
あちこちに寄り道する。車を運転するKさんは
本業はふすまやさん。集落のすみずみまで
仕事で出向くことが多く、どこに誰が住んでいるか、
誠に詳しい。県道3号線を左に折れて
坂道を登っていくとなんと山中に集落が現れた。
中原集落である。

Tさんが突然、ここには武田神社があるはずだと
言い出した。そこで脇道を山中にはあ入り込んでいくと
見晴らしの良い高台に出た。そこに小さな祠があった。

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新しく建て替えられたようで正面上部に武田菱の
透かし彫りがある。このあたりには武田姓が多い
のだそうだ。

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神社のすぐ前に御神木か大きな杉の木があり、
その横にU字側溝のPCが並べてある。
どうもバーベキューができる憩いの場所のようである。

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高台から見下ろすとあちらこちらにビニールハウスが
立っている。後でグーグルアースを調べてみると
この辺りは非常に多くのビニールハウスが立ち並んでいる。
神社の横に石碑があった。
昭和55年より金柑早熟栽培に着手とある。
金柑たまたまの始まりはこんなところにあったのだった。

中原地区を後にして、来た道を下っていく。県道3号線に
出る直前、左折して急な坂を登り始めた。なんと
そこにも集落があった。胡桃ヶ野集落である。
県道から水平距離にして僅かなのに高度差がかなりある。
いつも主要幹線道路しか走らない。そこから見える家々のみが
集落だと思っていたら、主要幹線道路脇の高台に
たくさんの集落があった。
自分の住んでる町のこと、なんにも分かっていないと知る。





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もぐらもち写真展

.21 2018 街づくり comment(0) trackback(0)
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9月に「もぐらもち」の準備風景
10月に「もぐらもち」本番をこのブログで紹介した。
覚えておいでだろうか。

写真を撮るだけだったら誰にでもできるだろう。
昨年から、私たちのグループは一歩踏み出すことにした。
それが写真展だ。大したことではないが、撮った写真を
写真展という行為でお返しすることで
どういった効果あるのか?
即効性があるとは思われないが、過疎化に悩む地域の
集落がこのささやかな写真展を見て
少しでも元気づけられたらと思うのである。

こうした地域の伝統行事はいたるところで
絶滅の危機を迎えている。それは単にひとつの祭りが
消滅するだけではなく、地域の祭り文化、ひいては
地域の誇りを失うことに繋がっていく。

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村人が総出でまつりの準備をしている様子を
撮影したとき、手馴れたように藁を編む老人、
力を合わせて綱を編む村の高齢者。若者も
上のものに聞きながらそれらの準備に参加する。
今は少なくなった村の共同体が時間を巻き戻すかのように
かつての賑やかな時代を取り戻す。

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この写真展で、何かを感じて欲しいとすれば、
「あなたたちをこうして見てますよ。」
「だから、なんとかしてこの祭りを続けて欲しい。」
そういう我々の熱いメッセージではないかと思う。

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この日は、広野地区の新年会だ。
このタイミングに合わせて、過去の写真から
適当なものを選び、焼き、張りして
パネルを用意した。全て自腹である。

例年こうして集落の人たちが集い、一日中
新年会をする。昼から参加せんねと声を
かけられたが、車だからお酒が飲めないと
辞した。

写真が欲しいという声があったので
欲しい写真の横に付箋を貼って名前を
書くようお願いした。
他の者にも見せたいというので月末まで
展示することにした。





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