6月の読書会

.30 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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6月の読書会のテーマは「司馬遼太郎」
集まったのは5人。常連の館長とYさん、意外にも司馬遼太郎は
あまり読んでいないという。私にだって苦手な作家や空白の分野は
あるのだから、そんなもんかも知れない。

久しぶりに小さなものをいくつか読んだので少し書いてみた。
長いので2回に分けて紹介しよう。

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 なぜか今はもう司馬遼太郎は読まない。戦国時代、幕末、明治維新と一通りの作品を若い頃に読み終えると、もういいかという気になる。ところが最近、過去に読んでいなかった薄めの文庫本を書棚から見つけ出し、久しぶりに読んでみるとこれがまたおもしろい。「そうかそうだったよな」と司馬遼太郎を夢中で読んだ頃のことを思い出した。
 
 久しぶりに読んだ文庫本は「春燈雑記」「手掘り日本史」「歴史を紀行する」である。なにが面白いのか。司馬さんの本は歴史小説の中で、本筋も面白いのだが、主人公がどんな緊急事態であっても脇道にそれることが間々ある。そのことが我々を小説の中に埋没させないのではないか。そんなことを思ったりする。つまり司馬さんが自分の足を使って調べたことや各地の郷土史、その土地に降り積もった過去の事象、そんな事柄が歴史小説に厚みと信ぴょう性を与えるからではなかろうかと、そんなことを思った。この3冊の小作品は実はそういった脇道だけで構成されている。話がどこへ流れていくのかさっぱりわからないまま流されるのだが、それがまた興味をそそり、実に楽しく読んだ。
 
内容を少しだけ紹介しよう。
1、 春燈雑記
     心と形
     護貞氏の話―肥後細川家のことども
     仄かなスコットランド
     踏み出しますか
     義務について
2、 手掘り日本史
     私の歴史小説
     歴史のなかの日常
     歴史のなかの人間
     日本史と日本人
     わが小説のはじまり
3、 歴史を紀行する
     竜馬と酒と黒潮と(高知)
     会津人の維新の傷あと(会津若松)
     近江商人を創った血の秘密(滋賀)
     体制の中の反骨精神(佐賀)
     加賀百万石の長いねむり(金沢)
     「好いても惚れぬ」権力の貸座敷(京都)
     独立王国薩摩の外交感覚(鹿児島)
     桃太郎の末裔たちの国(岡山)
     郷土閥を作らぬ南部気質(盛岡)
     忘れられた徳川家のふるさと(三河)
     維新の起爆力・長州の遺恨(萩)
     政権を亡ぼす宿命の都(大阪)

とこんな具合に目次を見ただけで歴史好きには興味をそそる小皿がたくさん並んでいます。話はともに関連性がなく、それぞれが独立した話になっているので長編はどうもといった方々、一度手に取って読んでみられてはどうかと思う。なにが面白かったのかといえば、多分、こういう小作品を読んでいると歴史を俯瞰できるのが楽しいのです。タネを明かせば実はこういうことだったのです。といったような歴史の深読み、それがきっと楽しいのです。話は雑談めいていて更に興味を引かれるのであります。
 中に印象に残った話が二つほどあるので紹介しましよう。

 一つは「春燈雑記-義務について」の中に江戸時代初期に日本にやってきたオランダ東インド会社に雇われた英国人ウイリアム・アダムスとイギリス東インド会社初代商館長リチャード・コックスについて触れています。彼らの何に興味を示したかというと彼らが給料で暮らしていたという事柄に対してなのです。世界の果てで彼らは国家間の大きな取引を担いながら、僅かな給料で仕事をしていたという事実に対して、何が彼らをそうさせるのかを追求した結果、世界史の中でこれまで存在しなかった「義務」というものに着目します。そしてこの「義務」が生まれるためには国家に対して自分の役割を的確に判断しうる1市民の存在が必要ですが、この1個人はこの時期どうやって生まれたのかという風に追求していくとカトリックの旧体制に対して宗教改革によって生まれたプロテスタントの存在に行き着くのです。さらに話は進みます。英語ではduty。この言葉自身もヨーロッパで広く使われるようになったのは国家が新教を選択したあたりからではないかと推察します。
そしてこのdutyが翻訳され、「義務」と命名されるのは明治初年のことなのですが、この「義務」という言葉、明治人に広く愛され、それは現在も続いている。

 さてもう一つは「手掘り日本史-私の歴史小説」の中に、明治期、軟弱だった大阪兵(八連隊)についての考察があります。この八連隊、日清・日露戦争の激戦場に駆り出されるのですが、当時「またも負けたか八連隊」と言われ続けるほどに弱かった。この事実に対して、司馬氏はその原因を考え、江戸時代の統治体制に目を向けます。日本全国が封建体制下にあった時代、例えば元禄時代70万人の市民を有した大阪は200人くらいの町奉行所によって管理されています。他の藩に比べると圧倒的に武士階級に触れることがなかったため、大阪の町人は武士のもっている封建的な節度とか美意識とかに影響されずにきています。それで考え方も態度も、行儀も悪くなる。さらにお上を恐れなくなる。というわけで、戦場では「ここを死守しろ」と言われると封建度の濃い地帯の出身兵ほど強いわけで、必ず死守したといいます。ところが大阪兵はお上の恐ろしさについての免疫がないものですから、戦況を見てこんなところを死守しておっても無駄ではないかとさっさと兵をまとめて退いてしまうようなところがある。まあ、お笑いの連中が戦っているようなもんです。「死守?アホちゃうか」と言って、それが許されるようなところが今でもある。

こうした疑問に思う事柄や心に引っ掛かる出来事を追求する司馬氏の心というものはどういうものであったのでしょう。それについて自身のことをこういうふうに書いています。

「私には癖がありまして、つい、事の起こりは何だろうとさかのぼって考えてしまいます。難しくいうと歴史ということです。」


まだまだ続きますが長いので続きはまた・・・・・





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