夕焼け

.29 2017 日記 comment(2) trackback(0)
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その日は快晴で風が強かった。夕方空を見上げると
雲が筋状に流れて、綺麗な空である。
夕焼けになるかもとの期待で夕方、車で家を出る。
日が長くなった。日が沈む時間が随分遅くなった。
夕食が遅くなるが、私一人のことである。

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この辺は夕刻、飛行機がよく通る。
飛行機が続けざまに上空を横切る。
飛行機雲はすぐに上空の強い風に吹き散って
自然の雲と化してしまう。

ただ、青空に一線。飛行機雲は見ていて気持ちが良い。

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西の空の夕日だけでなく、自分が立っている足元に
夕日の赤が照り返る。その風景も絵画的でおよそ
非現実的である。

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青い水田の向こうにはやがて夕闇に包まれる市街地が
広がり、人々が家路へと急ぎ、一日が収束しようとしている。

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振り返ると東の山々が夕日に照らされて赤い。

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4月にようやく携帯電話をスマホに切り替えた。
大きく変わったのは、家族3人(私と娘二人)のLINEでの
やり取りである。ここではこうしていつものように一眼レフの
カメラを抱えてシャッターを切っているのだけれど、
時々、スマホで同じ風景を写真に撮ってはLINEで娘たちに流して
文字やスタンプで会話を楽しんでいる。
リアルタイムなのだが、どこかちぐはぐな感覚が残るのである。

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夕焼けを見ているとき、考えていることがある。
「そんなことをしている場合じゃないだろう。」という言葉である。
私も自分の人生の大半をそう言う言葉を吐きながら、目の前に
ある現実に絶えず向き合わざるを得ない生活を続けてきた。
年を経てそんな人生を降りた。
そして、夕焼けを見ながら心の中で今度は以前の私のように
頑張っている人たちに向けて同じ言葉を吐いている。
「そんなことをしている場合じゃないだろう。」と
意味は全く違う。人の一生なんて短いのだ。そして死は
予期しない内に突然やってくるかも知れない。
そんなに汲々とした毎日を送っていてどうするんだ。
そんなつまらんことをやっている場合じゃないだろう。
たまには夕日でも眺めて、残された貴重な日々のことを
考えたらどうだい。

まあ、実際はこんな不遜なことを考えているわけではないが、
自分としては沈む夕陽や夕焼けをぼんやり眺めているだけではなく
その夕陽や夕焼けが見ている自分や地球上の人間を見ている
気になる時がある。大自然に見られている人類、そして自分。
そしていつも考えている自分。答えは考えても考えてもまとまらないが
それでも考え続けることに意味を持ちたいと思っている。

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夕焼けの写真なんて、写真だけでさっと流せばいいのに
久しぶりの夕焼けの写真に何を書こうかと数日考えた。
思いついたのは先の言葉「そんなことをやっている場合じゃないだろう。」
だった。そう、いつもそうやって「そんなこと」をあちらこちらに置き去りにしてきた
のだという思いがある。
誤解されると困るのだが、頭の中に全ての文章がまとまってから
書き出すわけではない。書いているうちに書きたいことがまとまっていくのである。
こうしてなんでも良いが「書く」ことで頭が少し整理される気がした。

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先日、新聞に批評家 若松英輔氏が随想「深く読む経験」の中で
なかなか意味深いことを書いていた。
最期の文章にこうあった。

人は思っていることを「書く」のではない。それはメモに過ぎない。
むしろ、「書く」ことによって、自分が何を考えているのかを知るのである。




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薩摩の風
>「そんなことをしている場合じゃないだろう。」

この言葉、とても沁みます。

仕事柄、決まったオフィスでパソコンに向かっていますが、「こんなことをしていて何になるんだろう?」とふと思う時があります。

たまの休日には風景や人の写真を撮ることで、無心になれる時間もありますが、「自分がカメラで切り取った時間はいつまで残るんだろう。この先誰が見てくれて、何を感じてくれるんだろう。」と袋小路に迷い込むことも。

本質的には意味のない行為なんでしょうが、少しでももがきながら、自分の身の回りにいる大事な人と過ごせればそれでいいかと思ってます。

まとまりのないコメントですいません・・・
2017.06.07 14:31
酔龍
薩摩の風 さま

若い人がこのブログに反応してくれるのは意外でした。
同じ会社だった谷山さんともよく話すのは
「残業100時間なんて普通だよな。」
「普通に仕事をして、100時間それがなにか?」
そういう仕事人生を送ってきました。
だから、仕事モードの自分というのは
「そんな事してる場合じゃないだろう。」と
趣味の世界やゆっくり過ごす時間を封印して働きました。
50歳を過ぎた頃から、このままでは壊れてしまうという
恐怖感に襲われました。
60歳でキッチリ仕事とは縁を切ろうと決心したのも
この頃です。
今は、夕焼けを見ながら、あるいは宗教、哲学、文学などの
本を通じて、今がむしゃらに働いている人たちに
向けて「人生は短いのに、そんなことしてる場合じゃ
ないだろう。」と呟いています。
でもそういうふうに他人に言える立場ではないのです。
ですからきっと昔の自分に言い聞かせているのだと
思います。ですが、若い頃の自分はきっと
「そうは言うけど、家族もいるし、ここで頑張らねば・・・」
といってやはり頑張ってしまうんでしょうね。
2017.06.07 22:13

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