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徒然ね

.30 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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先日このブログで「徒然なるままに・・・」などと書いたら
毎日新聞の日曜版に連載されている梨木香歩さんの
エッセー「炉辺の風おと」にその「徒然」という言葉が
出てきたので驚いた。「つれづれ」とは読まず「とぜん」
と読む。なんでも東北民話風の小説に「徒然ね」という
言葉が使われ、それが寂しいという意味だと知り驚いた
というのである。驚いた理由はその「とぜんね」という
言葉が南九州でも全く同じ意味で使われているからだ。

これを読んで私も正直驚いた。実は私の暮らす串間でも
「徒然ね」という言葉を使うからだ。全く他所では通用しない
方言だと思っていた。

梨木さんはこういう古い言葉が日本の端っこに残っている
ことが驚きだという。しかも「とぜん」という言葉に「徒然」
という漢字が当てられていてそれも驚きだという。
辞書を引いてみた。「とぜん:徒然:なすこともなく、たいくつなこと」
とある。ついでに古語辞典では「つれづれ:徒然:①することがなくて、
寂しいこと。所在無いこと。②しんみりとして寂しいこと」とあった。
古語の方が「寂しさを伴っている」

1週間が経ち、次のエッセーはと楽しみに読み始めて吃驚。
話はそれで終わらず、新たな事実として南九州ならぬ
北九州、福岡辺りでも使われていることが判明したというのである。
それは「徒然なか」という。「徒然にゃー」というのもあった。
九州はどうも南が「徒然ね」北が「徒然なか」で間が「徒然にゃー」
ではないかという。
一方、秋田の角館で調べた結果は「とじぇねー」「とぜねー」
「とぜんねな」「とぜんねーべな」となんとなく地方色が色濃く
反映されていて面白い。

何故、梨木さんはこの「徒然ね」という言葉にこだわったのか。
「寂しい」では伝わらない何かを伝えるのに、長い間生き残った
この言葉の持つ切なさの中に「寂しさにまつわる過去の先人たちの
様々な状況」が情景として浮かびやすいからではないか
そんなことを考えさせられる。

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このエッセーの小題は「冬ごもりの気持ち」である。
私も「冬ごもり」という言葉に魅せられて何か冬の寒い間に
書きたいなと思っていた矢先、この「徒然」という言葉に
振り回されてしまった。「徒然どころではなかった」ことになる。

梨木さんは最後にこう書いている。

孤独であることは、一人を満たし、豊かでもあること。
そしてその豊かさは、寂しさに裏打されていなければ。

外には暖かい日差しがさし、水仙が咲き、梅の花が咲き、
春の兆しが次々に顔を出す。九州の最南端では冬ごもりしている
暇はなさそうである。





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