日々のこと

.30 2015 日記 comment(0) trackback(0)
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早朝、散歩への出がけに空を見上げた。
電線に区切られた座標の中に
一点の残月と二本の飛行機雲
どちらも朝日を受けているのだろう。
眩しいぐらい白く輝いている。


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道脇のまだ朝日の届かない家の影に薄紫の
皇帝ダリアが咲いている。
その大きさが異様だ。


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時々、ブログに向かいながらフト何を書いたらいいか
分からなくなる。普遍的であろう思っているわけではない。
どちらかというと日常的である。でも私の日常というものは
読者にとっては一体なんなのか?
迷路に入り込むと書く事に力が入らなくなる。

そんなある日、テレビで睡眠障害で悩む人にお坊さんが
与えた言葉が「もっと丁寧に生きなさい」だった。
人間は仕事や生活上のことで悩みができるとそのことばかりを
考え悩むようになる。だけど日常というのはその間に
食事を作ったり、食器を洗ったり、洗濯をしたり、掃除をしたり
歯を磨いたりと小さな「こと」の連続である。丁寧に生きるというのは
その目の前にある一つ一つをしっかり見つめて生きなさいということであった。
歯を磨くときには仕事上の悩みは忘れ、歯の1本1本を意識しながら
今、磨いているその行為自身を自覚しながら行動しなさいということらしい。
なるほどと感心する。心にかかる何かがあると目の前のことが
お留守になる。今目の前にあること、今行っている行為、そのことだけを
考えて生きなさいということだ。

先日、本屋で「村上春樹 雑文集」というのを見つけて読み始めた。
村上春樹はどうも苦手で、一体この人は自分の小説をどういうふうに
考えて書いているのか。その手がかりが欲しかった。
答えは最初のページに記されてあった。

小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることに
している。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを
生業とする人間です」と。

後を読んでいくと私なりの解釈では積み重ねられる仮説はリアルなディテールの
集積であり、小説の筋の方は少しぼんやりしている。
ただ重ねられた多くのディテールの方に
読者の共感できる部分が散りばめられているため、読者は自分なりの
物語を再構築できるというわけなのだ。
といったところで私には村上春樹はまだまだよくわからない。
ただ、この日常のディテールの積み重ねは事実の積み重ねというところが
先の話に繋がっているような気がするのです。
細やかな日常のディテールが描写できることと丁寧な生き方
なんとなくわかる気がします。

丁寧に生きるということをちょっと意識すると慌てなくなります。
急ぐ理由なんて何もない。目の前にあることを丁寧に

こんなささやかなことが最近私に起こった小さいけれど大切な出来事なのです。


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