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かくも長き不在

.28 2012 日記 comment(0) trackback(0)
 朝、甲板に出ると晴天だった。7時を過ぎた頃、前方に都井岬の灯台が見えてくる。やがて船はその沖合で大きく曲がり志布志湾に入る。目の前に都井岬が迫ってくる。ここが私の故郷です。

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 大阪最期の日、娘二人を送り出し部屋のあちらこちらに残るものを箱に詰めたら、7個あった。お昼過ぎに宅急便で再び運び出してもらう。残りの本や冬服は増築工事が終わった頃再び大阪に来て運び出すことにした。

車に荷物をつ満載して3時半出発。茨木インターで高速に乗り、豊中から大阪市内へ。高層ビル群の中を通り、湾岸線へ。ある時期元の会社の設計部のみが入った西本町のビルの前を通過。

そういえば阪神大震災の後、このビルから眼下の高速道路をよく見ていた。最初は車1台通らない不気味さ。それがある日、日本中から支援物資を満載したトラックがひきも切らずこの高速道路を埋め尽くした。それは感動的な光景だった。

高速を降り、フェリー乗り場へ到着。早いと思っていたら、もうたくさんのトラックと乗用車が並んで乗船開始を待っていた。夫婦二人で(車も含め)47,000円。今回もいつものツーリングベッド。

乗船後、ベッドに二人並んで買ってきた弁当を開く。食堂もあるが値段の割にうまくない。食後ベッドで五木寛之の「新・幸福論」-青い鳥の去った後にーを読み始める。途中で寝入ってしまう。再び目が覚めたのは深夜1時。船の振動が背中に感じられる。波の揺れがゆったりとだがわかる。メモ帳を取出しこうして書いている。


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深夜に読むのに沢木耕太郎はいい。今読みかけの「貧乏だけど贅沢」という本はいろんな人との対談集。そのなかの一つ。「終わりなき旅の途上で」と題して今福龍太氏との対談文中、「出る」「離れていく」「移る」について対談している箇所で今福氏が「もしかしたら、現代の人間は知らないうちにどこかへ出てしまっている のではないか。実は今の世界はそういう人間の生存の仕方になりつつあるんじゃあないか」という言葉にふと思う。

私は故郷の宮崎県の串間という町を小学校5年の終了時に出てしまっている。以来、椎葉に1年、宮崎市に6年、福岡市に1年、熊本市に6年、そして大阪に35年(深江、甲子園、茨木市福井、紫明園、東太田)住んで今に至っている。


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今福氏の言葉を借りれば、結局私は故郷串間から「出た」人である思っていたのに「出ていない」人であったのかもしれない。旅という視点は土地であるが、人生という視点は土地ではなく学業や仕事であったのではないかと思う。そして旅が人との繋がりをあまり重視しないのと違い人生は人との繋がりでできている。そしてその繋がりは大きな網(ネット)のようなものであちこちに穴が開いたところもあれば太い紐でしっかりと繋がった箇所もある。そのなかを情報が行き交っている。時折そのネットの繋がりが予想もしない方向へ伸びて意外で新たな繋がりを生み出すこともあれば、途切れてしまってどう修復することもかなわないといった個所もある。そう思うと私がどこにいようと土地性というものが重要なのではなくてこのネットをどう意識するか。そのことが重要なのかもしれない。個人個人が異なるネットを頭の中に有していながらそのネット同士が重なり反応する。

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私のネットは私自身の訃報を発して消滅するが関わりあった人たちのネットの中にはあるいは残り続けるかもしれない

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話を戻そう。私は故郷を出ていない人であったという仮説に立てば私は随分と長い旅をしてきたことになる。かくも長き不在であったのだ。


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