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いねむり先生

.22 2012 読書 comment(0) trackback(0)
 不思議な小説だ。大きな感動を期待して読めば当てが外れるに違いない。(正直言って若い人には薦めません。)だが発見もあるし、そこから考えさせられるものもある。簡単に言ってしまえば作意のない日記のようなものである。作家色川武大(別名ギャンブルの神様阿佐田哲也)との出会いそして旅打ち(ギャンブルをしながら旅をする)の日々、その間主人公サブローをそっと支えるKさんやマージャン仲間で歌手のIさん。そして最期に色川さんとの永遠の別れがやってくる。

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この小説には主題としてもう一つ重要なテーマがある。「死」と向き合うこと。作家伊集院静の前妻がかの女優夏目雅子であることはよく知られている。だからこの本の広告にはこう扱われている。「夏目雅子の死からの再起を綴った伊集院静の自伝的長編小説」。実はこの本の中ではこちらの主題は少し抑え目に書かれている。大切な人を失う悲しみや絶望感を癒すのに多大の時間を要したであろうことが推察されるのだが、その時間の中に奇妙な優しさと暖かさで主人公サブローの心の中に座り続けた人が色川さんなのである。だからきっとこの本は優しき先生色川さんへの鎮魂歌であるとともに亡き妻夏目雅子への鎮魂歌なのであろう。最期の方にさりげなく「ボクは弟の死、親友の死、妻の死と近しい人間が死ぬたびに動揺し、揺さぶられてきたから、先生の死はことさら考えないようにつとめた。」とある。この本の中で「書くこと」を拒否し続けたサブロー(伊集院静)がこうして苦しかった日々を気負うことなく淡々と綴る姿勢が(単調で一見物足りないこの本をこのように書こうとした)この作者の流儀なのであろう。

このように一見日記風に淡々と日々を綴り続けるのは簡単なように見えて実は難しい。
本当のところは分からないが沸き起こる感情を第三者的に抑えて書かなければ書き綴れなかったのではないかとも思える。日記に見えることが既にある作為であることを考えると周知の事実(妻をなくしたこと)については触れずに先生と私のみを描くことで主題である「死」の周辺を気を許せば自分の中に向かおうとする意識をひたすら先生という対象に注ぐことによって徐々に癒されていく自分という設定だったのではなかろうかと思えるのである。
この本の最初のページにこう記されている。

その人が
眠っているところを見かけたら
どうか やさしくしてほしい
その人は ボクらの大切な先生だから

作中、色川さんがどこへ行っても人気者であるとともに大人(たいじん)であることが書かれている。その一方で作家としてサブロー同様、様々な苦しみ、幻覚に悩まされる人間的弱みを持った先輩として描かれる。色川さんは決して押し付けがましく無く、サブローの聞き役であり、紳士的でいつも一定の距離を置いている。アルファベット表示で出てくるKさんやIさんも色川さんを巡る付き合いの中で一定の距離を持ってやさしく見守る。読後知ったのだが、Kさんとは黒鉄ヒロシで歌手のIさんとは井上陽水のことである。作中名を伏せたのは読者の目線がぶれるのを防ぐ意味があったようだ。

久しぶりに買ったハードカバーの本だった。読みたいと思って買った割には読むのに随分長くかかってしまった。通勤しなくなると途端に読書する時間が少なくなる。考えてみると1日の内僅かな時間だが通勤時間中の読書というのはたいしたものだと思う。何か考えねば。座って読むとすぐ寝てしまう。困ったものだ・・・・



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