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大洲城

.19 2012 建築 comment(0) trackback(0)
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 大洲城は正直あまり興味が無かった。臥龍山荘で入場料を払うとき大洲城と合わせて拝観するとお安いですの言葉に載せられセットの券を購入してしまった。大洲城は大洲の町で臥龍山荘と対極の位置にある。ただ同じ肱川の上流と下流、川の畔に同じようにして立っている。

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だが、行ってみるとそれは全く予想しない驚きに満ちていた。大洲城は明治21年(1888年)に天主が解体され、約100年の時を経て平成16年(2004年)木造で復元されていたのです。明治期に撮影された写真とか残存する絵図面をもとに計画されました。

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現在こうした建物を木造で作ることは至難の業です。法律的には建築基準法がありますし、伝統技術の継承の問題、材料の問題もあります。この城の材料は全て国産材だそうです。現在、国産材で木材を調達することは非常に難しい状況なのです。また、長押や垂木に使用した和釘は松山市在住の鍛冶師が古来の工法にならい純鉄から製作されています。

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内部の木組みは圧巻です。木造の4層4階の重みが内部を見ていると直に伝わってきて、こうした復元作業によって随分沢山の伝統技術が生き延びたのではないかと安心する反面、そのうちこうした技術を持った技術者が年々少なくなってしまうことへの心配も尽きないのです。

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大洲の町は正直、隣の内子に比べると古い町並みがそれほど保存されているとは言い難く、ちょっと見劣りします。昔、大学院にいた頃、宮崎県の飫肥の城下町の実態調査を手伝ったことがありました。当時、町は真剣に城下町としての整備を目指していました。現実の保存されている城跡、城主の館、武家屋敷外の石垣など当時、町おこしの材料としてはちょっと寂しい感じを受けたものです。ところが数十年経って飫肥を訪れて驚きました。後から建つ建物を徹底して城下町風にしていったところ街はいつの間にか昔からそうであったような装いになっていました。城跡にも天主が建ち、新しくそこを訪れる観光客は新しく出来たものもひっくるめて古い城下町の雰囲気を楽しんでいます。大洲の町も努力しだいで10数年後は見違えるくらい風情のある町並みに化けるかもしれません。大洲城の復元はその第一歩なのだと感じ入った次第です。


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