FC2ブログ

臥龍山荘

.17 2012 建築 comment(0) trackback(0)
 1月に四国大洲の町を訪れたとき、特に感動した建物「臥龍山荘」「大洲城」「内子座」を順に紹介しておきます。(後で紹介しようと旅行記では端折っていました。)

120417大洲DSCN4388

 前からこの大洲の町に凄い建物と庭があると聞いていて、ちょっと楽しみにしていた。予想以上だった。大洲の町のはずれ肱川に面した崖地にその建物はあった。川には小さな岩山蓬莱島があり、昔は臥龍山荘と繋がっていたようだ。肱川はこの蓬莱島の先に大きな臥龍淵を有しており、この直上の崖地にせり出すように不老庵が建っている。 

120417大洲DSCN4333

さて臥龍山荘には大きく三つの建物がある。入り口の塀と一体なった蔵などの複数の建物の母屋が臥龍院。内部は趣向を凝らした和室が数室並ぶ。建物は少し雁行して川側に開いて計画されている。庭の中ほどには浴室を改装して造った茶室知止庵がある。そして庭の奥、崖にせり出して不老庵がある。

120417大洲DSCN4385

山荘であるから入り口は小さい。塀に空けられた扉を開けて中に入ると右手に最初の臥龍院の基壇部の石垣が見えてくる。その石垣に沿って石段を登りくぐり戸をくぐって玄関に出る。その石垣も凝っていて、上部の建物ごとに石積みが変えてある。石垣から木が生えたり、壁画よろしく石の間に埋められた臼が月を平たい石が船をそして流れるように斜めに積まれた石は川の流れを表現していてあそび心があって嬉しくなる。

120417大洲DSCN4363

臥龍院の内部和室も壁面ごとに凝った趣向が取り入れられていて見ていて飽きない。例えば水紋を表現した深い透かし彫りは見る角度によって微妙に変化する。障子の向こうに花筏の透かし彫りがあり、それは太陽の動きによって変化する趣向だ。もっとたくさんあるのだが、先を急ごう。

此処では縁側の空間が実に気持ち良い。迫り出した茅葺に覆われた縁側に座って庭を眺めると庭の木々の向こうに川が見えて気持ちが良い。

庭は右手が石垣やせり上がって山になっていて左側が石垣と崖で川の淵へと落ち込んでいる。つまり一方が閉じてもう一方が開いているため空間に落ち着きがある。


120417大洲DSCN4364

一番奥に迫り出して舞台づくりになった不老庵は庵そのものを真下に広がる臥龍淵に浮かぶ舟に見立てて作られている。アールを描いた網代天井は川面の月光を反射する巧妙な仕掛けである。外に張り出した欄干の真下には深い淵が見えていて足がすくむ。

120417大洲DSCN4391

さてこの建物、1595年に豊臣秀吉の命で大洲に入った藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛が清流肱川河畔で最も優れたこの景勝地に初めて庭園を作った。

その後、予州大洲藩三代藩主加藤秦恒が龍の臥す姿に似ていることから臥龍と命名し、この地に吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の風致を加えた。この地は以降幕末まで歴代藩主の遊賞地だったが、明治維新後は補修されることも無く自然荒廃した。

現在の山荘は、明治の貿易商河内虎次郎が10年かけて築いたものです。



宮崎県 ブログランキングへ

スポンサーサイト



 HOME