中年以後

.27 2010 読書 comment(0) trackback(0)
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 先週は月曜日と木曜日が休日でそれはそれでいいのだがその分しわ寄せを食った仕事が怒涛のように押し寄せて忙しいことこの上ない。その上おせっかいで口出しした仕事が自分の身の上に降ってきて危うく日曜日に借り出される寸前で事なきを得た。この週末はありがたいことに気温が下がり本来の秋らしさが戻ってきた。早朝の散歩を再開。大した汗もかかず1時間ほど安威川沿いを歩いた。
 曽野綾子中年以後(光文社文庫)を読み終えた。題名を見て面白いと思って購入した。ページを開くといきなり第一章「ただ人間だけがいるーこの世には神も悪魔もいないことを知る頃」との副題が光る。なかなかの皮肉屋である。どの章も面白かったが私の興味を引いたのは「風の中の1本の老木ー末席の楽しみを知る」の中の一文「中年以後のいつかには撤収と収束の方向に向かうことになる。実は、この時期をうまく過ごすのはかなりむつかしい仕事なのである。」作者の言う中年以後とは終わりを規定していない。つまり老年もある意味中年以後に含まれるのであれば、仕事で撤収と収束を迎えた後人生の終焉に再び撤収と収束を迎えねばならないことになる。このブログのテーマ「扉の向こうへ」はもうすぐ終わろうとする仕事に関する様ざまな扉を閉じていく事と今まで開けることのかなわなかった仕事以外の扉を開いていくことについて描こうとしている。ただやがてそうした世界にも撤収と収束は訪れるのである。「誠実の配分ーあちら立てれば、こちら立たず」この章は誰にでも時間は平等に訪れることを示唆している。やりたいことを全てこなすことはできない。ある時間帯の中で我々は結局1つを選択しなければならない。何を捨てて何を選ぶか。週末の2日間をどう過ごすか。いくら扉が開いていても2日間で開けられる扉は限られている。それでも限られた時間をせめて有意義に使いたいものである。この本はこんな風に「人生は中年からですよ。まだまだこれからですよ」となかなか意味深なのです。作者は1931年生まれであるから相当にご高齢、にもかかわらず世界中を走り回って100カ国以上を訪れ、我々をこうして叱咤激励してくださる。ありがたいことです。
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