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神々の遊ぶ庭

.31 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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宮下奈都さんのエッセイというので読んだら面白かった。

宮下奈都さんの家族5人が一家まるごと北海道の
山中に1年間移住した話を日記風にまとめたものだが、
実際にはその山中に暮らしていた間、ある雑誌に連載
されていたものをまとめたものだ。

暮らした先は北海道の中央部、大雪山国立公園にある
トムラウシ。アイヌ語でカムイミンタラ。「神々の遊ぶ庭」
と呼ばれる美しい山だ。余計な情報かもしれないが、
数年前の夏、多くの登山者が低体温症で亡くなるという
遭難事故があった場所だ。
遊びに行くのではない。そこで1年間、家族で暮らすのである。

宮下家は東京生まれ東京育ちで北海道に憧れを抱いている
宮下夫、福井生まれ福井育ちの宮下妻(作家)、中3の長男、
中1の次男、小4の長女。小中学校の併置校で、其の時点で
小中合わせて10人の生徒。大変な僻地校である。そこへ
山村留学するのである。

一体何ゆえにそういう事態になったのか。作者はそこら辺を
夫に気遣いながら楽しげに書いているが、実際はどうだったか。
都会育ちのくせにやたら北海道好きの宮下夫が言いだしっぺである。
家族会議でどうせ子供たちが反対するさとタカをくくっていた宮下妻。
ところが子供たちが俄然興味を持った。腹をくくった宮下妻は
この1年を楽しむことにした。その心意気が文章に現れている。

家族がいつも一緒にいる生活。学校がすぐそばで村人すべてが
学校行事に関わりあう生活。先生も村人も皆が子供たちに
真剣に向き合う。実は神様がくれた宮下家への宝物になる1年だったのだ。

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この本を読んでいて、何か似てる。そう思った。
実は我家の椎葉での生活がよく似ているのに気づいた。
私は小学校の5年生まで串間市の福島小学校に通っていた。
父は中学校の教頭をしていたが、その春の人事で父は
突然、椎葉村小崎小学校の校長として赴任することになった。
先に一度現地に様子を見に行った父の話から想像するに
大変な山奥であることがわかった。不安があったが家族5人で
赴任することが決まった。

日向市からバスに揺られて4時間。途中諸塚でトイレ休憩があった。
上椎葉に着くとそこからタクシーに乗り、椎葉ダムのダム湖に沿って
30分。ダム湖が終わる場所。そこに小崎小学校が有り、
グランドの上に教職員の住宅が数軒並んでいた。
周囲には民家が10軒程度あるだけで、学校の子供たちは
川沿いの山々から歩いて学校へ通ってきた。

その春から私が小学校の6年生。妹が4年生。弟が1年生だった。
家族はその地に父の任期の3年間を過ごしたが、
私は中学校から宮崎市にある私立の日向学院中学校へ進学した。
私にとっては1年間の山村留学みたいなものだった。

不思議なのはいまだに私たち家族にとって多分、一番いい時を
過ごしたという感覚を共有していることだ。
椎葉村小崎という場所はその時から我が家にとって
「神々の遊ぶ庭」で有り続けているのだきっと。

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もうひとつある。大阪の会社に勤めていた頃、40代後半ではなかったかと
思うが、会社の先輩に誘われて岐阜県郡上市明宝気良にある別荘に
渓流釣に通うようになった。年に3回、春、夏、秋と2泊3日で通った。
ここも私たちにとっては「神々の遊ぶ庭」だったのではないかと
思っている。

こういう好機はそうあるものではない。
私が子供であった両親を含めた家族はこうしていい機会に巡り会えたが
私を父とする娘たちとの4人家族はこういう機会に巡り会えなかった
気がする。

定年退職をして大阪から串間に帰って、翌年、郡上へ誘ってくれた
先輩が亡くなった。その数週間後に私の妻が亡くなった。
大切なものを失ったその年の秋、車で人吉から妹夫婦と落ち合い、
九州山地を越えて、椎葉へ向かった。

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私は再び、「神々の遊ぶ庭」を得たかったのかもしれない。
翌年から春、秋と2泊3日で椎葉村小崎の川の口集落に通い始めた。

話を宮下家に戻そう。
宮下妻はこの本「神さまたちの遊ぶ庭」を如何にも楽しげに
一見ノー天気に見える明るさで楽しい日々を綴っている。
ところがである。
実際には彼女はしたたかにもその間、小説を書いていたのである。
その小説があの「羊と鋼の森」だったのだ。
あるいはと思ってみる。
この本は神々が書かせたのかもしれないと・・・・・・





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7月の読書会

.21 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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7月のテーマは毎年恒例の「絵本」だった。
私は先日買ったヨシタケシンスケの「あるかしら書店」を
持参した。本の帯に「子どもの本総選挙第2位」と表されている。
これはあたかも子供たちが選んだ本のようにあるが
中を読むと子供にはこの本の面白さは伝わらないのではないか
と思える。多分、本を選ぶ親の目かなと思ってしまう。

ヨシタケシンスケの本は考えさせられる内容に満ちていて、
どこか哲学的である。

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例えば「本のようなもの」と題されたページにはこうある。

1.ぼくたちは本のようなものだ。
2.一人一人ストーリーをかかえているけれど、パッと見ただけでは
  中身はわからない。
3.いつも誰かに見つけられるのを待っている。
  いつも誰かに中を見てほしいと思っている。
4.人気があるのもないのもいるけれど、
  でも、いい出会いがあれば、誰かの人生に何かの影響を与える。
5.いい出会いがあれば、誰かと一瞬のきらめきを共にすごせる。
6.かさばるし、重たいし。
  火にも弱いし、水にも弱い。
  すぐに色あせてシワシワになる。
7.物体としての寿命はあるけれど、その精神は受け継ぐことができる。
8.そして、まだ見ぬこれからの新しい本が、世界をぶあつくしていく。
9.だから、ぼくたちは、
  本が好きなのだ。 

どうです。鋭いでしょう。
年老いた我々世代には6.7.8の項目がジーンとくる。
まるで人生論のようではないか。

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もう一つ紹介しよう。

題は「お墓の中の本棚」

1.1年に1度のお墓参り。
  その日1日だけ、そのお墓はパカッと開くようにできています。
2.中は本棚になっていて、本が好きだったあの人がよく読んでいた本、
  影響を受けた本、いつか大事な人に読んでほしいと思っていた本が
  沢さん入っています。
3.その中から1冊を選び、カバンに入れます。
4.そして、家から持ってきた「天国のあの人に読んでもらいたい
  その年オススメの1冊」を本棚に入れます。
5.扉をしめて、お祈りをして、
6.カバンの中の本にわくわくしながら、お家へ帰ります。

ここでは本が故人と自分とを繋ぎ続ける役割を果たしています。
それはすなわち本を通じた故人との対話でもあるのです。
読書会の会員の一人が思わず、「いいね、俺もやろう」
そうつぶやきました。

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前回のテーマ「私の10冊」の発表が終わっていない人がいたので
前半はその続きでした。

ところが私の方も前回発表した「私の10冊」が日が経つにつれ
なにか違和感を覚え、書き直したくなりました。そこで

再び「私の10冊」

読書会のあと、何かが少し違う気がした。なんだろう。本との出会いはいつもいい思い出だけとは限らない。青春時代を思い出し、何かが少し違ってはしないかと記憶の底をさぐって見る。あの頃、夢中になって読んだ本・・・・貪るように読んだ本。それは自分の魂を揺さぶった本ではなかったかと、そんなことを考えていたら、1冊、また1冊と記憶の底から数冊が浮かび上がってくる。
 そんなわけで「思い出の中から私の10冊」ということで

1.下村湖人           「次郎物語」
2.五味川純平          「人間の條件」
3.三浦綾子           「氷点」
4.トーマス・マン        「トニオ・クレーゲル」
5.マルタン・デュ・ガール    「チボー家の人々」
6.チャールズ・ディケンズ    「デイビッド・コパーフィールド」
7.アイザック・アシモフ     「銀河帝国興亡史」
8.沢木耕太郎          「深夜特急」
9.開高健            「オーパ」
10.ベルンハルト・シュリンク   「朗読者」

1.下村湖人の「次郎物語」は小さい頃はよくテレビドラマや映画になっていて、見る機会も多かったが、小説を読んだのは中学生の頃だろうか。次郎の幼少の頃の田舎の風景の描き方が印象深い。私自身の故郷の風景に近い場面がたくさん出てきて、物語の中へは随分と入りやすかった思いがある。少年の成長物語なのだが、少し大きくなる最後の章も印象深い。読後、続きをたまらなく読みたかった思いがある。その思いは大きくなってからも残っていて、大人になってもう一度読み返してみた。意図的だったのだろうかこういう終わり方は、作者は続きを書くつもりだったのではないか。だが時代背景を考えるとその後、青春時代がやってくるというよりは戦争の影が重くのしかかってくる。そういう時代なのだ。少年の成長物語には五木寛之の「青春の門」がある。こちらは書きすぎかなと思ったりする。が作者は中断していた物語を最近再び書き始めた。案外、成長物語というのは、これからというところで止めておくほうがいいのかもしれない。
4.トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」はこれも同様、成長物語なのだが、青春時代への郷愁が実に上手く描かれている。憧れの女性、憧れの尊敬する友人。そうした人々との心理的な葛藤の中で少年は成長する。この作品がうまいのは、大人になってからの俯瞰する場面である。作家として名をあげようとしている主人公が旅先でふと目にするカップルがかつて少年時代に憧れた少女と尊敬する友人なのだ。幼かった頃の思い出の中だけに存在するに留まらず、未だに自分を追ってくる青春の影、二人をあくまで肯定しながら、
自分を卑下することなく前向きに自分を肯定していく作者の立つ位置がいい。旅先の今と思い出の少年時代の間が空白なのがいい。そう言えば、次郎物語の最終章も前半部から時代が飛んでいる。

この2つの作品は誰もが経験する青春時代の憧れや挫折、憧れの存在に届かない自分への苛立ち、そうしたものを内包しながらも、「私は私だ」という納得感を感じられる。結局そこが大切なのかな。

2.五味川純平の「人間の條件」はなんで中学生の身でこんな重たい小説を読もうとしたのかわからない。ひょっとしたら父が満州にいて戦後シベリアに抑留されていたから、そういった時代背景を知りたいと読み始めたのかもしれない。大学生の頃、映画を見た。たしか上映時間が7,8時間というとんでもない映画だ。小説の中にある「重さ」を感じたのはこの時が初めてかも知れない。

3.三浦綾子の「氷点」もどちらかというと重たい。これも私が学生時代には映画やテレビで盛んに放送された。キリスト教の原罪がテーマである。この頃以降、三浦綾子の作品はよく読んだ。生きることへの真剣さがいつも表裏一体でくっついている。こういうテーマの小説を最近読まない。「塩狩峠」なども印象深い作品だった。

ここまでが中学高校時代の思い出の中にきっちりと収まっている。ところが
5.マルタン・デュガールの「チボー家の人々」と
6.チャールズ・ディケンズの「デイビッド・コパーフィールド」は
大学受験と大きく重なって記憶に残っている。高校3年時、受験で頭がいっぱいの頃、私はどういうわけかこの大作「チボー家の人々」5巻を読んでいた。物語として面白かったわけではない。第2次大戦下のフランスが舞台で二人の兄弟の物語であるのだが、これもどちらかというと重苦しい。何ゆえにこんな退屈で地味な本をあんなに一生懸命読んだのだろう。弟ジャックと恋人との硝子1枚隔てて唇を重ねるシーンが印象に残る。
弟が7年前に亡くなった時、その本棚にその5巻を見つけた。私は当時図書館で借りてきて読んだが、弟は買ったのだろう。今その本は私の手元にある。今なら本気で読めそうな気がするのだが・・・
一方のディケンズの「デイビッド・コパーフィールズ」は本命の国立大学の受験が終わった直後に映画で見た。映画の題名は確か「孤独の旅路」というものだった。映画にひどく感動し、この原作が「デイビッド・コパーフィールズ」だと知って早速、本屋で探して買ってきて、朝昼晩と寝床に潜り込んで読んだ。実はまだ滑り止めの私大の受験が残っていたのだが、勉強そっちのけでこの本を読んだ。1年間の本への飢えみたいなものだったのかもしれない。ディケンズは他にも「大いなる遺産」などいい小説はあり、これも何度か映画化されている。未だにこの時見た映画「孤独の旅路」が見たいと思う。10年くらい前だったかBBC放送がテレビ番組として制作したものが日本でも放映された。たしかビデオ撮影したと思うが行方知れずになってしまった。

7.私はあまりSF小説は読まないが時々ハマることがある。アイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」は実に壮大な宇宙のドラマだが、続きが発売されるかまたはそれを書店の棚に見つけて買い揃えた覚えがある。全体があまり具体的物語ではないし、どうにも概念的で捕えどころがないのに、なにかとてつもなく大きな世界を、大きく描くとすれば個々人の問題や影響力はこんなにもぼんやりと世界の中に溶け込んでしまい、その溶け合った中の大きな動きが時代を作っていき、歴史を刻んでいく。そういった内容に惹かれたのかもしれない。

8.沢木耕太郎は好きな作家である。評論であるとかエッセーであるとか、とにかくその独特の切れ味が好きでいろいろ読んだ。が一番夢中になったものは自分の体験を元に書かれた「深夜特急」だ。アジアからヨーローッパまでの道のりを個人で旅行する話なのだが、
嘘か誠か分からない話が満載で、とにかく夢中で読んだ。今ほど観光旅行が気楽にできる時代ではなかったのだろう。アジア諸国の各都市の独特の香り、匂い、そんなものの中に多分虚構も含まれているのだろうがいかにも本当らしく思える様々な物語が散りばめられていて、なんとも楽しい本だった。

9.開高健は実は本業の小説の方はあまり詳しくない。が釣りに関したものはよく読んだ。
中でも「オーパ」は楽しい。釣れなきゃ釣れないで、そのあがく姿を自嘲気味に表現する。
生きている人間像が生々しくて読んでいて引き込まれる。筆の力というのかもしれない。

10.ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」は映画でも見た。考えさせられる物語だ。文盲の女性と若い学生の寝物語がやがて裁判にかけられた女囚と若い弁護士との物語に発展していく。背後にはナチのユダヤ人虐殺や字が読めない人の社会的な抑圧などがあり、主人公の男性は刑に服す女性へ若い頃は本を朗読し、服役後は字を教え、本を送り続ける。
本は女性を知的向上へと確かに導いていくのだが、やがて自分が何の罪で服役しているかを知ることになり、自ら命を断つ。彼女は知らなかったほうが幸せであったのではないか。
そんな疑問を投げかけて物語は終わる。

読書するものは絶えず、その意味を問い続けねばならない。




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梅雨明け

.13 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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梅雨明け宣言が出された翌日は絵に描いたような夏空だった。
遠くに入道雲が湧き上がっているのが見えた。
その日は、「ひこばえ」の合評会の日。

はがき随筆発表の場である毎日新聞の地方欄が宮崎一県から
鹿児島、熊本、宮崎三県合同のページになって、掲載される
割合が3分の1に減って3ヶ月が過ぎた。メンバーの間でも
少し戸惑いが見られる。
私自身も少しペースを掴めない中で北郷のNさんはしっかりと
自分のペースを守り、作品もしたたかに熟慮しながら書かれている。
今月の月間賞で佳作に選定された。今月の作品も皆が
テーマがないと嘆く中、しっかりと夏を課題にいい文章を
書かれていた。

Hさんが合評会が終わって、同じ毎日新聞の「女のきもち」に
投稿したいから原稿を見てくれという。皆でそれを聞きながら
ああ、書くということは自分の気持ちを人に話すことによって
自分の心の整理をしているのだと気づいた。精神科医の
カウセリングのようなものかも知れない。
そのことを文章にしてみた。

     書きたい

合評会が終わった後、Hさん
が原稿を差し出して「女のきも
ちに投稿したい。意見を下さい」
という。義父が亡くなって1年
気持ちの整理をつけるためどう
しても書きたかったという。
 聴けば、病院のベッドで最期
まで家に帰りたがった義父をそ
のまま逝かせたことが今でも悔
やまれるという。人は様々な形
で死に関わらざるを得ない。心
が平静を取り戻すのに時間を要
する。
 原稿を読み意見しながら、ふ
とこれはカウセリングと同じだ
と思った。Hさんは書くことで
心を整理し死を穏やかに受け入
れようとしているように思えた。

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小学校の「読み聞かせ」ボランティアに通い始めて
4年生、5年生ときて今回は6年生だった。
いつも絵本を読むだけでいいのか。そういう疑問が
いつもある。今回はしかも6年生だ。

小学生向けに少し短く書かれたものを探してきた。
読むのは小泉八雲の「耳なし芳一」「雪女」
そう、暑い夏ですから「怪談」でしかも文学という線です。

最初に作家小泉八雲について簡単に話をし、
「耳なし芳一」の背景である歴史の話を少しして
平家と源氏の話をしました。
そのあと平家物語の冒頭の一節

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。・・・・・・」
とほんの数行ですが読み上げました。

それから「耳なし芳一」を読みました。
今回は絵本ではありませんから
みんなじっと聞いています。

今回、6年生は3クラス、その日はボランティアは3人で
一人1クラスを担当することになり少し時間があったので
「雪女」も朗読して終わりました。

終わったあと、廊下で担任の先生が「今、歴史で
源氏、平氏の項目をやっているんです。こういうふうに
文学をやっていただいて有難い」とおっしゃる。
良かったと安堵したが先生がいいと思うことが
必ずしも生徒に良かったかは分からない。
だが、「本物」を垣間見せたかったのだ。
今は分からくてもいい。なんか違うもんが
自分の知らないものが
先には待っているのだと。




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6月の読書会

.23 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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1ヶ月が過ぎるのが早い。月1回の催し物でも
それが三つも四つもあれば結構、忙しく感じる。

もうすぐ六月が終わる。梅雨が明ければ夏だ。
稲の成長は早く、もう稲穂が実り始めている。

こんなふうにうっすらと晴れた日もあれば
雨の日もある。暑い日もあれば蒸し暑い日もある。
なんだか不健康な天気でイマイチすっきりしない。

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六月度の読書会は「私の10冊」とした。
前回は「カズオ・イシグロ」で3人の出席。
テレビで紹介された北海道の書店主の
「1万円蔵書」が話題に上り、我々も
なんか知らんが10冊くらい本を並べてみようと
「私の10冊」というテーマにしたところ
なんと今回の出席者は7名となかなか賑やかな
読書会となった。

結局、時間ないに終わらず、最後のふたりは
次回やってもらうとして次回のテーマは
「絵本」とした。

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久しぶりに「私の10冊」と題して書いてみた。

私の10冊

1.サン・テグジュ・ペリ 「人間の土地」
2.星野道夫       「旅をする木」
3.川上健一       「雨鱒の川」
4.上橋菜穂子      「天と地の守り人」
5.塩野七生       「ローマ人の物語」
6.宮城谷昌光      「孟嘗君」
7.司馬遼太郎      「竜馬がゆく」
8.藤沢周平       「蝉しぐれ」
9.伊集院静       「ノボさん」
10・浅田次郎       「壬生義士伝」

どちらかというと無理やり作った10冊であるかもしれない。最初の2冊はすぐに頭に浮かんだ。次の3冊はそうそう、これは外せないなと思い出して加えた。ここらに来ると、というか選んでいるうちにこれこれという小説というよりも作家で選んでいることに気づいた。だから選んだ作品もそうだが同じ作家の別の作品だっていいのだ。そうやって選んでいくとあっという間に10冊が埋まってしまった。この分だとあと10冊や20冊はいけそうである。

1.サン・テグジュ・ペリの「人間の土地」は6,7年前に読んだ。読んでいて考えさせられることがたくさんあった。初めて飛行機を運転し、地上を眺めた時の感想が秀逸である。地上を旅する限り、人は道から自由になれない。道というものを外れた時の風景の広がりとその時作者が感じた自由が目から鱗が落ちるように理解できた気がした。本当の自由とはについては他に砂漠の街で救った奴隷の話が出てくる。作者たちの善意のお金で彼は自由を得るのだが、今日から自由だよと言われて戸惑う元奴隷が定年退職直後の自分の姿とダブって見えた。この本にはいたるところに考えさせられる物語が潜んでいる。

2.星野道夫はその作品よりもこの人の人生に多くのことを教えられた。何ゆえにアラスカの荒涼とした大地が彼を引きつけたのか。先日、彼が熊に襲われて亡くなった時、まだ幼児だった息子が父の愛したアラスカの大地と縁のあった人々を訪ねる番組があって見たのだが、子供以上に多くの読者が未だに彼を慕っている。多くの人びとを惹きつける彼の生き方そのものがどんな物語よりも魅力的なのだ。
3.川上健一との出会いは映画にもなった「雨鱒の川」だが、その後の作品もほとんど読んだ。分類で言えばファンタジー・ノベルあるいは児童文学。文章に実に誠実な人柄が表れていてファンになったのだが、ある時、作品が途切れた。その間何をしていたのか。後年、それが小説になった。病気をして無理のできない体になってしまい筆を折るのである。
が数年後、田舎暮らしで健康を取り戻した作者は再び文壇に戻ってくる。素晴らしい作品を再び放し始める。楽しみな作家である。

4.上橋菜穂子はこの作品「天と地の守り人」で一躍世界のスターへと駆け上がる。初期の頃、1巻を読んだら止めれなくなって全巻読み切ってしまった。そうしたら最近テレビでドラマ化され、誰もが知るところとなった。まあ、だけど小説のほうが面白いですよ。こういう架空の世界観を作るというのは一体どういう頭の構造をしているのだろうと思う。
人間の持つ想像力というのは本当にすごいと思う。というか思い知らされるのである。

5.塩野七生は若い頃はあまり縁がなかったのだが地中海3部作の「コンスタンティノ-プルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」を読んで嵌ってしまった。「ローマ人の物語」を読み始めて、中学、高校時代に学んだ西洋史が如何に浅薄であったか、この本を読めば西洋史をもっと深いところで理解できただろうにと思った。堅い話ではない。人物が実に魅力的に描かれていて、ハンニバルやスキピオ、ジュリアス・シーザーなどその面白さに久しぶりに夢中になったものである。実はこの「ローマ人の物語」は未だ読破していない。帝国が力を失って滅びていく後半がまだとってある。例えば、上橋菜穂子の「天と地の守り人」の中にもローマ帝国のような国が敵対国として出てくるが、「ローマ人の物語」を読むとローマ皇帝の実像がもっと地味なもので、中国皇帝のように血筋ではなく能力で代々選ばれたりして実像はかなり違っている。今でもローマ帝国の支配地は文明の及んだ地として未だに住民が誇りにしている。以前、スペインのことを作品に残した堀田善衛がスペインの歴史を書いたスペイン人はいないなどといったことをその随想の中に書いていたが、自国の歴史を自国の人が書ける国はそう多くないのでは思ったりする。日本という国は出版される本で溢れているように見えるが、どこの国でもそうであるとは限らないのだ。塩野七生はイタリアに根を下ろし、イタリアの地中海の歴史を題材に多くの作品を世に問うてきた。その作品群は今や歴史的評価に変わろうとしている。最近、中国語訳も出版されるとか。大した作家である。

6.宮城谷昌光は中国物でどうしても外せない。これもどちらかというと作品というより作家なのである。作品はたくさんありすぎて迷う。最近読んだ「三国志」もいいし、かつて読んだ「楽毅」もいい。今読んでる「湖底の城」もいい。そしてまだ読みたい本がたくさんある。それもそうだこの作家はまだこれからで、次々に作品が生み出されてくる。頼もしい限りだ。
7.司馬遼太郎は最近読まないが、かつて読みまくった。そして歴史小説が大好きになった。大人になってそれなりに歴史を深く学べるようになったのはひとえに司馬さんのおかげである。戦国時代を学びたかったら「国盗り物語」「新書太閤記」「関ヶ原」などを読めばいいし、幕末を学びたかったら「竜馬が行く」。明治維新が学びたければ「坂の上の雲」を読めばいい。歴史上の転換点に必ずと言っていいほど司馬遼太郎の作品群がそびえている。

8.藤沢周平は山本周五郎でもよかった。とりあえずは藤沢周平とした。作品もたくさんある中で最近読んだ「三屋清左衛門残日録」も良かったが、ドラマ化された「蝉しぐれ」の殺された父を荷車に乗せて坂道を二人で押して行く姿が強烈な印象を持って心に残る。

9.伊集院静は五木寛之でもよかった。男としての生き方が二人似ていて、共に格好いい大人なのである。それが作品と同関係あるかといえば、関係ないようで実は深く関わっている。二人共重たい人生を背負っている。小説家である前に人間として人生に深く爪痕を残して生きている気がする。

10.最後は誰にするか少し迷った。浅田次郎としておいた。様々な作品を読んだがやはり圧巻は「壬生義士伝」であろうか。状況の設定が実にうまい。作品の中心部に新撰組をおいて、その中でも斎藤一とのやり取りが実にいい。前置きの話もいいが、後日談まで隙なく構成が素晴らしい。

後半部がやや無難に流してしまった感がある。掘り出し物はもっといろいろあるのだが
10作品に絞るとやや緊張して無難な流れを選択している。テーマを少しひねったほうが面白かったかもしれない。



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小学生への読み聞かせ

.02 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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新たなボランティア始めました。
母校福島小学校の生徒への本の読み聞かせです。
今年度の活動が実は先週から始まっていたのですが
初日は大阪にいて、出席できませんでした。
それで2回目の本日が私の初の読み聞かせ。

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今年始めこの読み聞かせボランティア募集が
出ていたのを見て、読書会仲間のTさんが申し込んで3月まで
やったところ、子供たちの熱心な瞳にすっかり魅せられてしまった。
4月から新たな体制でやるのだけれど人手が全く足りない
というので手伝うことにしました。

心の底では「大人に本を読めと言っても誰も聞いてくれないし
やっぱり鉄は熱いうちに打てだろう」と子供たちに希望を抱いて
参加したわけです。

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月2回、朝と昼休みの2回。朝は授業前の20分。
これを二人で行うので一人約10分。

ボランティアは4名、内2人は私とTさんの年寄り組、
残りふたりは子供さんが当小学校に通うお母さんです。
今回は4年生。ちょうど2クラスあるので、2人ずつに
別れて、とりあえず最初は私から始めました。

この日は書棚から谷川俊太郎の「わらべうた」という
詩集を持参。これを朗読することにしました。
まあ、この本は言葉の遊びのようなもので
いわゆる、オノマトペ。

例えば

       きりなしうた

しゅくだいはやくやりなさい
 おなかがすいてできないよ
ほっとけーきをやけばいい
 こながないからやけません
こなはこなやでうってます
 こなやはぐうぐうひるねだよ
みずぶっかけておこしたら
 ばけつにあながあいている
ふうせんがむでふさぐのよ
 むしばがあるからかめません
はやくはいしゃにいきなさい
 はいしゃははわいへいってます
でんぽううってよびもどせ
 おかねがないからうてないよ
ぎんこうへいってかりといで
 はんこがないからかりられぬ
じぶんでほってつくったら
 まだしゅくだいがすんでない

こんな具合、笑いがでて好評だったようすでホットする。

ほかの人のを見ているとどうも絵本を見せながら
読み聞かせというのが一般的であるようです。

Tさんは隣のクラスでオーヘンリーの短編集の中の
「賢者の贈り物」の絵本化されたものを持ってこられ
読まれた様子でした。なるほど。

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一度家に帰り、昼過ぎにまた出直しました。
お昼休み図書室で自由参加です。
だからこれは学年がばらばらです。

問題点もいくつか見えました。
例えば毎回、学年やクラスが異なるから
継続的な読み聞かせはあまり意味を成さない。
短い時間で完結というのは絵本ぐらいしかない。
絵本に特に偏見はないし、その奥深さは
読書会で学んでいる。
試行錯誤しながらやるしかない。





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