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5月の読書会 「絵本・児童文学」

.18 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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5月の読書会のための読書については先に紹介してしまった。
一部かぶるかもしれないけれど、読書会用に資料を作っていたので
今日も手抜きでそれを貼ろう。

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5月の読書会 「絵本・児童文学」                20190518

4冊の本を買った。
1.カラフル(森絵都)
2.ままにならないから私とあなた(朝井リョウ)
3.未来のだるまちゃんへ(かこさとし)
4.本・子ども・絵本(中川李枝子)

1.カラフル
  本の帯に「高校生が選んだ 読みたい文庫NO.1  累計100万部突破の名作 大人も泣ける青春小説」という言葉書きに誘われて買ってしまった。結果は面白かったし、いい本だと思う。筋書きはこうである。

  生前の罪により輪廻のサイクルから外されたぼくの魂が天使業界の抽選にあたり、再挑戦のチャンスを得た。自殺を図った少年、真(まこと)の体にホームステイし、自分の罪を思い出さなければならないのだ。真として過ごすうち、ぼくは人の欠点や美点が見えてくるようになる・・・・
  乗り移った真はチビで勉強もできない、さえない子で当初がっかりしてスタートを切るのだが、どうせ人の体をレンタルしているという突き放した感情がプラスに働き、少しずつ自信を取り戻していく。やがてレンタルしているはずの真に対する愛情から
  真の将来を真剣に考え、真に体を返した後自信を持って生きていってほしいと思うようになってくる。文中、奇跡的なことも英雄的なことも出てこない。そういう意味では地味だが、現実的対処に好感が持てる。だが最後に・・・・・・

  前回のテーマが「他人を生きる」といった内容だったが、この本も偶然というか「他人を生きる」そのものです。私たちは常識的で当たり前な世界に生きていますから、自分は自分で過去も未来もすべて自分だと信じて疑わずに生きています。でもこういう自分を突き離して見てみたり、自分というものを否定することでしか生きれない状況に陥ったり、自分というものに真剣に対峙せざるを得ない状況というのは人生の中で時々生じるものです。大人の文学にも子供の文学にも同じテーマは違った形で現れるのですね。我々は「大人になると大変だぞ」とか「子供はいいな」などと安易に考えがちですが、よく子供時代を思い出してみると、結構色んな悩みを抱えていたなと
  嫌なことが思い出されます。子供は子供で大変なのです。

  作家、森絵都について調べてみると
  1968年東京都生まれ、早稲田大学卒業
  90年 「リズム」デビュー 講談社児童文学新人賞受賞
          合わせて  椋鳩十児童文学賞受賞
  「宇宙のみなしご」で野間児童文芸新人賞
          合わせて 産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞
  「アーモンド入りチョコレートのワルツ」で路傍の石文学賞受賞
  「つきのふね」で野間児童文学賞
  「カラフル」で産経児童出版文化賞受賞
  「DIVE!!」で小学館児童出版文化賞受賞
  「風に舞いあがるビニールシート」で第135回直木賞受賞
  「みかずき」で中央公論文芸賞受賞
 
  「DIVE!!」は数年前確か映画化されましたね。本も読んだけど面白かった。水泳の
  高飛び込みを競い合う若者たちの物語でした。児童文学の受賞実績が凄い作家ですね。
  直木賞受賞作品「風に舞いあがるビニールシート」早速買ってきました。まだ読んでませんが。

2.ままにならないから私とあなた
  前から気になっていた作家の作品です。先に作家朝井リョウから紹介します。
  1989年岐阜県生まれ、早稲田大学卒業
  2009年 「桐島、部活やめるってよ」で第22回すばる新人賞受賞、デビュー
  2013年 「何者」で第148回直木賞受賞
  2014年 「世界地図の下書き」で第29回坪田譲治文学賞受賞
  
  ベテランの作家しか取れなかった直木賞を24歳の若者がとり話題になりました。デビュー作も直木賞作品も確か映画化されたはずです。ちょっととんがってる若者が出てきたなといったイメージで見ていました。この本も文庫本の帯に書かれた文言に惹かれて買ったものです。そこにはこうありました。

  あなたが見ている世界はほんとうに「正しい」世界なの?
  天才少女の薫と平凡な雪子。二人の友情の行方は・・・・
  「世界」とは「自己」のことであり、異なる数多の「世界」同士が交差し合ってるいるのが「この世界」であるという本質である。


  この文庫本には2つの作品が入っています。
  ・レンタル世界
  ・ままならないから私とあなた

  レンタル世界
  男が先輩の結婚式で出会った美女は、人間関係を「レンタル」で成立させる業者だった。ある時、街で偶然出会った美女にどこかで出会ったことがある。先輩の結婚式の新婦側の友人席に居たことを思い出し、そのことをきっかけになんとか友達になろうと接近するが、相手はすげないどころか、「私は友人でもなんでもなく、結婚式の披露宴の新婦側友人席にレンタル会社から派遣された者です」と真実を暴露されてしまう。
  そこで一計を案じ、親しい会社の先輩に「ちゃんとした彼女できたら家に連れてこい」と言われていたのを利用し、彼女を親しい彼女としてレンタルし先輩宅を訪問し饗応を受ける。帰り際、「レンタルな関係じゃなく先輩夫婦みたいな関係になりたい。本当の彼女になって欲しい」と告げるが彼女からの返事は・・・・・

  ままにならないから私とあなた
  天才少女と呼ばれ、成長に従い無駄なことを切り捨てていく薫と、無駄なものにこそ人のあたたかみが宿ると考える雪子。すれ違う友情と人生の行方を描く。雪子目線で作品は描かれる。
構成は雪子自身の小学校時代からの成長物語になっている。そして、仲間からは浮いて友達もいない唯一の友人薫の人生が雪子の人生と織物のように重なっていく。親しい友人なのだが考え方がまるで違う。その違いは徐々にエスカレートしていく。雪子はいつか自分の考えている価値観に薫が気づいてくれると固く信じているのだが・・
この物語には結論はない。雪子の妊娠が分かった時点で話は急に終わる。だが読んでいれば分かるが二人はいつまでも価値観の違う親しい友人同士なのだろう。こういう関係って友人関係より夫婦関係に近いかも知れない。価値観の違う二人が仲良く?暮らす。これを友人関係としてみるからいつか二人はお互いの価値観を近づけると勘違いしやすいが、実はここでも二人の価値観は平行線のままなのだ。そこでこの題名に戻ることになる。「ままにならないから私とあなた」

児童文学というには余りにも心理面の深いところがえぐられる。普通と思われる日常世界に「もっと真実に目を向けろ」と背中をどやされる気がする。この作家一見高校生向けの作品が多いのだけれど、単に子供たちの世界を上辺だけなぞっているのではなく、「人間観察」に鋭い視点を入れて、単なる高校生が考える人間として浮かび上がってくる。面白い作家である。もっと読んでみたいと思い直木賞受賞作の「何者」を買ってしまった。

3.未来のだるまちゃんへ
  ご存知「だるまちゃん」シリーズで有名な絵本作家のかこさとしさんの自伝です。でも語り口が優しく、子供にも読めるようになっています。
 
  経歴は1926年福井県生まれ、東京大学工学部応用化学科卒。工学博士。技術士(科学)。大学卒業後は民間企業(昭和電工)の研究所に勤務しながら、セツルメント活動に従事。子供会で紙芝居や幻灯などの作品を作り、1959年「だむのおじさんたち」で絵本作家の道へ。 作品数は600点以上にのぼる。
  2008年 菊池寛賞受賞
  2009年 日本化学会より特別功労賞受賞
  2017年 巖谷小波文芸賞受賞
  2013年 福井県越前市に「かこさとし ふるさと絵本館「硌」」開館
  2018年5月2日逝去

  子供と一緒に生活し、子供たちの活動を観察しながら、子供たちに教えられたことが多いという。子供目線を生涯忘れなかった作家。

4.本・子ども・絵本
  こちらは「ぐりとぐら」の女流絵本作家中川李枝子さんの自伝です。

  1935年札幌市生まれ、東京都立高等保母学院を卒業して、1972年まで、みどり保育園勤務。
  童話「いやいやえん」で厚生大臣賞、NHK児童文学奨励賞、サンケイ児童出版文化賞、
  野間児童文芸賞推奨作品賞受賞
  1980年 「子犬のロクがやってきた」で毎日出版文化賞受賞
  絵本「ぐりとぐら」は10カ国語に翻訳世界中で読まれている。

  


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4月の読書会-平野啓一郎 「ある男」

.27 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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平野啓一郎 「ある男」・・・・・今回は指定された1冊の本を読んで参加するという読書会でした。
2019年4月20日  読書会(出席者5名)                   

この小説はある意味、計算高い小説だ。最初に謎が提示される。読者は穏やかな導入部に気を許して穏やかに読み始めるのだが、いきなりとんでもない謎が目の前に現れる。好むと好まざるに関わらず最後まで読んでしまわざるを得ない状況に追い込まれる。巧妙である。

ところでこの小説の主人公は一体誰なのだろう。
小説の構成は巧みな二重構造になっている。一つは谷口大佑の妻、里枝の家族を主体にした物語。ただこれは導入部と締めの部分に現れるだけで、謎解きの部分、いわゆる小説の中心部にはもう一つの物語が展開する。こちらは謎解きの解明を依頼される弁護士の城戸章良と彼を取り巻く家族や仕事で接触する人たちとのやり取りであるが、少し饒舌すぎる。
城戸は谷口大佑が本当はなにものであるかを究明していく中で「存在の不安」にとりつかれていく。妻香織との微妙な関係、息子颯太とのギクシャクした関係。調査の過程で知り合う谷口大佑の元恋人美涼との微妙な関係。そんな調査の日々の中での城戸の感情の揺れの中に現代の家族の有様が微妙に投影される。将来に対して様々な未来形を想定しながらも日常は日常として表向きは何も変わらずに過ぎて行き、この謎が最終的に解決されるのだが、結局城戸自身の抱える諸々の問題はなんら解決されていないことに気づかされる。

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以前、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」の読後、私は以下の感想を書いた。

我々人間を人間たらしめているものはなんだろう。血(血縁)と時(歴史)と交(交際)ではなかろうかと思う。血は一人の人間の生まれてきた系譜であり、出自であり、源である。時はひとりの人間の歴史上の位置であり、役割であるかも知れない。交は人と人との関係性であり、家族、友人、結婚、あるいは社会的な活動である。血と時を取り去り、交それもごく限られた交のみで一生を送らざるを得ない人々。それがこの小説で描かれた世界だ。物語のなかで、実はその交さえもなかった世界に教育を受けさせ、人同士の交わりを経験させる場所、それがこの小説の主人公たちが卒業後も懐かしく思い出すヘールシャムだったのだと読み進めるうちにわかってくる。彼らは知らず知らずのうちに血を求める。要するにクローンの元になった人間がどこかに生きているということに異常な憧れを抱く。クローンとクローンの元になった人間の違いはなんだろう。クローンには父も母も子も存在し得ない。人間の歴史という時の流れに点として存在し消えていく。イシグロはクローンを緻密に描くことで「では我々人間とはなんだろう」という問を発しているのではないだろうか。
我々の住むこの現代は都市化とグローバル化が極度に進み。我々は時として自身が依って立つ基盤の脆弱さを思い知らされることが殊のほか増えてきたように思える。都会の片隅で孤独に打ち震える人々に今一度、血や時や交によって自分が人間である所以を問い質しているように感じた。

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しかし、今回はまさにこの血(血縁)を断ち切るしか生きるすべを持たない人々の物語である。こうした問題を正面から扱った小説、三浦綾子の「氷点」を思い出した。父親が殺人者、しかも殺された子供の家に貰われた殺人者の娘陽子が主人公で、ここではキリスト教の「原罪」がテーマとされていた。自分がいかに正しく生きようが人間である限り持っている血の中に含まれる過去の大きな罪。こうしたテーマではなかったかと思う。が今回はこの血の呪縛から逃れようとあがく人間の弱さや愚かさの方に力点が置かれ、少し主題が弱いような感覚を覚えた。つまるところ小説を読み終えたあとの読後感である。謎が解けた割にすっきりしないのである。感動や共感から少し距離のある小説だったのではないかと思う。

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この小説には主題とは別に様々な事象が並置されている。ある意味、読者によって読後感は微妙にずれる。本筋を赤線で引いてあるわけではないので、読者の赤線の引き方によって様々な解釈があるわけだ。実際、読書会でほかの人たちの意見を聴くと
社会の弱者という視点で読んだ方は、谷口が殺人犯の息子というだけで社会から受ける大きな圧力や批判、城戸が在日であることから受ける排除感を小説の主体として解釈されていた。あるいはこの小説は多色であるがゆえに見る角度で異なる色を発しているのかもしれない。私自身の読後感もそういう意味では一つの意見に過ぎない。




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2月の読書会

.16 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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2月の読書会のテーマは「海外文学」だった。
私は忙しさにかまけてフィッツジェラルドの「バビロンに帰る」を
読み始めたのだが、これは短編集で中には5篇の短編が掲載されている。
村上春樹の編訳である。最初の3篇を読み、第4篇の表題「バビロンに帰る」
を読んでる途中で読書会の日を迎えてしまった。
この短編を書いてる時期のフィッツジェラルドは愛妻とパリ暮らしなのだが
アル中で精神を病み始めている。時代は恐慌前のバブルに沸くアメリカと
恐慌後のアメリカが作品に深く影響していて、少し退廃的である。
バブルのアメリカと自分が一躍ベストセラー作家になり、美しい妻を娶った
輝かしい時期が重なり、恐慌とその後の退廃的なパリ時代が重なり
彼の書く作品には、この時代の香りが色濃く投影されている。
短編はどれも望みが叶いそうな主人公が最後には期待が裏切られる結末を
迎える。

今回、Mさんお勧めのウイリアム・ゴールディング作「蠅の王」を
8月の読書会の課題本と決めた。早速購入した。読むのが楽しみだ。

さて読みかけのフィッツジェラルドの続きを読みたいのだが、
次の3月の課題「女流作家」がすぐ目の前にあって、
なかなかそうもいかない。

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たまたま昨年末から読んだ女流作家の本が2冊ある。
どちらも共通して最近映画化されている。
一つは森下典子の「日日是好日」で
もう一つが西川美和の「永い言い訳」である。
読むとわかるが、映画化されるなりの内容を持った本で
読んで感じるところが多かった。

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「日日是好日」は初版は平成20年であるから10年以上前に
出版されている。茶道をやってる妹によるとお茶をやってる人の
間では話題になり、かなり前に読んだよと言われた。
作者は昭和31年生まれであるから世代は近い。
たぶんオイルショックの後、就職難の時代に社会人になっている。
正社員になれずに書く仕事をいろいろやってるうちに
こういう本を書かれている。私が大学を卒業した翌年
オイルショックで、以降就職難が長く続いた。
この本は仕事とは関係なく個人的に近所で始めたお茶が
わからぬままに続けてようやく最近になってやってることの
意味が分かってきたという実に息の長い物語なのだが、
実はこういう緩やかな時間の流れというものを描くのは
難しいのである。最後の方でお茶というものの真髄が
当人の中で「気づき」として現れる。当人の感じた静かな感動が
行間から伝わってきて、日本人としての共感のようなものを
感じさせる。長く読み継がれるいい本だと思う。

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今日も長々と書いてしまった。
もう一冊の「永い言い訳」については又他日
語ることにしよう。





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キネマの神様

.08 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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昨日は映画について書いたから今日は映画について書かれた
本の話をしよう。

原田マハという作家は本屋で新刊の文庫本を覗くたびに
驚かされる作家だ。というのは毎回異なる分野の小説が
並んでいるからだ。更にそれらの本が次々に様々な受賞
をしていて、ますます驚かされる。これは近いうちに直木賞
をとるんではないかと楽しみな作家である。

さて今回は映画の話。先日、久しぶりに懐かしい映画
「シネマ・パラダイス」をテレビ録画したもので見た。
イタリアの田舎での懐かしい日々、映画が唯一の娯楽で
街中の人々が夢中で映画館に足を運んだ時代。
父親を戦争で亡くした子供の成長物語だ。父親替わりの
映写技師との交流、そして別れ。「ふるさとには決して
戻るな」という言葉を胸に都会に出、映画人として成功を
おさめる。母親からその映写技師の死を知らされ、その葬儀
に立ち会うために始めてふるさとに帰ってくる。
互いに老いたが懐かしい人々、寂れた街、廃墟となった映画館。
今、世界のあらゆる田舎町で見られる光景である。
亡くなった映写技師が主人公に託したものがあった。
都会に帰り、座席に一人座り、そのフィルムを回す。
その映像は・・・・・・・・・
最後は涙が止まらない。

そしてしみじみ思うのだ。映画っていいな。

実はこの本は、この名作「シネマ・パラダイス」へのリスペクト
から生まれた作品である。

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39歳独身の歩(女性)は国内有数のデベロッパーの
シネマコンプレックスを中心とした文化・娯楽施設担当課長に
抜擢され、海外の大手シネコンとの業務提携を推し進めようと
していた矢先、社内の軋轢により、突然左遷の憂き目に会い、
会社を辞職する。そんな折、趣味は映画とギャンブルという
父が倒れ、多額の借金が発覚する。ある日、父が歩がかつて
記した映画に対する熱い思いの文章を勝手に映画雑誌の
編集部に投稿してしまったことから、歩はその映画雑誌社の
編集部に再就職することになる。

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ひょんなことから父が映画鑑賞後に書いていたメモを
押入れの中から見つけた歩はこれを映画ブログとしてスタート
させることにした。この映画ブログの設定が面白い。
ブログを仕切るのは「キネマの神様」そしてこの神様が
映画を見て回り、評論を提示する使徒として歩の父親を
ハンドルネーム「ゴウ」として登場させる仕組みだ。
最初のキネマの神様への報告は「フィールド・オブ・ドリームス」
これに多くの映画ファンが飛びつき、このブログはあっという間に
人気ブログに成長する。歩に続いて会社を辞職した女性の後輩が
結婚を機にアメリカに渡る。彼女もこのブログを読んでいて
これを英訳したいと申し出る。その結果、この映画ブログは
世界的な映画ブログとして急成長を遂げる。
ところがある日、このブログに反論や異論を投げかける強力な
映画評論家と思しき外国人がブログ上に現れ、「ゴウ」と意見を
闘わせることで、このブログはますます世界中の注目を
集めることになる。ここに登場する名画やその評論のやり取りが
実に面白い。やがて父の愛する小さな名画座の存続問題や
外国人の高名な映画評論家を交え・・・・・・・

とまあ、こんなお話です。実際、楽しいお話でした。




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1月の読書会

.20 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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今年は読書会のテーマの骨格をしっかりしたものにしようと
最年長のMさんの提案で皆でなにをやるかを話し合った。
その結果
1月 谷崎潤一郎を読む・春琴抄
2月 海外作家
3月 女流作家
4月 平野啓一郎・ある男
5月 未定
6月 谷崎潤一郎・痴人の愛
7月 未定
8月 海外作家の1作品(2月に決める)
9月 女流作家の1作品(3月に決める)
10月以降 未定
となった。どういうわけか、最近出席率が極めていい。
今回8人の出席を見た。継続は力なり?

さて、今回のテーマ、私が強く薦めた。
以前、テレビでこの谷崎潤一郎の春琴抄をテーマにした
読書会が企画されたことがあり、見ていて面白かった。
なにしろ、本が薄い。これなら皆読んでくれるだろう。

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さて春琴抄とは、こうある。「美しく残忍な盲目の三味線師匠
春琴と、喜悦を隠して尽くし抜く奉公人佐助。凄絶な師弟愛の
行方は?」またこうもある。「被虐趣味を超え繰り広げられる
絶対美の世界。文豪谷崎が到達した小説の神品。」
なんだか読む前にゾクゾクしてきますね。

内容の概略は知っていたが、読むのは初めて。さて

読み進むうちになんだこれはとその谷崎の書き方、手法の方が
やたら気になってしまった。普通の小説なら、当然のことながら
主人公に盲人の美少女春琴か彼女に生涯仕える佐吉を据える
ところである。ところがこの小説は谷崎自身が語り部になり
自分が最近手に入れた「鵙屋春琴伝」という小冊子について
語るというなんとも不思議で複雑な構成になっている。
つまり物語の主人公たる春琴と佐吉は谷崎の操る人形浄瑠璃
のごとく描かれるのだ。これは一体なんだ?

村上春樹が「雑文集」の中で語った言葉を思い出した。

「良き物語を作るために小説家がなすべきことは、結論を用意する
ことではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。どれくらい
自然に巧みにそれを積み上げていけるか、それが小説家の力量になる」

冒頭、大阪のお寺にある二つの墓の描写から始まる。場所は具体的だ。
次に作者が手に入れた「鵙屋春琴伝」なる小冊子が出てくる。
二人の家系がきっちり示されている。ふたりの間に出来た子供の行く末が
示される。物語が始まる前に読者は作者の用意した仮説によって、
これから始まる物語周辺事情が事細かに説明されることによって、
それが仮説であるにも関わらず事実の物語として自然受け入れて
いくことになる。物語の核心「二人の愛憎劇」については二人の心理状態も
含めて極めてさらりとした表現に終始している。
こうした表現から読者が受ける感覚というのは不思議だが物語が
虚構と知りつつ、妙にリアルなのである。作者は二人についてあまり細かい
描写をしていないというか避けている節がある。なのに物語の筋書きは
実に鮮明に心に残る。

この小説は実験的であると思った。がこの作品が谷崎の若い頃ならわかるが
油の乗り切った48歳頃の作品であることを考えるとこういう書き方をしても
十分読者の心を惹きつけられるとの自信を持って書かれた作品なのである。
巧みな確信犯である。

この作品の不思議さは子供は子供としての読み方ができるし大人は大人の
読み方が出来る。それにちょっとアブナイ人はアブナイ読み方もできることである。
映画で山口百恵と三浦友和が主演したというが、ちょっと違う気がする。
春琴を女装の玉三郎が佐吉を男装の玉三郎に演じさせてみたい。
あるいは先に述べたように人形浄瑠璃の方が観客に受けそうな気もするのである。





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