小学生への読み聞かせ

.02 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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新たなボランティア始めました。
母校福島小学校の生徒への本の読み聞かせです。
今年度の活動が実は先週から始まっていたのですが
初日は大阪にいて、出席できませんでした。
それで2回目の本日が私の初の読み聞かせ。

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今年始めこの読み聞かせボランティア募集が
出ていたのを見て、読書会仲間のTさんが申し込んで3月まで
やったところ、子供たちの熱心な瞳にすっかり魅せられてしまった。
4月から新たな体制でやるのだけれど人手が全く足りない
というので手伝うことにしました。

心の底では「大人に本を読めと言っても誰も聞いてくれないし
やっぱり鉄は熱いうちに打てだろう」と子供たちに希望を抱いて
参加したわけです。

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月2回、朝と昼休みの2回。朝は授業前の20分。
これを二人で行うので一人約10分。

ボランティアは4名、内2人は私とTさんの年寄り組、
残りふたりは子供さんが当小学校に通うお母さんです。
今回は4年生。ちょうど2クラスあるので、2人ずつに
別れて、とりあえず最初は私から始めました。

この日は書棚から谷川俊太郎の「わらべうた」という
詩集を持参。これを朗読することにしました。
まあ、この本は言葉の遊びのようなもので
いわゆる、オノマトペ。

例えば

       きりなしうた

しゅくだいはやくやりなさい
 おなかがすいてできないよ
ほっとけーきをやけばいい
 こながないからやけません
こなはこなやでうってます
 こなやはぐうぐうひるねだよ
みずぶっかけておこしたら
 ばけつにあながあいている
ふうせんがむでふさぐのよ
 むしばがあるからかめません
はやくはいしゃにいきなさい
 はいしゃははわいへいってます
でんぽううってよびもどせ
 おかねがないからうてないよ
ぎんこうへいってかりといで
 はんこがないからかりられぬ
じぶんでほってつくったら
 まだしゅくだいがすんでない

こんな具合、笑いがでて好評だったようすでホットする。

ほかの人のを見ているとどうも絵本を見せながら
読み聞かせというのが一般的であるようです。

Tさんは隣のクラスでオーヘンリーの短編集の中の
「賢者の贈り物」の絵本化されたものを持ってこられ
読まれた様子でした。なるほど。

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一度家に帰り、昼過ぎにまた出直しました。
お昼休み図書室で自由参加です。
だからこれは学年がばらばらです。

問題点もいくつか見えました。
例えば毎回、学年やクラスが異なるから
継続的な読み聞かせはあまり意味を成さない。
短い時間で完結というのは絵本ぐらいしかない。
絵本に特に偏見はないし、その奥深さは
読書会で学んでいる。
試行錯誤しながらやるしかない。





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はがき随筆作品集

.23 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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5月度のエッセークラブの集まりは大阪へ
出発する前日だった。その前日に仕上げた
データを持って串間印刷を訪ね、いつものように
パソコンにUSBを差込み、コピー機のA4の用紙を
少し固めに変えてもらって、カラー印刷を
行った。表はスムーズにいくのだが裏面は
連続コピーすると表裏がずれる傾向に有るため
手間だが一枚ずつ焼いていく。
これが甚だ時間を食う。

そうやって原稿25部を焼き終えた。

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当日の出席者は私を含めて5名。
昨年の様子からして、その日半分でも完成すれば
よしと考えて臨んだのであるが、2回目でもあるし
皆、慣れてきたのか、今回は作業の技能が甚だ
向上してなんと25部全て完成してしまった。
これは大したことだ。

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作業は皆さん持ち寄りのオヤツを食べ、お茶を飲みながらの
楽しい作業であった。

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これが完成品。
原価は1部350円。クラブでの単価を600円に決めた。
とりあえず皆1200円で2冊買う。
もっと部数のいる人はこれから注文を受け、次回の会で
また作ることにした。

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こんなに簡単に第2号ができてしまった。
でも嬉しいことだ。

通して読んでみる。この1年の作品から抜粋された作品。
ずいぶん前に書かれた作品。そうしたものが渾然一体となって
それぞれのメンバーの人生や生活や家族を物語ってくれる。

最近、思うのだ。アルバムに写真を残すより
思いを言葉にして残す方が残された家族に取って
ありがたいのではなかろうか。
言葉にはともに生きた共有される想い出が残る。

作品を通してメンバーそれぞれが言葉の重みを
自分のものとして受け止め始めていることを感じる。
言葉はもはや生きる伴侶なのである。




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5月の読書会

.20 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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カズオ・イシグロは気になる作家である。以前、英文学がテーマの時に買って少しだけ読んで時間切れで終わっていた。そしたらそれから1年後、ノーベル文学賞を受賞してしまった。そこで今回のテーマが「カズオ・イシグロ」なのだが、読み始めてその難解さにちょっと手こずった。前回の読書会は出席者3名だったが、主にこの「わたしを離さないで」が議論になった。難解である主な理由は、背後に隠れている。「クローン人間」や「提供」という言葉。なのだが、具体的にその問題に触れて詳しく書かれた箇所はほとんどない。読者はまさにそこに手がかりを求めて読み進めていくのだが、その解説は一切ないまま小説は終わってしまう。だから読後の感想は3人とも同じように「読みにくい。読後すっきりしない。二度と読みたくない。」およそこんな感じである。私はその時、まだ読書の途中であったが次のように意見した。「クローン人間や臓器提供に関する確とした物語をイシグロは緻密に練り上げ、頭の中で書かれたそれらの背景の核心部を消し去ってしまったのではないか。」と確かに微かにそれらの痕跡はあちこちに散りばめられているのだが、知りたいことは書かれていない。

それから数週間後、ようやくこの難解な小説を読み上げた。が変に納得してしまった。読後私の心の中に重く沈殿したものはなんであったか。それは限りない人間の孤独というものであった。イシグロはやはり、背後に流れるクローンや臓器移植の話ではなく人間を、それも現代の人間が抱える孤独を描きたかったのではないかと思うようになった。つまり背後に流れるクローンや臓器移植の問題はこの小説の中ではそれほど重要なテーマではなく、人間というものを違った切り口で切ってみせたのではないだろうか。そう思うようになった

我々人間を人間たらしめているものはなんだろう。血(血縁)と時(歴史)と交(交際)ではなかろうかと思う。血は一人の人間の生まれてきた系譜であり、出自であり、源である。時はひとりの人間の歴史上の位置であり、役割であるかも知れない。交は人と人との関係性であり、家族、友人、結婚、あるいは社会的な活動である。血と時を取り去り、交それもごく限られた交のみで一生を送らざるを得ない人々。それがこの小説で描かれた世界だ。物語のなかで、実はその交さえもなかった世界に教育を受けさせ、人同士の交わりを経験させる場所、それがこの小説の主人公たちが卒業後も懐かしく思い出すヘールシャムだったのだと読み進めるうちにわかってくる。彼らは知らず知らずのうちに血を求める。要するにクローンの元になった人間がどこかに生きているということに異常な憧れを抱く。クローンとクローンの元になった人間の違いはなんだろう。クローンには父も母も子も存在し得ない。人間の歴史という時の流れに点として存在し消えていく。イシグロはクローンを緻密に描くことで「では我々人間とはなんだろう」という問を発しているのではないだろうか。
我々の住むこの現代は都市化とグローバル化が極度に進み。我々は時として自身が依って立つ基盤の脆弱さを思い知らされることが殊のほか増えてきたように思える。都会の片隅で孤独に打ち震える人々に今一度、血や時や交によって自分が人間である所以を問い質しているように感じた。

物語は優秀な介護人キャシー・Hを主人公にして幼い頃過ごした施設ヘールシャムでの回想から始まる。主に描かれているのは親友トミーとルースとの微妙な三角関係である。3人は成人して介護人になるがやがてそれぞれが提供の時期を迎え、手術ごとに臓器を失って弱っていく。トミーと恋仲のルースが先に逝くが、最期に二人の仲を引き裂くためにトミーと恋仲になったのだと告白、残るふたりに幸せを掴めとそのチャンスを口にする。臓器提供が延期になるチャンスを求めて二人はかつてのヘールシャムの先生を訪ねるのだが、そのチャンスは実は存在しないということを知ってしまう。体の弱るトミーと最期の日々を過ごすキャシー。やがてトミーに死が訪れ、ひとり残されたキャシーの前に寒々とした光景が広がる。

イシグロはこの小説で背後を詳細に書くと物語がSFになってしまい、人間の物語性が薄れることを危惧してその痕跡をぼかしたのではないだろうか。3人の成長の物語と孤独な死を深く心に刻み付けるために彼は状況の設定を敢えて「クローン、提供」にしただけで他の設定も十分ありえたのだと思える。イシグロのインタビューを聞くとそのことがよくわかる。

このクローンたちが抱えるどうしようもない絶望感、孤独感。そうしたものが現代人の心を捉えるのではないか。そんなことを考えた。




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エッセークラブSAKURA

.25 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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毎日新聞社の宮崎支局長から6月2日に福岡で
開催される毎日ペングループ九州大会のための
各ペングループの活動状況を400字にまとめて欲しい
と言ってきた。経験は浅いのだがこの4月から
ペングループ「ひこばえ」の世話役になった。
串間のエッセークラブとの関連などを整理して
書いたので紹介しておこう。

   「ひこばえ」の活動状況紹介
    
 「ひこばえ」は平成8年「清武ペンクラブ」に
通っていた数名が独立する形で始まった。
 発足当時12名で始まった合評会は現在9名
と細々ながら続いている。会員のうち5名は串
間で、活動母体は数年前に開講された生涯学
習講座の延長で続く自主講座エッセークラブ
「さくら」である。会員は7名、内5名が「ひこばえ」
の会員を兼ねている。
 一昨年の暮れ、会員の長いあいだの夢であった
作品集「ひこばえ創刊号」を両クラブ合わせた
11名で自主制作した。手作りで完成した作品集は
家族や友人だけでなく、ご先祖様にも報告された
と聞く。引き続き、今春作品集「ひこばえ第2号」を
制作中である。随筆の書きっぱなしは如何にも
勿体無い。ゆくゆくは個人作品集をと思っている。
 切られても又芽を吹くひこばえにあやかってか
、最近合評会での会員同士の評が活発になって
きた。随筆は徐々に会員の人生の伴侶になりつつ
ある。

とまあ、こんな具合なんですが
この日の「さくら」の会合は会員の書いてきた随筆の
合評会を持参したおやつでお茶しながら楽しく
やったあと、はがき随筆作品集「ひこばえ」第2号の
原稿を皆でチェックしてもらいました。

皆の作品を作品集にまとめて読むとまた格別ですね。
昨年22作品、今年も22作品、これをあと3年続けると
110作品なります。ここらでひとまとめにして大判の
冊子にまとめたいものです。

そうそう、ひと月前に報告した3月度の月間賞をもらった件
その後、入賞盾と図書券を頂きました。
更に、4月19日にはMRTから電話インタビューがありまして
4月29日朝、MRTラジオから月間賞作品の朗読の後、
インタビューされた私の声が流れました。
それをTaさんがテープレコーダーに録音してくれまして
データを頂きました。

なかなか得がたい体験でした。






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4月の読書会

.24 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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4月の読書会は吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」
だった。いろんな意味で話題の本だ。
実は新聞の下蘭に広告として最初に出た日、ちょっと
気になるので切り抜いておいた。その日たまたま立ち寄った
コンビニになんとその漫画本が置いてあるのを見つけ購入した。
だがテーマも内容も時代がかっていて、なかなか読めないまま
数ヶ月が過ぎていた。

こういう時に読書会はありがたい。とにかく当日までに読まねばならない。
漫画本に何を気合を入れているんだという方、一度手に取って
ご覧になれば分かるのだが、主人公の学生コペル君の様々な
出来事や悩みが漫画で進行する中でおじさんのアドバイスが
文章として書かれていて、そこがいわゆるこの本の味噌なのである。
ここが少し手ごわいのだが、漫画本自身は小説版よりも内容が
簡略化されている。それでも文章については落ち着いて内容を
よく吟味しながら読み進める必要があり、ささっと読めるしろものではない。

調べてみると

昨年8月、マガジンハウスから漫画版と新装版が出されると、現在までそれぞれ版を重ね、170万部と40万部、累計210万部と爆発的な売れ行きをみせている。底本となった岩波文庫版もベストセラーランキング入りするなど、もはや一過性のブームを超えた社会現象と言ってもいいだろう。
 原作は、戦前、岩波書店で日本初の新書<岩波新書>を立ち上げ、戦後は雑誌「世界」の編集長として活躍した吉野源三郎が、1937年に子ども向けに書いた物語だ。
 その本がなぜか80年後のいま、ベストセラーになっている。

旧制中学二年(15歳)の主人公であるコペル君こと本田潤一は、学業優秀でスポーツも卒なくこなし、いたずらが過ぎるために級長にこそなれないがある程度の人望はある。父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中が1人いる。同級生には実業家や大学教授、医者の息子が多く、クラスの話題はスキー場や映画館、銀座や避暑地にも及ぶ。コペル君は友人たちと学校生活を送るなかで、さまざまな出来事を経験し、観察する。各章のあとに続いて、その日の話を聞いた叔父さんがコペル君に書いたノートという体裁で、「ものの見方」や社会の「構造」、「関係性」といったテーマが語られる、という構成になっている。

とまあこんな具合である。
そこで我々の話である。

「君たちはどう生きるのか」というテーマに対して
人生の末期にいる私は、これをどう読めばいいのだろう。
私につきつけられるのは「君はどう生きたか」という問いで、
更に言えば昔の自分に対して「君はどう生きたらいいか」
と問うてみることかもしれない。そんなことを考えながら
読んだ。

「学問の意義」について書かれた箇所
過去の遺産をどう引き継ぐか。学問することの意義。
学ぶ前に「なぜ学ぶのか」ということをじっくり考えさせる。
この章では、そこらがわかりやすく書かれてあり、そこから
学び始めると勉強というものがもう少しは身に付いたかと
思う。ここでは先達の知恵を学んだ上に自分の人生を
築けと言っている。記憶万能主義ではなく、記憶の上に
自分を打ち立てろと言っている。それに関して言えば
この小説が書かれた時代より、現在の方がよりそうなっている。
記憶の部分はパソコンやスマホ、インターネットの利用で
すぐに手に入る。それを使って何をするか。教育の価値や
社会の価値がそちらの方向へ向かっていて、そういう意味では
現在の方がより理にかなってきているのかもしれない。

「消費と生産」について書かれた箇所
学生のコペル君が「今、僕は消費するだけで何も生産できていない。
将来大人になって生産することで世の中に貢献したい。」というような
事を言っている。田舎で暮らしているとこの「消費と生産」という
問題は特に老後を生きる者にとっては考えさせられる。
都会で生活することは基本消費が肥大化することを避けられない。
大人になって生産に貢献したとしても生産が膨らめば膨らむほど
消費も膨らんでいく。それが私の実体験である。
退職後、田舎で暮らし始めて感じるのは消費の小ささである。
私はそうでもないが周囲は働けるうちはと生産に精を出す。
身近に畑で野菜を作るだけでも消費を減らし、生産を増やす。
都会暮らしで働かなくなった人はどうだろう。消費は縮まない。
生産は無くなる。なんか不自然な気がする。私などは腕力を使った
生産量は小さいので、趣味で知的生産をひたすら行っている。
それもありかなと思う。

最後に
結局話は「我々は老後をどう生きるのか」という話題になった。
これは大いに盛り上がった。

そうだ、まだ生きねばならないのだ。





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