2月の読書会

.17 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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今回のテーマは昨年読んだ本。まあ要はなんでも
いいのだ。
本音を言えばどういうわけか1,2,3月は予定が
立て込んでいて、テーマに作家を上げると
読む時間が取れなくて苦しいのだ。
ことしはいつかカズオ・イシグロをテーマに取り上げようと
言ってるのだが、いつになるか。
私自身、以前英米文学をテーマに取り上げたとき
フィッツジェラルドやサリンジャーを読んで
イシグロの「私を離さないで」を読んでる途中で
読書会を迎えた経緯があった。
ノーベル賞受賞後、イシグロの過去の講演をいくつか
聞いて益々、これは難しくても読んで
皆で話したいなと思った。
読むのは難解でちょっと苦しい、けれど1年に
1冊はそんな読書をしたいとおもう。
軽やかに生きているようでいてやはり人生は
重たいのだ。その重さをたまには実感したい時がある。

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今回出てきた本はみんな分野も好みもバラバラで
それはそれでこの混沌とした世相を反映しているようでもあり
実に面白かった。本の選定にはそれぞれの人柄が
表れて、そうそれぞれの人生なのだと、変に納得してしまう。

私は最近読みかけの宮城谷さんの「湖底の城」の話をした。
臥薪嘗胆、呉越同舟、西施、孫武、孫子の兵法・・・・・・・
と皆の知ってる話題から説明するのだが、ふーんてなもんである。
中國の古代史は実に面白い。でも手に取って入り込むまでが
敷居が高い。越えてしまえばなんてことはないのだが、
そう思って今回は漫画を持っていった。

もう1冊は山田太一編の「生きる悲しみ」という200ページ
ほどの文庫本。
この本の最初に一文を載せ、語られている。

ー前文略ー
大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、
心の持ちようなのではあるまいか?可能性があっても
あるところで断念して心の平安を手にすることなのでは
ないだろうか?
私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待
しすぎてはいないだろうか?
本当は人間の出来ることなどたかが知れているのであり、
衆知を集めてもたいしたことはなく、ましてや一個人の
出来ることなど、なにほどのことがあるだろう。
相当のことをなしとげたつもりでも、そのはかなさに
気づくのに、それほどの歳月は要さない。
そのように人間は、かなしい存在なのであり、せめて
そのことを忘れずにいたいと思う。
ー後文略ー

冬季オリンピックを毎日見ている身にははなはだ
消極的に聞こえる文章だが、歳をとってくると
言わんとすることがよくわかるようになる。

ここに集められたのは高名な作家の短編である。
しかし、深い。生きていることの重さを感じさせられる
一文一文が自身省みることの少ない自身の心の
奥底を覗かせる。時々はその蓋を開けてみるのも
悪くない。




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1月の読書会

.20 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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昨年12月の読書会の後、来月のテーマ何にしよう?
となったのですが、テレビの1時間ドラマで山本周五郎の
半生を扱ったものが面白くも秀逸だったので、
「山本周五郎はどうかな?」と提案したところ、お年寄りの
方々の賛同を得てすぐに決まってしまった。

昔、なんだかたくさん読んだ気がするのだが最近は
とんと読んでいない。慌てて弟の書棚を探すと上記
三冊が出てきた。短いのはないかと前日慌てて
「やぶからし」を読んだ。他のもパラパラめくっていると
「よじょう」、内容は覚えていた。ここに載っていたか。
といった具合。

ところがよく調べていくと出るわ出るわ。この人に
まつわる面白いエピソードが沢山でてくる。
昔は山本周五郎なる人物が一体どんな人なのか
知らずに読んでいた。亡くなられて随分月日が経つが
今頃になって、真剣にもう一度読んでみたいと
思うのである。

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小さい時に随分苦労して、小学校を卒業すると
銀座にある質店に丁稚として奉公する。
その質屋の名前が山本周五郎商店。主人の名は
山本周五郎、洒落斎の雅号を持つ文芸に理解のある
文化人。終生作家山本周五郎をバックで助け続けた。
本名は清水三十六(さとむ)、明治三十六年生まれだ。

作家仲間の尾崎士郎から「曲軒」とあだ名されるほどの
へそ曲がり。「文学に『純』も『不純』もあるはずがない。
よい文学と悪い文学があるばかりだ」と語る一方で、
「作者にとって読者から与えられる以外の賞はない」として、
直木賞をはじめ、あらゆる文学賞を辞退した。
・第17回直木賞「日本婦道記」辞退
・毎日出版文化賞「樅の木は残った」辞退
・文藝春秋読者賞「青べか物語」辞退

読んだことないし、知らんなーという方々のために
例えば黒澤明監督作品の
・赤ひげ・・・・「赤ひげ診療譚」が原作
・椿三十郎・・・・「日日平安」が原作
・どですかでん・・・・「季節のない街」が原作
市川崑監督作品で
・どら平太・・・・・「町奉行日記」が原作
・かあちゃん・・・同名
最近の作品では
「雨あがる」、「子連れ信兵衛」
映画、テレビドラマは数え上げるとキリがない。
読んだこともない人は多いけれどどこかで
山本周五郎の作品に出会っているんです。

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読書会が終わって部屋のロフトの自分の書庫を
調べてみると、あるわあるわ。11冊見つかりました。
そういえばこんなの読んだなとパラパラめくって
短編の詰まった「おごそかな渇き」を1冊取り出し
枕元に置いて早速読み始めました。
(昔読んだ本の内容を忘れているから又読める。
なんといって良いか・・・・・・安上がりではあるが)

享年64歳。若くして亡くなられとても残念ですが
我々はその膨大な傑作小説の一部しか知らない。

雑誌「サライ」の中に山本周五郎が死を覚悟した時に
奥さんに告げた言葉が記されていた。(写させてもらいます)

「自分はほんとうに幸せだった。かあさんのおかげで、
思うように仕事もできた。編集者にも恵まれたし、
食べたいものも食べたし、飲みたいものも飲んだし、
ぼくほど幸せなものはない」
「ぼくはきみと結婚するとき、きっと日本一の小説家に
なってみせるつもりだ、と誓ったっけ。もちろんその決心に
変わりはない。そのつもりで一生懸命がんばってきたのも事実だ。
しかし、残念なことに、とうとう日本一の小説家にはなれなかったなあ」

最期まで「山本周五郎」を生きた。見事である。





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ひこばえ

.11 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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今年最初の毎日新聞ペンクラブ「ひこばえ」
がいつものように日南のレストランとむらの2階で
開かれた。出席者は私を入れて8名+講師の
毎日新聞宮崎支局長

昼食を食べてコーヒーを飲みながら合評会
最近はみんな意見を言うようになった。
自分の作品を読み上げて、書き足りなかった箇所を
一生懸命説明する人。「そうそう、私もね・・・・」
と同意する人。「この文章、無駄、なくていいんじゃない。」
とバッサリ切る人。「ここ、段落つけた方がいいんじゃない。」
「この最後の文章、あっさりしすぎ、文体に似合わない。」
・・・・・・・・・
まあ、こんな具合に遠慮なく、意見を言い合い。
最後に支局長から最後のコメントを頂く。

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10月と12月に投稿した私の拙いはがき随筆を
紹介しよう。

   十五夜の綱引き
    
 十五夜の日に市木で綱引きが
あると聞き撮影に出かけた。
夕方稲藁を抱えた住民が集ま
ってくる。やがて太鼓と鐘の音
に合わせて古老が「そろーたー
そろーたよ・・」歌い出すと稲
藁を継ぎ足して太い綱を編む。
綱の真ん中に御幣を立てそこを
中心に綱引きをする。今は儀式
的だが昔は若者がよく喧嘩した
と年寄りが懐かしげに話す。そ
の後綱を皆で抱え運び、水田の
一角にとぐろ巻きにして供える。
豊作祈願はこれで終わった。
 月見の宴が始まり、招かれて
宴に加わる。夕焼けが終わった
頃暇を告げ、ふと見上げた空の
雲間から満月が顔を出した。


     郵便ポスト
    
 玄関の赤い郵便ポストが古く
なったので新しいのを買ったが
いまだ替えられないでいる。両
親2人だけのポストには22年前
に亡くなった父が墨で書いた孫
まで入れた家族8人の名があ
る。既に父を含め3人が鬼籍に
入り、3人は他所で暮らしてい
る。施設に居る母と私2人の名
を新しいポストに書かねばと思
う度に、気重で先送りしていた。
 家族で帰省した帰りぎわ、ポ
ストの前で記念撮影をした。帰
省中の様子を古い父の日記に見
つけた。最後に「息子たち4人
出発し急に寂しくなる。」とあ
った。その頃は気にも留めなか
った。今父と同じことを想う。




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湖底の城

.06 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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年末に風邪をひいた話をした。いいこともある。
その間、久しぶりに宮城谷昌光の「湖底の城」を
読んでいた。現在ようやく第6巻にたどり着いた。
7巻も出たようであるからまだ先がある。

宮城谷さんは随分長い間、中国の春秋戦国時代
つまり秦の始皇帝が中国を統一するまでの時代
を書き続けた人である。最近ようやくそれを脱し、
三国志などへ時代が進んできたのだが
ここへ来て再び春秋戦国時代へ逆戻りする。
越の名宰相 范蠡を描きかったというのである。

1月6日の毎日新聞の余録に面白い記事が出た。

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ご存知ない方のために、有名な故事「臥薪嘗胆」
の話から始めよう。インターネットで調べると
以下のような話が出てくる。

『史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は先年
攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自ら
も負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。闔閭は
後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、
夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉
通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの
痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』
には存在せず、『十八史略』で付け加わっている)。
まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。
勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の
馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて
越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その
一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れない
ようにした(嘗胆)。その間、強大化したことに奢った呉王
夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなど
して国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた
重臣の伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて
20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の
軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件
として王への復帰を認めなかったために自殺した。

この時、越王勾践を補佐して呉を滅ぼした名宰相が范蠡
なのである。この范蠡、越王勾践が呉を滅ぼすという
大望を遂げたあと、「狡兎死して走狗烹らる」と言って
越王の前から姿を消すのである。この言葉の意味は
賢いウサギが死ぬと猟犬が煮て食われるように、大業が
成れば功臣も用済みとなって殺されるという意味である。
なぜこの話が余録が引用されたかというと
アメリカ大統領トランプの元功臣、大統領選の選挙対策
最高責任者、政権で首席戦略官務めたバノン氏のことを
范蠡になぞらえたのである。そのバノン氏、首を切られて
牙をむいた。それがいま話題の暴露本である。

話が随分脇道にそれた。が昔の話と侮ってはいけない。
現代にも通用する故事が満載なのだ。さてその作家
宮城谷氏のことに話を戻そう。彼は范蠡のことをなかなか
書けないでいた。そこでその少し前に登場する稀代の武将
伍子胥の話から入ればいいと気づき書き始めた物語が
この「湖底の城」なのである。
呉という国は今の蘇州辺りである。実はこの西側に
巨大な国「 楚」がある。この物語は楚の国から始まるのである。

さてようやくこれから「湖底の城」のお話を語ろうかと思ったのだが
今日はもう随分たくさんのことを喋ってしまった。
いい加減お疲れでしょうから、この続きはまたにします。
ではお楽しみに






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広報くしま

.15 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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串間市にはなかなか立派な市報がある。
先日、日南市の方に見せたら随分立派ですねと
驚いておられた。編集の方もこの春から一段と
いい内容になったと思っている。

さてこの市報、最後のページに随想が掲載されている。
小さな市であるから、時々は知った人が載る。
そういったこともあって、いつか自分も載せることに
なるのかなとぼんやりと思っていた。

それはある日突然やってきた。1か月前の夜、
寿楽園で蘇鉄の会の打ち合わせが終わって
玄関を出ようとしたら、市の広報の人間が待ち構えていて
是非書いてくれという。こんなのは持ち回りだ。
断る理由もない。いいよと返事した。

なんとなく、考えていたことがある。
「あそび」である。誰に対して、子供に対してと
いうよりは大人に対して「あそび」を説きたかったのだ。

恥ずかしながら市報くしま12月号に掲載された
我が駄作を紹介しよう。


     大人は遊ばない?
  
 三年前、小学生へ詩をテーマにした授業をしたことがある。
夢、遊、想などの漢字を並べ「夢を持とう」「大人になっても
遊ぼう」と子供へ伝えたいことを文にしたら子供たちが怪訝な
顔をした。大人は遊ばないのだと思い込んでいたようだ。
大人は職業や役割という公の仮面をかぶっていて、素の自分
を子供の前に晒さない。まさか「遊んでばっかりおらんで勉強
せんね」といつも言っている母親が遊ぶなど考えられないこと
なのだ。
 小学校五年まで串間で育った。その頃は近所に同じ世代の
子供がたくさんいて、いつも山や川、海でよく遊んだ。その後、
遊びからは遠ざかったが、大阪で働いていた五〇歳の時、
友人に誘われて郡上八幡へ渓流釣に出かけるようになった。
山中の別荘には電話もテレビもなかったが春夏秋の2泊3日の
釣行は遊びが詰まっていた。近くを流れる渓流ではアマゴや
イワナがよく釣れた。男4人で自炊生活。魚をさばき、一夜干しに
する。炭火焼料理をつつきながら夜中まで酒を飲んだ。そうした
楽しい遊びを写真に撮り、それを小冊子にまとめて知合いに
自慢した。この頃、釣遊びの延長で料理や写真、文章書きが
身近なものになった。小冊子はやがてブログに変わり、日々の
ことを記す写真日記となった。その頃から書き続けているブログ
記事は今も続いていて、千四百を越えた。遊びが更なる遊びや
趣味を育ててくれた。
 六〇歳で会社を辞め、串間へ夫婦で帰ってきてすぐに別荘風の
住居を建てた。建築設計を生業としていたが、初めて自分の
ために設計し、居心地のよい空間を作った。さてこれから楽しい
生活が始まると思った矢先、妻が急逝した。
 妻の死を境に主夫になった。家事は楽しむことにした。毎日の
食事作りはもちろん、冬は金柑ジャム、初夏は梅ジャム、梅干、
梅酒を、夏は夏野菜を作り、秋には干し柿を作る。たまに漁師の
従兄弟にもらう魚を料理して辛口の日本酒を楽しむ。交際も
楽しむことにした。図書館主催の読書会に参加。生涯学習の
エッセークラブ、新聞社主催のペンクラブに入り、毎月はがき随筆
を投稿する。読書も随筆も写真も日々の何気ない事柄に価値を
見つけ出すことにほかならない。昨年ははがき随筆の作品集を
会員で作った。大人のための遊びとして企画した「大人の遠足」を
実施して2年になる。大束のおばちゃんたちが汽車やバスに乗り、
本城ひな祭りを歩いて巡るというものである。渓流釣も再開した。
毎年春秋と父の赴任先だった椎葉の民家を借り友人と自炊しながら
釣りを楽しんでいる。
 人と人、人と事、遊びは生きる上での潤滑油だ。子供の頃夢中で
遊んだ経験は成長して大人になり再び戻ってくる。子供たちは夢中に
なれるものを見つけて大人になって欲しい。いくつになっても遊びは
尽きない。大人になっても遊んでいいのだ。「ああ面白かった」と
最期を締めくくりたいものである。




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