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川上未映子 「夏物語」

.05 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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 年末から本屋を探し回っていたが、どうしても見つけられずにいた。ところが先日串間市立図書館で、読み聞かせ用の絵本を借りた時、司書に「これ予約されていた本です」と渡されて驚いた。そういえば読書会の後、「こんな本探してるんだけど」と毎日新聞の切り抜きを渡していたのを忘れていた。毎日出版文化賞受賞、本屋大賞ノミネートとちょっと気になる本だった。
いざ読み始めると「なんだこれは?」543ページあるうちの176ページがとにかく前段にしては圧倒されるようなおねーさんのおしゃべり、しかも関西弁だ。正直言ってもうどうでもいい話が延々と続く。内容は東京で作家を目指す女主人公のもとへ2泊3日で10歳年上の姉とその娘が訪ねてくる3日間の話である。何かが起こるわけでもないが、話の中に、姉妹の子供時代や過去の境遇が盛り込まれ、ついついこれは作者自身が自分のことを告白しているかと思うがやはり小説だよなと首をかしげながらそのリアリティの渦に飲み込まれていく。
ところが読み終わってびっくり仰天してしまった。この第1部と題した176ページは作者川上未映子が2008年芥川賞を受賞した受賞作「乳と卵」を大幅に加筆したものだという。
つまりそれとは知らずに作者が芥川賞を受賞した作品を読まされていたわけだ。こんなことありかと思っていたら、作者はこの「乳と卵」の登場人物たちの10年後をどうしても書きたくてこの「夏物語」を書いたというのである。
 何が彼女にこの小説を書くきっかけを与えたのだろう。昨年、埼玉に住む娘のところに
2人目が生まれた直後手伝いに2週間ほど行ったのだが、川上未映子の話をしたら、「出産前だったからこんな本読んだよ」と渡されたのが、川上未映子の「きみは赤ちゃん」だった。きっと彼女にこの小説を書かせたものは、ある日突然お腹に宿り、この世に出現した赤ちゃんの存在だった。
 だったらきっとハッピーな小説だろうと思われるかもしれないが、決してそうではない。伏線として描かれる男性は誰一人まともではない。おまけにこの小説の主人公夏子は、38歳とかなり妊娠が難しくなる年頃の設定だ。夏子は小説家の卵、最近初めて短編集を出版し、わずかながら生活にゆとりも出てきた。だけど一人になると心の奥底でささやく声がする。「これでいいんか 人生は・・・・・いいけど、わたしは会わんでええんか  わたしはほんまに  わたしは会わんでええんか後悔せんのか  誰ともちがうわたしの子どもに  おまえは会わんで  いっていいんか  会わんで  このまま」そういう心の声に反して、夏子には現在彼氏はいないし、若いころ付き合っていた恋人とはセックスに違和感と苦痛しか感じず、別れた過去がある。それでも女として生まれ、子供を生み出す能力を与えられているのに、もうすぐそれが無駄になってしまう。いろいろ調べていくうちにパートナーなしで、第3者からの精子提供による人工授精(AID)出産を渇望するようになる。
 色々調べていく中で、子供のできない夫婦の不妊治療やその果てに選択せざるを得なかったAIDの弊害も知ることになる。ここでは生まれてくる子供側の視点が示される。これらの集会で出会った逢沢という男性はAIDで生まれたことを大人になって突然知らされる。
これまで実の父親と思ってきた人の種ではなく、誰か分からない自分の父親を絶えず求めるようになり、「自分は何者か」という問いをいつも自分に突き付けて生きている。この逢沢の存在が、夏子に子供を作る行動を躊躇させる。父親のわからない子供は作るべきでないと。さて、夏子はどういう選択をするのか、それはここでは触れないでおきます。

 最近、性的少数者LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)が市民権を持つようになった。彼らも子供を作りたいとき、こういう問題に必ず突き当たる。この小説を読んでいると近い将来、旦那さんとかお父さんとかいった存在はもう必要とされなくなるのではという危惧を覚える。女性が経済力を持って自活していくようになると「子供は欲しいけれど、旦那はいらない」だから精子だけもらえばあとは自分で適正な時期を選んで注入するからというわけだ。そういう意味でこの小説は未来を暗示しているともいえるし、これまで社会通念としての道徳や家族といった骨組みが解体されたとき案外、動物に近い行動に回帰していくのかもしれない。熊はいつも母子一緒だ。父親は春に雌を求めて、自分の子孫を残す行動をとった後は知らん顔で去っていく。(最近、全く同じようなことが芸能界を騒がせているが・・・)

 先日、テレビで島本理生原作、三島有紀子監督「Red」という映画の紹介を見た。島本理生は17歳でデビュー、高校生で芥川賞の候補になった俊才だが2018年「ファーストラブ」で直木賞を受賞している。この「Red」のテーマは「良妻賢母の女性イメージに対する違和感」である。歴代の芥川賞、直木賞受賞者のリストを眺めていて思うのだが、女性作家が実に多くなった。男たちが築いてきた小説のテーマが大きく揺さぶられ、女にしかわからない世界を堂々と世に問うようになってきたのだと思う。社会通念や家族の意味、男女の社会的役割は昭和、平成、令和と時代が進むにつれ、様々な価値観が微妙にずれてきている。だが私自身は年を取ってそこらのことはかなり鈍感になっている。

 現在、読書会の4月の課題「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでいる。イギリス在住の日本人作家ブレイディみかこが現在イギリスで起こっている様々な出来事を子供というフィルターを通して書いていて面白い。いや正確には面白いどころではなく、現在世界で起こっている多様性社会の中で生きていくことの大変さを思い知らされ、やがてそれは日本の近未来を予見しているのだと思うと、私などはもうお手上げで「老兵は去るのみ」とあきらめるしかないのである。




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読書会

.18 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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2020年前期 読書会テーマ を以下のように決めて読書会メンバーに
伝えました。

1月 社会問題
2月 川端康成 「雪国」
3月 詩歌
4月 ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」
5月 絵本・児童文学
6月 F・スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」

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今年の文豪シリーズは川端康成でどうでしょう。冬でもあるし、
こたつに入って読む「雪国」などいいのではと2月に持ってきましたが、
7月以降にできればもう1冊読みたいと思いますので、半年の間に
読みたい本を考えておいてください。4月には昨年後半話題になった
図書を選定してみました。「本屋大賞2019 ノンフィクション本大賞受賞」
したちょっと毛色の異なる本です。本の紹介記事はこうです。

 英国で「ぼく」が通うイカした元・底辺中学校は、毎日が事件の連続。
人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。
時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり・・・・。
世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの
著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。私的で普遍的な「親子の成長物語」

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 6月は前回紹介した「20世紀の小説ベスト100」の中から選定しました。
アメリカで何度も映画化された名作「華麗なるギャツビー」を読みます。
さて1月ですが「非小説」としたかったのですが、我々が日頃直面している
様々な「社会問題」の中から気になるテーマや評論の中から自分なりの
発見をしてそれを紹介してください。新書などのコーナーから探すのも
いいかもしれません。
3月は「詩歌」です。久しぶりのテーマです。短歌、俳句、詩などから
好きな作家、好きな歌、好きな詩集、なんでも結構です。
皆さんが出会った詩歌をあるいは歌人や詩人をご紹介ください。
5月は「絵本」のみでもよかったのですが、少し幅を広げて、
「児童文学」までを含めました。


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本年も本とのいい出会いがありますように





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12月の読書会ー向田邦子「隣りの女」

.21 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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今年の読書会は充実していた。最年長の三浦さんの提案で
文学作品をしっかり読み込んでいこうというので、今では
いささか古い文学作品をしっかり読み込んだ。この1年を
振り返ってみよう。
1月  谷崎潤一郎「春琴抄」
2月  海外文学
3月  女流作家
4月  平野啓一郎「ある男」
5月  絵本・児童文学
6月  三島由紀夫「金閣寺」
7月  エッセー
8月  谷崎潤一郎「痴人の愛」
9月  趣味の本
10月 ウイリアム・ゴールディング「蠅の王」
11月 今年読んだお薦め本
12月 向田邦子「隣りの女」

御覧のように2か月に1回は共通の本を読んで皆で感想を述べる。
様々な視点があって楽しい。昨年末に1人増え、今年も後半に
2人増えた。2か月続けて9人の参加者で賑やかである。


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さて今回は向田邦子の「隣りの女」
少し驚いたのは、向田邦子を初めて読む人が意外や多かったことだ。
それに最初の文中に「昭和の香り」がしたという女性の意見が多かった。
そういえばこの作品は、ミシン掛けの主婦の情景から始まるのだが、
「今や、そんな風景は田舎でも見ない」という。そういうことに主婦は
敏感だ。なるほどね。

女性の意見を拾ってみると
まずは読んでびっくりしたと一声。誰が選んだの?なぜこれを選んだの?
(そうそう、こういう驚き感を期待していたのですよ)
・亭主の集太郎が人間的にできすぎだ。ファンタジーすぎる。
・サチ子(主婦)と峰子(隣の女)は互いに持っていないものにあこがれている。
・ないものねだり。隣の芝生は青い。
・放送作家としても物語の面白さがある。
・音→耳→想像
・一人の世界
・行動する女
・昭和感満載

一方男性の意見は
・小説家らしさが乏しい。
・肌合いが違う。
・陽だまりのほっこりした感覚。窮屈さのないいい時代。

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代表作はたくさんあるのに、この一風変わった短編が好きだ。気風がいいというか「とんでもないこと」が起きているのにあっけらかんとしていて、最後は実にうまく元に収斂していく。たしかテレビドラマになったものを最初に見た記憶がある。「平凡な日常を生きる主婦」がある日突然「ニューヨークを闊歩している」。いったいどこをどうつなげれば納得のいく物語になるのだろう。この物語は「日常と非日常」を実に明快に描いて見せてくれる。
 私自身、仕事で毎日忙しくしていたころ、夢想したのは「山や川でのアウトドアライフや旅行」だった。それでも少なくとも時間とお金は必要で、突然ということはまずなかった。そしてたいていは時間かお金で挫折するのである。しかしこの「日常と非日常」という言葉は好きで、自分の人生の中でも意識的に使っているような気がする。そしてもう一つ大切なことは「日常→非日常→日常」という関係性ではないだろうか。つまり、「非日常によって活性化された日常」と考えると非日常というものをうまく使いこなせば日常が少しは輝いていくということである。
 この小説はこの辺りを実にうまく描いている。大事件のあとなのに、最後はこの夫婦うまくいきそうだなと実にうまくまとめている。雨降って地固まるかなと思ったりするが、実はよく読むと夫婦仲が倦怠期で非常に危険な状態というのでもない。普通なのである。
その普通であることが実に入念に描かれている。隣から聞こえてくる駅名、谷川岳という未知の山。夢想が普通の生活に忍び寄ってくる。
 向田邦子という放送作家は実に忙しい日常を生きている。彼女は救いを旅行に求めた。実に多くの地を旅している。多分、彼女は「日常→非日常→日常」をそうやって繰り返していたのではないだろうか。彼女の作家たる所以は46歳時の乳がん手術以降にある。それまでテレビドラマ主体の人気放送作家だったが、この後、小説やエッセーを主体に書くようになる。そして51歳の時、「思い出トランプ」の中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞を受賞。翌年、ニューヨークロケに同行した「隣りの女」がTBSで放映される。
この年、8月22日台湾旅行中、飛行機事故で死去。
 向田邦子の作家としての風景は、放送作家としてとにかく素早く物語を作って流すというただただ忙しさに満ちている。放送作家から作家へ少し矛先が変わったとすれば、それは40代で発症した乳がんだ。放送の仕事を一旦はすべて打ち切り、病気と向かい合った後に小説家としての向田邦子が立ち現れてくる。ただ書く姿勢は変わらなかったのかエッセーや短編に良い作品が多い。今読んでも元気はつらつとした向田邦子の姿が言葉の端々から立ち現れてくる。

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朗読講座、読書会をはしごする

.20 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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先々週の土曜日、朗読講座の第5回と11月の読書会が重なってしまった。
朗読講座の途中、中座して読書会へ行った。


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この日の朗読講座は第5回目。今のところ皆勤である。ところが先生が
厳しいのか、皆さん忙しいのか、出席者がだんだん減り、この日は
10人の参加者。始まる前に先生に途中で読書会に抜けることを告げた。
講座の方は
第1回 蜘蛛の糸(芥川龍之介)
第2回 旅の人・島の人(俵万智)
第3回 和尚さんと河童(中村地平)
第4回 お辞儀(向田邦子)
第5回 無名の人(司馬遼太郎)
ときて、後は
第6回 クリスマスの鐘(アメリカ昔話)
を残すだけになったが、これは別の用事があり受けられなくなった。
教科書に選ばれた種々の作品のバランスは実に絶妙で、私は
予習をしていかないのだが、当日読んだり、皆が朗読するのを聞きながら
いい作品を選定しているなと感心しながら、小学校や中学校時代、
新学期前に手に入れたばかりの国語の教科書を楽しくむさぼり読んだ
ことを思い出した。多彩な文章を適度な分量で読む。たったそれだけで
様々な世界の広がりを感じたものだった。
読書会では1冊をしっかり読み込むのだけれど、こうして様々な作者の
書いた世界を一部のぞき見、しっかり声を出して朗読するだけでその
エッセンスのなにがしかが得られるような気がするのです。
雑談中、先生にそのようなことを言ってみた。「その通りです。文章には
その作家の様々なエッセンスがあって、それを感じながら朗読するのは
楽しいでしょう」この日は、私も、授業中にずいぶんいろんなことを
しゃべった。例えばこの日の司馬遼太郎について「大阪に司馬遼太郎
記念館がありまして、自宅の横に安藤忠雄の設計した記念館が
あるんです。自宅の書斎には・・・・・・・」


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時間が来たので、片づけて図書館へ向かう。
この日のテーマは「最近読んだ本、お薦めの本」
私は先日このブログで書いた「山本周五郎賞受賞作品」をテーマにした
文章をA4サイズ2枚ほど書いて皆に紹介した。
紹介した作品は
・平場の月(朝倉かすみ)
・明るい夜に出かけて(佐藤多佳子)
・そして、バトンは渡された(瀬尾まいこ)
内容は以前書いたのでここでは触れない。
皆さんいろいろ紹介してくれた。いくつか挙げると
・あいびきから(永井龍男)
・歎異抄(梅原猛)
・彼女の場合は(江國香織)
・ナーダという名の少女(角野栄子)
・森があふれる(彩瀬まる)
・実録満鉄調査部
・やさしい日本と世界の経済のはなし(熊野剛男)
などなど

実はこの日、驚くことが一つ。新人が二人増えたのです。
まだ若い久保田さん(女性)と年配の水元さん(女性)
結局この日の出席者は9人(7人+2人)

そうそう、この日準備したものがもう一つあります。
来年の読書会で何を読むかというので
私が思いつく作品を15点ほど挙げました。
他に「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100(モダン・ライブラリー編集部選)」
と毎日新聞第73回読書世論調査
「平成を中心に活躍した心に残った作家」と「20世紀の心に残った作家」の
一覧を提示しました。が三浦さんから提案があり
「山口さんと私とで推薦案を半年分とりあえず作ったら」と
いうことになりましたので次回の読書会までには
作りたいと思います。

次回の読書会は「向田邦子の隣の女」です。
今年初めての試みでいろんな本を読みましたが
来年もこのスタイルを踏襲していくつもりです。

読書会が終って、日垣さんと武田さんに残ってもらい
本城小学校の子供たちへの読み聞かせの相談をしました。
現在、日垣さんが一人でやっておられて大変なのだそうです。
武田さんと私が加わりますからということにしたのですが、
新人二人に本田さんも加わり、私たちもやりますというので
この日、読み聞かせボランティアが結成されてしまいました。

「読書」を通じた輪が少し広がったように感じて
とても嬉しい一日になりました。





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10月の読書会 「蠅の王」

.26 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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前回入院されたと聞いていた三浦さんが久しぶりに出席。
なんでも脈拍が30ぐらいに下がったという。「30に下がったら
どうなるんですか?」と問うと、意識を失って倒れてしまうのだ
そうです。その復帰された三浦さんご推薦の
ウイリアム・ゴールディングの「蠅の王」が今回のテーマで、
半年前から決まっていたのだが読み終えたのはごく最近のこと。
以前映画化されたその映画の記憶はあるのですが、作者も作品も
知らなかったのですが実はこの作者ウイリアム・ゴールディングは
1980年に「通過儀礼」でブッカー賞を受賞。1983年にノーベル
文学賞を受賞している。
「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」というのがあって
この作品は第41位にランクされています。ちなみに1位から
5位を並べてみますと
1.ユリシーズ(ジェイムス・ジョイス)
2.華麗なるギャツビー(F・スコット・フィッツジェラルド)
3.若い芸術家の肖像(ジェイムス・ジョイス)
4.ロリータ(ウラジミール・ナボコフ)
5.素晴らしい新世界(オールダス・ハクスリー)
以前読書会で読んだジョージ・オーウェルの「1984」が13位です。
これからの読書会の参考になる資料です。

ということでこの作者も作品も超A級だったんですね。知らなかった。

この日の出席者は7名。皆さんよく読み込まれていて、充実した
読書会でした。いつものように読書感想文を書いてみました。

「蠅の王」  ウィリアム・ゴールディング
2019年10月の読書会                20191026

物語は南太平洋の無人島に不時着した少年たちが、初めは大人のいない楽園での生活を愉しむが、やがて内なる獣性が目覚めて陰惨な闘争が始まり、楽園は悪夢の世界と化す。
読んでいるうちに、不思議な違和感を覚える。まるで舞台劇を見ているようで、時間も空間も限定的である。これは何かの寓意が込められていると感じるのだが、それが何かわからない。筋書きの嫌な流れ、限定的枠組み。あらゆるものが「そうではないだろう」と思う方向へ引っ張られていく。350ページの内、300ページになってもその流れは変わらず、最後の50ページはいきなりギアチェンジして悪い流れが加速していく、主人公が追い詰められ、狂気のなかで「死」を覚悟した瞬間、救われて終わる。
なんだこれは、この違和感は。解説を読んで初めてそれらの寓意がなんであるかはっきりしてくる。そして、ことの全貌、作者の意図が鮮明に浮かびあがってくる。読み終えてしばらくして、この本の趣旨が痛いほどわかってくると、現在世界で起きているテロや戦争、日本のニュースで騒がれている様々な社会問題、そのすべてがこの本が示した図式と同じであることに気づき慄然とする。
作者ウィリアム・ゴールディングは第2次世界大戦に海軍で参加している。そこで彼はドイツ軍が行った同じ人間に対する人間らしからぬ行為に衝撃を受けるのである。そこで彼は考えた末に物事の真理にたどり着く。「それはニューギニアの首狩り族やアマゾンの未開部族がやったのではない。文明の伝統を背負った医者や法律家などの教養のある者たちが、同じ人間に対して行ったのだ」なにが「白人の責務」かというわけだ。そしてさらに重要なのは、「私にはナチスが理解できた。私にもその種の性質があるからだ」という述懐だ。悪はナチス・ドイツという外部にのみあるのではなく、自分の中にもあるという恐ろしい認識を得たのだ。さらに、そのナチスの悪を諫める側のアメリカがその直後に2発の原爆を使用し、その人類に対する悪意は他の国々に伝搬していき、今では多くの国々が核兵器を所有するに至っている。悪意の連鎖は現在も止むことがない。
この本は「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」と同じように善意の物語として始まる。最初、島に不本意ながら不時着した少年の誰もが理想郷を夢見た。ところが時がたつにつれてそこは地獄と化していく。この本はこれからもディストピア小説の金字塔として長く読み継がれるのではないだろうか。人間が存在する限り・・・・
この本が示している図式を日本の社会問題に当てはめてみよう。例えば地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教団の幹部たち、遡れば赤軍派、どれもこの図式に当てはまる。最近では、兵庫県神戸市の小学校で起きた教諭いじめ事件、これなどもこの小説が示す図式にぴたりとはまるような気がする。子供たちのいじめ問題がなくならないのは全くこの図式が示すとおりである。このことは何処にでも起こりうる。ある日、自分がラルフになっていて皆からいじめを受けるかもしれないし、ある日自分がジャックの取り巻きになって他人をいじめているかもしれない。そしてその可能性は恐ろしいくらいの確率で起こりうるのだ。なぜなら、原因が外にあるのではなく、内なる自分自身にあるからである。
キリスト教社会では「原罪」という考え方が広く浸透している。それ故にアダムとイブはエデンの園を追われる。その子供ケインとアベルには兄弟間で最初の殺人が起こる。旧約聖書はその始まりから人間の罪深さを説いている。そうした考え方の延長にこの作品は立っている。子供は昔から純粋無垢とされてきたが、虐待など環境のせいではなく、子供の内面には本来悪が潜んでいるのではないかという考えに基づいたいくつかの作品の上にこの「蠅の王」があり、少年たちが凶暴化するのは幼児虐待を受けたというような環境のせいではなく、特殊な悪い遺伝子のせいですらなく、要するに人間は誰でも暴力性を生得的に持っているという人間観に基づいている。
現在の世界のありようを見て誰がそうではないと言い切れるのだろうか。「怖い小説」を読んでしまった。読書会に感謝。
 



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