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1月の読書会

.20 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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今年は読書会のテーマの骨格をしっかりしたものにしようと
最年長のMさんの提案で皆でなにをやるかを話し合った。
その結果
1月 谷崎潤一郎を読む・春琴抄
2月 海外作家
3月 女流作家
4月 平野啓一郎・ある男
5月 未定
6月 谷崎潤一郎・痴人の愛
7月 未定
8月 海外作家の1作品(2月に決める)
9月 女流作家の1作品(3月に決める)
10月以降 未定
となった。どういうわけか、最近出席率が極めていい。
今回8人の出席を見た。継続は力なり?

さて、今回のテーマ、私が強く薦めた。
以前、テレビでこの谷崎潤一郎の春琴抄をテーマにした
読書会が企画されたことがあり、見ていて面白かった。
なにしろ、本が薄い。これなら皆読んでくれるだろう。

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さて春琴抄とは、こうある。「美しく残忍な盲目の三味線師匠
春琴と、喜悦を隠して尽くし抜く奉公人佐助。凄絶な師弟愛の
行方は?」またこうもある。「被虐趣味を超え繰り広げられる
絶対美の世界。文豪谷崎が到達した小説の神品。」
なんだか読む前にゾクゾクしてきますね。

内容の概略は知っていたが、読むのは初めて。さて

読み進むうちになんだこれはとその谷崎の書き方、手法の方が
やたら気になってしまった。普通の小説なら、当然のことながら
主人公に盲人の美少女春琴か彼女に生涯仕える佐吉を据える
ところである。ところがこの小説は谷崎自身が語り部になり
自分が最近手に入れた「鵙屋春琴伝」という小冊子について
語るというなんとも不思議で複雑な構成になっている。
つまり物語の主人公たる春琴と佐吉は谷崎の操る人形浄瑠璃
のごとく描かれるのだ。これは一体なんだ?

村上春樹が「雑文集」の中で語った言葉を思い出した。

「良き物語を作るために小説家がなすべきことは、結論を用意する
ことではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。どれくらい
自然に巧みにそれを積み上げていけるか、それが小説家の力量になる」

冒頭、大阪のお寺にある二つの墓の描写から始まる。場所は具体的だ。
次に作者が手に入れた「鵙屋春琴伝」なる小冊子が出てくる。
二人の家系がきっちり示されている。ふたりの間に出来た子供の行く末が
示される。物語が始まる前に読者は作者の用意した仮説によって、
これから始まる物語周辺事情が事細かに説明されることによって、
それが仮説であるにも関わらず事実の物語として自然受け入れて
いくことになる。物語の核心「二人の愛憎劇」については二人の心理状態も
含めて極めてさらりとした表現に終始している。
こうした表現から読者が受ける感覚というのは不思議だが物語が
虚構と知りつつ、妙にリアルなのである。作者は二人についてあまり細かい
描写をしていないというか避けている節がある。なのに物語の筋書きは
実に鮮明に心に残る。

この小説は実験的であると思った。がこの作品が谷崎の若い頃ならわかるが
油の乗り切った48歳頃の作品であることを考えるとこういう書き方をしても
十分読者の心を惹きつけられるとの自信を持って書かれた作品なのである。
巧みな確信犯である。

この作品の不思議さは子供は子供としての読み方ができるし大人は大人の
読み方が出来る。それにちょっとアブナイ人はアブナイ読み方もできることである。
映画で山口百恵と三浦友和が主演したというが、ちょっと違う気がする。
春琴を女装の玉三郎が佐吉を男装の玉三郎に演じさせてみたい。
あるいは先に述べたように人形浄瑠璃の方が観客に受けそうな気もするのである。





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ひこばえ忘年会

.07 2018 読書 comment(0) trackback(0)

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今年最後の「ひこばえ」のはがき随筆合評会は忘年会を兼ねて
いつもより少しだけ豪華なコースの昼食会になった。
場所は油津港に面した住宅街の中、お店は普通の住宅を
改造したもの。地図を事前に見て出かけた。
ところが道路沿いにそれらしいお店がまったく見当たらない。
港に車を停め、もう一本奥の住宅街の中の道路を歩いてみるが
そこにも見当たらない。

ウーン、困ったぞと思っていたら。軽自動車数台が
停まった場所で何やら数名の女性が持ってきた芋やみかんを
分けている。近づくとなーんだ、仲間だ。「芋いらん?」と
十数個袋に入れてくれる。「ところで今日のお店はどこ?」
「ウーン、どっか住宅街の中んごたる」と曖昧である。
付いていくと住宅街の2つ奥の道路沿いにあった。

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皆が揃ったところで、まずはお食事。ウーン、イタリアンかな。
けっこうボリュームがありました。美味しかったですよ。
お店の名はアン・シャンテ

食事が終わって各自の持参した作品を読んで互いに評をする。
今回はみんなチェックがきつい。手直しが大変とため息をつく。

終わって支局長が帰られた後、少し話をする。
鹿児島、熊本、宮崎の三県合同になって掲載される割合が
減った。モチベーションが下がっているのが分かる。
自分の中ではこうしようと考えながらやってるつもりでも
全体のモチベーションも大切だ。
なにか考えなければ・・・・・・・・・

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その日はいつもより海寄りだったので車ですぐに
日南を出てしまった。いつもなら本屋に寄ってグズグズしているのだが
その日は目井津港に立ち寄った。
娘(姉)がマグロの煮付けの真空パックが欲しいというので
チリメンジャコと合わせて娘二人に送ってやることにした。

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ここの道の駅はいいものがたくさん置いてある。
買い物を終え、自宅へ帰り、すぐに宅急便のお店へ
急ぎ適当な箱を探してもらってその場で箱詰めし
送った。ああ、そうそうその日もらった芋も一緒に
送りました。

今日はマメでとってもいいお父さんしました・・・・・・・・




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11月の読書会 「老い」

.17 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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毎日が少し騒々しい。
文化会館と図書館は隣り合わせに建っている。
この日、隣の文化会館大ホールでは昼と夜の2回
天童よしみの歌謡ショーが開催されていて、
串間中の人間がどっと集まっている。
かたや、同じ文化会館小ホールでは串間市美術展が
開催されているのだが、少しくらい立ち寄って見てくれるのかと
観察していたが、ほとんどの人がスルーである。
串間の文化とは?
少し考えさせられる。

更にその向かいの図書館ではそんなことに関係なく
いつものように密やかに読書会をやっているのである。

今回は、最高齢のMさんの提案で「老い」をテーマにした。

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忙しかったこともあるが直前までなんの本がいいか
思いつかない。やっと思い出した。中野孝次氏の作品に
確か老後のことを書いた本があったことを思い出した。
ロフトの本棚を探してやっと見つけた。
中野孝次作 「閑」のある生き方

「閑」とはあまり聞きなれない言葉だ。
本文の中にこうある。

 昔から、人が己に会うとは、全体としての自分に会うことを
さして言う言葉だった。ふだんの外の世界を相手にしている
自分ではなくて、丸ごと全部の自分というもの。それと会うとは、
頭の働きではなく、心の働きに属する事柄だ。
 多忙の中にあってはそういう心の世界には入れない。
一人きりになって、他に気を紛らわせる何もなく、「閑」という状態に
身を置くときだけ、人は全体としての自分を取り戻す。それが
生きるということだ。わたしが老年を人生の一番いい時だというのは、
そこではすべての時間がまるまる自分のもので、時間を世間の
ために奪われないですむからだ。
 つまり人は「閑」の中でのみ真に自分の人生を生きることができる。

どれくらい前に読んだのだろう。50歳前後あたりかな。
第1章に「老年の準備は40代から始めよ」とあり、思わず笑ってしまう。
はいはい、私の場合は50代からでしたがそうしましたよ。
でもこの本、実は40代の龍太郎君宛に書かれた形式を採っている。
だから働いている人向けなのです。
まあ、今読んでも仕方ないかとも思うが、セネカ、徒然草、鹿島祥造、
良寛、エピクテートス、老子、ヘッセ、キケロ、鈴木大拙、などの言葉が
引用されていて、なかなか渋くて滋味のある本です。

もう一度「閑」に浸ってゆっくり読んでみることにします。




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10月の読書会

.27 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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10月の読書会のテーマは秋にちなんで「スポーツ小説」

なんか前に一度やった気がして調べてみると

2014年8月22日 「第7回読書会  スポーツ小説」                 
下のような読んだ本のメモ書き(いくつかその後読んだものをプラス)
を残していた。

野球
  ナイン(川上健一)
  バッテリー、グラウンドの空(あさのあつこ)
サッカー
  龍時(野沢尚)
  サッカーボーイズ、サッカーボーイズ13歳、14歳(はらだみずき)
剣道
  武士道シックスティーン、武士道セブンティーン、武士道エイティーン
  武士道ジェネレーション(誉田哲也)
ボクシング
  ボックス(百田尚樹)
相撲
  渾身(川上健一)
サイクリング
  自転車少年記 あの風の中へ(竹内真)
競馬
  優駿(宮本輝)
  ジョッキー、GO-ONE(松樹剛史)
  シービスケット(ローラ・ヒレンブランド)
飛び込み
  DIVE(森絵都)
短距離走
  一瞬の風になれ(佐藤多佳子)
長距離走
  ららのいた夏(川上健一)
  風が強く吹いている(三浦しおん)
  ランナー(あさのあつこ)
テニス
  青が散る(宮本輝)
  ウインブルドン(川上健一)
バスケット
  走れ T校バスケット部(松崎 洋)

お気づきのようにどちらかというと少年向きの小説が多い。
それに映画化されたものが多い。
ならばスポーツはブンガク的ではないのか?
本格的な小説でスポーツはないのか?といった話になった。
新田次郎の山岳小説はどうだろう。

登山がスポーツなのかは分からないがインターネットで
調べてみるとあるわあるわ・・・・
あれっと思ったのは大好きなジェフリー・アーチャーが
山岳小説を書いていたこと。今度読んでみよう。

「孤高の人」 作者:新田次郎
「神々のいただき」 作者:夢枕 獏
「黒部の山賊」 作者:伊藤 正一
「青春を山に賭けて」 作者:植村直己
「北壁の死闘」 作者:ボブ・ラングレー
「春を背負って」 作者:笹本稜平
「残された山靴」 作者:佐瀬稔
「剱岳」 作者:新田次郎
「灰色の北壁」 作者:真保 裕一
「凍」 作者:沢木耕太郎
「バーティカル・リミット」 作者:メル・オドム
「遥かなる未踏峰」 作者:ジェフリー アーチャー
「ジャラナスの顔」 作者:ロナルド・ハーディ
「大クレバス」 作者:フリゾン・ロッシュ

次回は最高齢のMさんからの要望でテーマは「老い」
ウーン・・・・・ムツカシソウ

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実は読書会は土曜日の2時半から4時までなのだが
この日、1時から3時まで「朗読ボランティア養成講座」が
あったのでそちらに行って、ビシビシ講師に鍛えていただきました。
今回の読本は「葉っぱのフレディ」

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これは同じ週の火曜日午後開催のエッセークラブ「サクラ」
こちらは書く方です。
まあ、今週は「書く、読書する、朗読する」と結構ブンガク的な
日々を送っていたことになります。(ホントかな?)




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秋刀魚

.14 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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秋刀魚の歌
 
 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 思いにふける と。

 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ
 秋風よ
 汝(なれ)こそは見つらめ
 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
 いかに
 秋風よ
 いとせめて
 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ、
 夫を失はざりし妻と
 父を失はざりし幼児とに伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて、
 涙をながす、と。

 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩っぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。
                     ( 佐 藤 春 夫 )

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今年はサンマが大漁でたくさん食べられそうですね。
都会生活をされている人にとって、さんまを炭火で焼いて
食べるなどというのは実に贅沢なことであるかもしれませんが
我が家ではその気になれば実に簡単なことです。
縁側に置いた七輪に炭を入れ、火を起こし、買ってきたサンマを
乗せれば、しばらくすると秋刀魚の油が炭に落ちて
炎が立ち上ります。香ばしい秋刀魚の油の匂いが食欲をそそります。
そうそう、大根おろしが欠かせませんね。

大阪で仕事をしていた頃、和歌山県の新宮でイオンの
ショッピングセンターを作っている間、毎週大阪から泊りがけで
通ったのですが、ある時南紀勝浦の旅館に泊まった朝、駅前に
石碑があるのに出くわしました。それがこの佐藤春夫の
「秋刀魚の歌」でした。

でもよく読むとこの詩、意味深ですね。一体どういう状況で
詠まれた詩なのでしょう。

最近、ノーベル賞の文学賞で川端康成に決まるまでの経緯が
ノーベル財団から公表されました。谷崎潤一郎と川端康成の
ダブル受賞の可能性が高かったという驚くべき事実があったと
ありました。

この詩はその谷崎潤一郎の私生活に触れた実に赤裸々な詩
なのです。谷崎と佐藤は親友でお互い親密な付き合いを重ねていました。
谷崎の夫人千代とその間にできた長女鮎子がこの詩の登場人物です。
谷崎が千代の妹に懸想して留守の間、訪ねてきた佐藤と婦人と子供が
秋刀魚を夕餉に食べている様子を歌ったのがこの詩なのです。
夫潤一郎の不実を嘆く千代、その千代に深く同情する佐藤。
なんとこのあと、谷崎は佐藤に「妻千代をお前にやる」と約束するのですが
千代の妹との再婚がままならず、その約束は守られませんでした。

佐藤はこのことを非常に怒り、谷崎との友情関係は壊れてしまいます。
数年後、谷崎は文藝春秋社の女性記者といい仲になり、結局千代と離婚します。
その時、谷崎は佐藤を呼び出して、千代をもらってくれと言って千代を
送り出すのです。結局、佐藤春夫は千代と子供の鮎子共々引き取って
新しく円満な家族を作ります。

谷崎はこの女性との関係は2年ほどで壊れ、次に当時人妻であった根津松子に
しつこく結婚を迫り、ついに再婚を果たす。「細雪」の4姉妹の二女幸子は松子を
モデルに書かれたものである。谷崎の恋愛遍歴はこのように多彩ではあるが
その都度真剣でそれはそのまま作品へと昇華している。それもまた見事である。

一方、詩人佐藤春夫の秋刀魚の歌は佐藤の代表作として今に残る。
こういう背景を理解しながら今一度この詩を味わってご覧なさい。
ここでは秋刀魚の温かさのみが際立って千代、鮎子、春夫の気持ちとは裏腹に
なんともならない現状にただ不安といらだちにおののく心が漂っています。





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