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7月の読書会ーエッセー

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7月の読書会のテーマは「エッセー」
皆さんから様々な本が寄せられ、紹介があった。
ざっと紹介すると
・石垣りん 「ユーモアの鎖国」
・黒井千次「老いの味わい」
・佐藤春夫「田園の憂鬱」
・丸谷才一「文章読本」
・内田百閒
・向田邦子
・海原純子
・吉沢久子
・佐野洋子
・伊藤比呂美

私も書棚からいくつか持っていった。
・漫画家
  さくらももこ 「もものかんずめ」
  東海林さだお 「もっとコロッケな日本語を」
・作家
  塩野七生 「想いの軌跡」
  向田邦子 「霊長類ヒト科動物図鑑」
  山本周五郎 「また明日会いましょう」
  池波正太郎 「男の作法」
  宮城谷昌光 「他者が他者であること」
・詩人
  吉野 弘 「くらしとことば」
・親が作家
  阿川佐和子 「無意識過剰」
  壇ふみ 「父の縁側、私の書斎」
・趣味人?
  椎名誠 「ひとり飲む夜は・・・」
  野田知佑 「のんびり行こうぜ」
  玉村豊男 「隠居志願」

そして最後に上げたいのは正岡子規の「病牀六尺」と
「仰臥漫録」である。正岡子規の功績は自分のエッセーを
新聞に掲載し続けたことである。これに影響を受けて
多くの市民が新聞にエッセーを投稿するようになった。
「病牀六尺」は脊椎カリエスで自宅の小さな部屋で寝たまま
の生活を強いられた作者が、何もないその空間から発し
続けたエッセーである。病状悪化のため、一旦新聞掲載は
止むのだが、彼はその後も死に至るまで布団の下に隠して
「仰臥漫録」を書き続ける。 

エッセーは読んでる時は面白いのだが、あまり記憶に残らない。
何年後かに再び読んでもほとんど覚えていないことが多い。
困ったもんだ。


 

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6月の読書会-三島由紀夫「金閣寺」

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先月の読書会のために書いた感想文で、本来は東京へ
出かける前にブログにあげるつもりだった。
ところが、この間にとんでもない事件が起こった。
「京都アニメーションスタジオ放火事件」である。
三島由紀夫の金閣寺は、国宝金閣寺に放火した青年を
モデルに書かれた小説である。時代背景も古くおよそ
現代からは遠い。でも現代にも通じる何かがあるのではと
以下の文章を書いた。
ちなみに先日書いた「聲の形」のアニメーション版の制作は
この京都アニメーションである。

 重たい小説を久しぶりに読んだ。三島由紀夫が1950年7月2日に発生した「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という事件に題材を求めたものだ。
読後、何か書かねばと思いつつ読んだのだが、本の過半を過ぎても書くテーマが浮かんでこない。ところが最後の方で主人公が寺から失踪中、「金閣を焼けば」と独言する辺りから
現代の孤独な青年や引きこもりの大人の置かれた状況とそう変わらないのではと思うに至った。生き残る小説は普遍性を持つ。これは現代の社会問題と同じなのではないか。そう思ったのである。
 二つの事件をすぐに思い起こした。一つは、ごく最近の事件で川崎市多摩区のJR登戸駅近くの路上で、小学6年の女児と外務省職員の男性が刺されて死亡した事件で、犯人は児童らを刺した後に自分の首を刃物で切って死亡した引きこもりの51歳の男性だった。 そしてもう一つが秋葉原通り魔事件で2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。
殺人事件と国宝放火事件は対象が異なるが、犯人のそれまで置かれた状況を考えると、似ているかもしれないと思った。共に殺人や放火が真の目的ではない。事件そのものの社会的影響度が主目的なのではないか。秋葉原通り魔事件が起きた直後も今回の川崎市登戸駅通り魔事件が起きた直後も同じ意見が多々マスコミに流れた。それは犯人に対して「死ぬなら1人で死ね」という非難である。それに対して犯人は「殺す相手は誰でも良かった」と言う。殺人が目的ではないからだ。これまでの自身の孤独で報われなかった人生に対する一発逆転の賭けなのである。この事件によって犯人は全くの無名から有名人と化す。今まで社会から相手にされなかったものがこの日を境にその生い立ちから動機に至るまであらいざらい社会の目にさらされるのだが、それこそが犯人の真の目的で、社会に対して大いなる復讐を遂げたとほくそ笑んでいるに違いない。普通の人なら自分の人生と殺人事件を天秤にかけようなどとは思わない。あったとしても大抵の人は、秤にかけた時点で思いとどまるのである。何が殺人事件への引き金になるのだろう。
 ここまで現代の社会問題に触れて、あれと思う。この小説の主人公の思考、行動、放火に至る物語こそがこれらの殺人犯の物語と重なるのだ。人生をどこかで放棄したものはその人生を秤にかけた時、片側の錘に何を選ぶのか。そこには時代性があるかも知れない。
金閣寺の主人公は永遠性と美の象徴たる金閣寺を焼失させることをその対価に選んだ。現代に多く見られる通り魔事件は形態を変え今後も続くのではないかと思う。
 前半は「三島は文章が上手い」などと感心しつつ読みながらも次第に物語に飽きてくる。だがこの主人公こそが人生に飽きてきていたのではないかと思う。失踪事件という現状からの離脱こそが読者が俄然物語に集中しだすところであるが、ここで始めて核心が語られる。「金閣を焼けば」。自分の人生の対価を見つけた瞬間である。
 金閣寺は書くのに難しい小説です。事件を起こすものの常ではあるが、最初から事件のあらましが主人公の頭にあったわけではない。しかし、作者の頭の中には元として金閣寺焼失があり、それに手を下す犯人としての主人公がいるわけです。触れねばならない事柄に触れないように、あたかも悲惨な未来を見ないように小説を書くという作業は、我々には気の遠くなるような行為に見えます。飛行機が墜落したり、幼児が虐待死した時、すぐに原因が究明されます。因果関係というのは当たり前のように思われますが、実は不思議な行為です。(こうした過去の出来事に興味を抱く態度全体が、実はもはや取り返しのつかない意思行為をいかにとらえるかという態度に支えられています。過去の出来事の原因を問うのは、第一に、過去の出来事がもはや取り返しがつかないことを知っているからであり、第二に、それにも関わらず「腹の虫がおさまらない」からです。我々は過去の取り返しのつかない出来事に、現在何らかの「決着」をつけたいと願うのです。因果関係の「原型」は意思行為の内にあると言えます。)(カッコ内は中島義道著の哲学の教科書からの引用)では三〇歳の三島はどういう姿勢でこの小説と向き合ったのだろう。講評の中で中村光夫氏はこう言っています。「戦後に出現した新しい個性として、これらの事件は、三島氏の思想と感情の動きを事実によって裏付けるものでした。才能ある青年にふさわしく、自己を怪物と感じ、怪物であるあることに存在理由を見出そうとしていた三島氏に、同じ混乱の中で揉まれ、ひとつの個性的な行動と引換えに生涯を破滅に導いた青年たちの行動は、内面を社会化する契機であり、三島氏は彼らに対し、一種の倫理的負担を感じていたとさえ思われます」。この物語が現代を共有するのはまさにこの「青年たちの行動は、内面を社会化する契機である」ということにあるのではないかと思われます。さて我々がもう一つ陥る言葉があります。それは「狂気」です。この一言で片付けると小説は成り立ちません。
これについて中村光夫氏は引き続きこう言っています。「三島氏はこの事件からうけた衝撃を自己を含めた時代の狂気の象徴をそこに見出したのです。そしてそれを確実に所有するために、この象徴を芸術によって再現することを願ったのです。おそらく三島氏には、現代で正気を保つ方法は、その狂気を芸術的に生きてみるほかはなかったのです。この結果だけが意図の正しさを保証する冒険に三島氏を誘ったのは、三島氏が主人公の青年に同時代人として感じた連帯感であったと思われます」。この言葉にいたく同感するのは、我々がやがて三島由紀夫が引き起こすあの大事件を連想させるからです。この物語は結局、自身の未来像を描いていることに気付かされます。主人公が「金閣寺をやけば」とつぶやく場面を「自決すれば」に置き換えてみるとこの小説は実は三島由紀夫自身の物語にすり替わっていくのです。そういうふうに未来を暗示するなんとも不気味な作品とも言えます。 

犯人がまだ自供していない状況で色々憶測するつもりは
ないのですが、ひとつだけ気になることがあります。
世界への影響度です。何かと言うと海外の反応がこんなに
熱いことに驚かされます。事件の起きた現地にわざわざ
やって来る海外のファンも多いと聞きます。ご存知かどうか
京都アニメーションが描くアニメーションの世界は学園モノが
主体でどちらかというと閉鎖社会です。良い方のファンが
いるということは逆の方も一定の割合で存在するということです。
それから犯行の手法が刃物ではなく、その威力がまるで爆弾に
近いガソリンということです。相手をまるごと消し去ろうという
意図が見えます。
最後に再建のための募金が盛んなようですが、今回失われたのは
人命だけでなくこのスタジオが有していたノウハウや会社自身の
社風などでこちらの再建はとてつもない困難を伴うだろうと
予想されます。
なんともやりきれません。




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漫画-聲の形

.22 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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「聲の形」というアニメ映画、気になっていたのを半年ほど前
だったか、テレビで放映されたのを見て、子供の世界を描い
ているけれど結構考えさせられる。つい最近、都城のマンガ
倉庫に寄った時、その原作のマンガそのものが7冊完結の
形で安く出ていたので買ってしまった。アニメとに違いはどうか
と思ってみたら、そのままだった。逆にアニメのほうが原作を
忠実に再現したというべきか。

テーマはいじめである。概要をWikipediaより引用します。

高校生の少年・石田将也は、自分が過去に犯してしまった罪から、一人の少女の行方をずっと捜し続けていた。そして将也は、とある手話サークルの会場にて、捜し続けていた聴覚障害者の少女・西宮硝子と再会を果たすことになるが、彼女は驚きのあまり逃げ出してしまう。
二人の出会いは小学校の頃にまで戻ることになる。小学生の頃の将也は、友人として付き合いのあった島田や広瀬と度胸試しなる悪ふざけの遊びをしていたが、島田が塾に通いだして遊びから抜け、広瀬からも危険であることからやめようと言われ、以降将也は日々を退屈で持て余し始めていた。そんな時、転校生の少女・硝子が訪れ、彼女はノートに綴った自己紹介で自分は耳が聞こえないことを伝える。
硝子が転校してきて以降、耳が聞こえない彼女が原因で授業が思うように進まなくなることが多く、苛立ちを覚えるようになったクラスメイトたちは、将也が中心となって硝子をいじめるようになった。音楽教師・喜多の軽率な行動により硝子への風当たりは強くなる一方となり、また、日々数多くのいじめを硝子に行う将也であったが、その先に思いも寄らぬ「裏切り」が待っていた。
ある日、校長を中心としたクラスの学級会が開かれ、将也たちによる硝子の度重なる補聴器紛失によって170万円もの被害総額を出していたことが明かされた。将也は自分のしたいじめのもたらしてしまったことの重大さに気付き、内心動揺したものの、警察沙汰になる前に正直に名乗り出るべく手を上げようとしたその時、ずっと無関心に徹していた担任の竹内が将也を名指しで糾弾し始め、他のクラスメイトたちもそれに便乗して将也に全ての責任を押し付けた。それを機に、周囲に裏切られた将也が、新たないじめの標的となってしまう。
誰からも助けてもらえず、島田らに暴力を振るわれて倒れていた将也を、硝子は介抱しようとするが、将也は拒絶し取っ組み合いの喧嘩になる。その1ヵ月後、硝子は黙って転校していった。硝子がいなくなったことにより、彼女が朝に懸命に拭いていた机が自分の机であったことに気付く。そして卒業式の日、変わらず落書きされた机を拭いていた将也は、分かり合えぬまま終わってしまった硝子との関係に涙するしかなかった。
中学に進学しても、将也の孤独は変わらなかった。島田と広瀬の悪意によって、小学校時代の事実を都合のいい形で流布されてしまったことで、中学から知り合ったクラスメイトたちは、誰もが将也を避けるようになった。それでも何とか改善を試みるが、結局逆効果となってしまうだけだった。学生生活を満喫する島田たちとは対照的に、孤独を深めていった将也は誰も信じることができなくなり、高校への進学後、自らの報われない人生の末路を思い浮かべた将也は、遂に自殺を決意。その前に、自分が犯した「罪」の贖罪をしようと、身辺整理等によって補聴器の弁償額と同額の金を集めた将也は、それを母の枕元に置き、硝子がいるという手話サークルの会場へと向かう。
そして将也は硝子と再会した。自らの後悔や謝罪と共に「友達」になって欲しいことを告げた将也の気持ちに、硝子は手を握る形で応えたが、そこへ彼女の母親が現れ、将也が持ってきた「筆談ノート」を川へ捨ててしまう。必死にそれを探そうとする硝子に、将也もまた橋から川へ飛び降りて筆談ノートを見つけ出し、硝子の母親に過去の謝罪をするが、彼女からはビンタされてしまう形で終わった。しかし、母親に引っ張られていく硝子から、手話で「またね」というサインを受けた将也は、心の中に変化が訪れ、自殺を思い止めることになる。
かくして、生き直す決意をした将也の、新たな日々が始まることになった。

実はここまでが漫画本の第1巻に過ぎない。第1巻の終から
高校生活が始まる。主人公が昔いじめた硝子と少しずつ
距離を縮めながら、贖罪の気持ちから悲惨だった小学校時代を
取り戻そうと昔の友達を巻き込みながら、前に進もうとする物語で
なかなか考えさせられる本だ。それでもオセロゲームのように
ある瞬間に黒が白に変わるわけではない。自分の弱さを告げる
友達に将也が「変われないこともあるよ。俺だって。変わろうと
足掻いてる時間の方が大事なように。俺は思うよ」

何に感動したのかというと、いじめや人の気持ちというものが
簡単に白黒つけられないという当たり前のことに気づかされる
からだ。問題はいつもあり続ける。でもそれでも前に進ま
なければならないし、ままにならないことも受け入れたり
それはそれと認めたりしながら生きていかなければならないと
いうことだ。第7巻、最後の場面は成人式の中で昔の小学校の
クラス会に将也と硝子がためらいながらも手をつないで入って
いこうとするところで終わる。

この漫画2016年時点で300万部売れていて、海外でも評価され
英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、ポーランド語
中国語、韓国語、タイ語、インドネシア語の翻訳本が世界中に
広まっています。国内の主な受賞は
第80回週刊少年マガジン新人漫画賞入選
第38回講談社漫画賞少年部門 ノミネート
2014年度「コミックナタリー大賞」第1位
「このマンガがすごい!2015」オトコ編第1位
「2014年コレ読んで漫画ランキング」4位
「マンガ大賞2015」 3位
第19回手塚治虫文化賞新生賞

更にアニメは興収23億円を突破。
第40回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞
第26回日本映画批評家大賞アニメーション部門作品賞
第20回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
などを受賞した。

先日、NHKの朝の番組に芥川賞作家 柳美里(ユー・ミリ)が
出ていた。その変貌ぶりに驚いた。若い頃、親の離婚、
いじめ、自殺などを繰り返し、自身の傷口をえぐり出すような
作品を書き綴った作者が、実に穏やかな1児の母親になり
東北大震災の縁で移り住むことになった福島県南相馬市の
小高という小さな町に街の灯台のような本屋「フルハウス」を
建て、そこを自分の作家活動の拠点にしている。
司会者が若い頃のいじめの話をふると人生は虚実、表裏
なにがどうだと言い切れません。と批判めいたことを言わない。

ビッグコミックの最新号で好きだった「ましろ日」というのが
最終回だった。中でハットする言葉に出会う。
主人公は交通事故で全盲になった青年。その青年がブラインド
マラソンでパラリンピックを目指している。その相方を務める
青年との会話。
「山崎さん、僕は捨て子ですよ?地獄を見たんですよ。だから
山崎さんだけが特別じゃない。ていうか、地獄を見た人なんて
ゴロゴロいるんです。」「本当にそうだ。」
なんか凄い励まし方ですね。でも元気が出ますね。

小説の講評や感想文なんてのはちょっと格調高いが、
漫画の講評をするのは珍しい。がやはり時々、どきりとする
言葉や場面に出くわすことがあります。漫画だって十分
小説に匹敵する力量を見せるものがあるのです。

だからまだまだ漫画やめれません。





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5月の読書会 「絵本・児童文学」

.18 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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5月の読書会のための読書については先に紹介してしまった。
一部かぶるかもしれないけれど、読書会用に資料を作っていたので
今日も手抜きでそれを貼ろう。

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5月の読書会 「絵本・児童文学」                20190518

4冊の本を買った。
1.カラフル(森絵都)
2.ままにならないから私とあなた(朝井リョウ)
3.未来のだるまちゃんへ(かこさとし)
4.本・子ども・絵本(中川李枝子)

1.カラフル
  本の帯に「高校生が選んだ 読みたい文庫NO.1  累計100万部突破の名作 大人も泣ける青春小説」という言葉書きに誘われて買ってしまった。結果は面白かったし、いい本だと思う。筋書きはこうである。

  生前の罪により輪廻のサイクルから外されたぼくの魂が天使業界の抽選にあたり、再挑戦のチャンスを得た。自殺を図った少年、真(まこと)の体にホームステイし、自分の罪を思い出さなければならないのだ。真として過ごすうち、ぼくは人の欠点や美点が見えてくるようになる・・・・
  乗り移った真はチビで勉強もできない、さえない子で当初がっかりしてスタートを切るのだが、どうせ人の体をレンタルしているという突き放した感情がプラスに働き、少しずつ自信を取り戻していく。やがてレンタルしているはずの真に対する愛情から
  真の将来を真剣に考え、真に体を返した後自信を持って生きていってほしいと思うようになってくる。文中、奇跡的なことも英雄的なことも出てこない。そういう意味では地味だが、現実的対処に好感が持てる。だが最後に・・・・・・

  前回のテーマが「他人を生きる」といった内容だったが、この本も偶然というか「他人を生きる」そのものです。私たちは常識的で当たり前な世界に生きていますから、自分は自分で過去も未来もすべて自分だと信じて疑わずに生きています。でもこういう自分を突き離して見てみたり、自分というものを否定することでしか生きれない状況に陥ったり、自分というものに真剣に対峙せざるを得ない状況というのは人生の中で時々生じるものです。大人の文学にも子供の文学にも同じテーマは違った形で現れるのですね。我々は「大人になると大変だぞ」とか「子供はいいな」などと安易に考えがちですが、よく子供時代を思い出してみると、結構色んな悩みを抱えていたなと
  嫌なことが思い出されます。子供は子供で大変なのです。

  作家、森絵都について調べてみると
  1968年東京都生まれ、早稲田大学卒業
  90年 「リズム」デビュー 講談社児童文学新人賞受賞
          合わせて  椋鳩十児童文学賞受賞
  「宇宙のみなしご」で野間児童文芸新人賞
          合わせて 産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞
  「アーモンド入りチョコレートのワルツ」で路傍の石文学賞受賞
  「つきのふね」で野間児童文学賞
  「カラフル」で産経児童出版文化賞受賞
  「DIVE!!」で小学館児童出版文化賞受賞
  「風に舞いあがるビニールシート」で第135回直木賞受賞
  「みかずき」で中央公論文芸賞受賞
 
  「DIVE!!」は数年前確か映画化されましたね。本も読んだけど面白かった。水泳の
  高飛び込みを競い合う若者たちの物語でした。児童文学の受賞実績が凄い作家ですね。
  直木賞受賞作品「風に舞いあがるビニールシート」早速買ってきました。まだ読んでませんが。

2.ままにならないから私とあなた
  前から気になっていた作家の作品です。先に作家朝井リョウから紹介します。
  1989年岐阜県生まれ、早稲田大学卒業
  2009年 「桐島、部活やめるってよ」で第22回すばる新人賞受賞、デビュー
  2013年 「何者」で第148回直木賞受賞
  2014年 「世界地図の下書き」で第29回坪田譲治文学賞受賞
  
  ベテランの作家しか取れなかった直木賞を24歳の若者がとり話題になりました。デビュー作も直木賞作品も確か映画化されたはずです。ちょっととんがってる若者が出てきたなといったイメージで見ていました。この本も文庫本の帯に書かれた文言に惹かれて買ったものです。そこにはこうありました。

  あなたが見ている世界はほんとうに「正しい」世界なの?
  天才少女の薫と平凡な雪子。二人の友情の行方は・・・・
  「世界」とは「自己」のことであり、異なる数多の「世界」同士が交差し合ってるいるのが「この世界」であるという本質である。


  この文庫本には2つの作品が入っています。
  ・レンタル世界
  ・ままならないから私とあなた

  レンタル世界
  男が先輩の結婚式で出会った美女は、人間関係を「レンタル」で成立させる業者だった。ある時、街で偶然出会った美女にどこかで出会ったことがある。先輩の結婚式の新婦側の友人席に居たことを思い出し、そのことをきっかけになんとか友達になろうと接近するが、相手はすげないどころか、「私は友人でもなんでもなく、結婚式の披露宴の新婦側友人席にレンタル会社から派遣された者です」と真実を暴露されてしまう。
  そこで一計を案じ、親しい会社の先輩に「ちゃんとした彼女できたら家に連れてこい」と言われていたのを利用し、彼女を親しい彼女としてレンタルし先輩宅を訪問し饗応を受ける。帰り際、「レンタルな関係じゃなく先輩夫婦みたいな関係になりたい。本当の彼女になって欲しい」と告げるが彼女からの返事は・・・・・

  ままにならないから私とあなた
  天才少女と呼ばれ、成長に従い無駄なことを切り捨てていく薫と、無駄なものにこそ人のあたたかみが宿ると考える雪子。すれ違う友情と人生の行方を描く。雪子目線で作品は描かれる。
構成は雪子自身の小学校時代からの成長物語になっている。そして、仲間からは浮いて友達もいない唯一の友人薫の人生が雪子の人生と織物のように重なっていく。親しい友人なのだが考え方がまるで違う。その違いは徐々にエスカレートしていく。雪子はいつか自分の考えている価値観に薫が気づいてくれると固く信じているのだが・・
この物語には結論はない。雪子の妊娠が分かった時点で話は急に終わる。だが読んでいれば分かるが二人はいつまでも価値観の違う親しい友人同士なのだろう。こういう関係って友人関係より夫婦関係に近いかも知れない。価値観の違う二人が仲良く?暮らす。これを友人関係としてみるからいつか二人はお互いの価値観を近づけると勘違いしやすいが、実はここでも二人の価値観は平行線のままなのだ。そこでこの題名に戻ることになる。「ままにならないから私とあなた」

児童文学というには余りにも心理面の深いところがえぐられる。普通と思われる日常世界に「もっと真実に目を向けろ」と背中をどやされる気がする。この作家一見高校生向けの作品が多いのだけれど、単に子供たちの世界を上辺だけなぞっているのではなく、「人間観察」に鋭い視点を入れて、単なる高校生が考える人間として浮かび上がってくる。面白い作家である。もっと読んでみたいと思い直木賞受賞作の「何者」を買ってしまった。

3.未来のだるまちゃんへ
  ご存知「だるまちゃん」シリーズで有名な絵本作家のかこさとしさんの自伝です。でも語り口が優しく、子供にも読めるようになっています。
 
  経歴は1926年福井県生まれ、東京大学工学部応用化学科卒。工学博士。技術士(科学)。大学卒業後は民間企業(昭和電工)の研究所に勤務しながら、セツルメント活動に従事。子供会で紙芝居や幻灯などの作品を作り、1959年「だむのおじさんたち」で絵本作家の道へ。 作品数は600点以上にのぼる。
  2008年 菊池寛賞受賞
  2009年 日本化学会より特別功労賞受賞
  2017年 巖谷小波文芸賞受賞
  2013年 福井県越前市に「かこさとし ふるさと絵本館「硌」」開館
  2018年5月2日逝去

  子供と一緒に生活し、子供たちの活動を観察しながら、子供たちに教えられたことが多いという。子供目線を生涯忘れなかった作家。

4.本・子ども・絵本
  こちらは「ぐりとぐら」の女流絵本作家中川李枝子さんの自伝です。

  1935年札幌市生まれ、東京都立高等保母学院を卒業して、1972年まで、みどり保育園勤務。
  童話「いやいやえん」で厚生大臣賞、NHK児童文学奨励賞、サンケイ児童出版文化賞、
  野間児童文芸賞推奨作品賞受賞
  1980年 「子犬のロクがやってきた」で毎日出版文化賞受賞
  絵本「ぐりとぐら」は10カ国語に翻訳世界中で読まれている。

  


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4月の読書会-平野啓一郎 「ある男」

.27 2019 読書 comment(0) trackback(0)
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平野啓一郎 「ある男」・・・・・今回は指定された1冊の本を読んで参加するという読書会でした。
2019年4月20日  読書会(出席者5名)                   

この小説はある意味、計算高い小説だ。最初に謎が提示される。読者は穏やかな導入部に気を許して穏やかに読み始めるのだが、いきなりとんでもない謎が目の前に現れる。好むと好まざるに関わらず最後まで読んでしまわざるを得ない状況に追い込まれる。巧妙である。

ところでこの小説の主人公は一体誰なのだろう。
小説の構成は巧みな二重構造になっている。一つは谷口大佑の妻、里枝の家族を主体にした物語。ただこれは導入部と締めの部分に現れるだけで、謎解きの部分、いわゆる小説の中心部にはもう一つの物語が展開する。こちらは謎解きの解明を依頼される弁護士の城戸章良と彼を取り巻く家族や仕事で接触する人たちとのやり取りであるが、少し饒舌すぎる。
城戸は谷口大佑が本当はなにものであるかを究明していく中で「存在の不安」にとりつかれていく。妻香織との微妙な関係、息子颯太とのギクシャクした関係。調査の過程で知り合う谷口大佑の元恋人美涼との微妙な関係。そんな調査の日々の中での城戸の感情の揺れの中に現代の家族の有様が微妙に投影される。将来に対して様々な未来形を想定しながらも日常は日常として表向きは何も変わらずに過ぎて行き、この謎が最終的に解決されるのだが、結局城戸自身の抱える諸々の問題はなんら解決されていないことに気づかされる。

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以前、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」の読後、私は以下の感想を書いた。

我々人間を人間たらしめているものはなんだろう。血(血縁)と時(歴史)と交(交際)ではなかろうかと思う。血は一人の人間の生まれてきた系譜であり、出自であり、源である。時はひとりの人間の歴史上の位置であり、役割であるかも知れない。交は人と人との関係性であり、家族、友人、結婚、あるいは社会的な活動である。血と時を取り去り、交それもごく限られた交のみで一生を送らざるを得ない人々。それがこの小説で描かれた世界だ。物語のなかで、実はその交さえもなかった世界に教育を受けさせ、人同士の交わりを経験させる場所、それがこの小説の主人公たちが卒業後も懐かしく思い出すヘールシャムだったのだと読み進めるうちにわかってくる。彼らは知らず知らずのうちに血を求める。要するにクローンの元になった人間がどこかに生きているということに異常な憧れを抱く。クローンとクローンの元になった人間の違いはなんだろう。クローンには父も母も子も存在し得ない。人間の歴史という時の流れに点として存在し消えていく。イシグロはクローンを緻密に描くことで「では我々人間とはなんだろう」という問を発しているのではないだろうか。
我々の住むこの現代は都市化とグローバル化が極度に進み。我々は時として自身が依って立つ基盤の脆弱さを思い知らされることが殊のほか増えてきたように思える。都会の片隅で孤独に打ち震える人々に今一度、血や時や交によって自分が人間である所以を問い質しているように感じた。

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しかし、今回はまさにこの血(血縁)を断ち切るしか生きるすべを持たない人々の物語である。こうした問題を正面から扱った小説、三浦綾子の「氷点」を思い出した。父親が殺人者、しかも殺された子供の家に貰われた殺人者の娘陽子が主人公で、ここではキリスト教の「原罪」がテーマとされていた。自分がいかに正しく生きようが人間である限り持っている血の中に含まれる過去の大きな罪。こうしたテーマではなかったかと思う。が今回はこの血の呪縛から逃れようとあがく人間の弱さや愚かさの方に力点が置かれ、少し主題が弱いような感覚を覚えた。つまるところ小説を読み終えたあとの読後感である。謎が解けた割にすっきりしないのである。感動や共感から少し距離のある小説だったのではないかと思う。

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この小説には主題とは別に様々な事象が並置されている。ある意味、読者によって読後感は微妙にずれる。本筋を赤線で引いてあるわけではないので、読者の赤線の引き方によって様々な解釈があるわけだ。実際、読書会でほかの人たちの意見を聴くと
社会の弱者という視点で読んだ方は、谷口が殺人犯の息子というだけで社会から受ける大きな圧力や批判、城戸が在日であることから受ける排除感を小説の主体として解釈されていた。あるいはこの小説は多色であるがゆえに見る角度で異なる色を発しているのかもしれない。私自身の読後感もそういう意味では一つの意見に過ぎない。




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