6月の読書会 その2

.08 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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6月の読書会、途中で終わってしまったので今日は
前回の続き・・・・・・

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さてこの司馬さんを代表とする「歴史小説」という小説の1分野についてあまり深く考えることはなかったのですが、「時代小説」との区別はなんなのかいつもこのことが頭の隅で引っかかっていました。中国物を数多く手がける宮城谷昌光氏の書かれた「三国志読本」の中におもしろい記述を見つけましたので紹介します。

 司馬遼太郎以前の昭和9年頃の文壇の状況としてこうあります。純文学にも多くの人材がいたのだが大衆小説の書き手が充実していた。大正末に「鞍馬天狗」昭和2年に「鳴門秘帳」、昭和3年に「新選組始末記」「右門捕物帳」、昭和4年に「旗本退屈男」、昭和5年に「南国太平記」、昭和6年に「一本刀土俵入」「銭形平次捕物控」、昭和8年には「丹下左膳」、昭和9年には「雪之丞変化」「鶴八鶴次郎」、そして昭和10年には「宮本武蔵」と続く。嘗てテレビや映画を賑わせたものが多くあって驚く。日本の昔から親しまれた講談をベースにした小説がサラリーマンや新しく高等教育を受けた読者を得て大きく成長していく時代である。
 時代小説の全盛期、活躍する小説家は、山本周五郎、海音寺潮五郎、吉川英治、柴田錬三郎などなど。このあとに出てくるのが司馬遼太郎と藤沢周平である。司馬、藤沢氏以前は「昔こういう人がいたと、現代とはっきり離して、こういう状況で、こういう人がこういう風に生きたという書き方をしていて、しかも講談調で啓蒙的な手法をとる作品が多かった。司馬氏の場合、その小説は読者の胸中を明るくする。藤沢氏の作品も人生というのはそういうものだから、これはしょうがないと快く慰める。こうした読者を慰めたり励ましたりするためには、文章にあまり癖があってはいけない。司馬氏が現れるまで時代小説はエンターテインメントの要素が強くて、一人のヒーローがいればあとはいけた。最近まで日本の時代小説は「剣豪小説」でした。しかし現代のように一人のカリスマ性だけでは対処できない複雑さを時代が持つようになると組織論がどうしても必要になってきます。その時に司馬遼太郎が登場するわけです。


 司馬遼太郎の略歴を見ていてふと思ったことがあります。私が触れていた司馬作品は彼の業績の前半部に過ぎないのではないかと、そこで後半の略歴を記してみます。

57年:「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞
58年:「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞
59年:「街道をゆく‘南蛮の道、篇」で新潮日本文学大賞受賞
62年:「ロシアについて」で読売文学賞受賞
63年:「韃靼疾風録」で大佛次郎賞受賞

などとある。司馬さんが言いたかったことがあるいは後半に凝縮されているのかもしれない。年を経て「司馬遼太郎」は未だに魅力ある作家として私たちの前に立ちはだかっている。




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ひこばえ

.06 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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はがき随筆のことを最近あまりお伝えしていなかった。
月1で毎回、合評会に真面目に出席もし、作品も出し続けている。
2月が全体総会で飛んだり、4月から新しい支局長(毎日新聞宮崎市局)
に代わられたりと少しずつ某かは変化しつつもなんとか続いている。

3月、5月、6月の作品を恥ずかしながら紹介しよう。
4月はちょっと情景描写を詩的表現で書いてみたら
みんなから集中砲火を浴びた。修正しようにも、こちらの意図が
上手く伝わらなかったものだから、パスすることにした。

試行錯誤は続いている。いろいろ書いてみれば少しは
何かが掴めるかも知れない。

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           冬になれば

 大阪にいた頃、毎年2月の連休は退職後山にこもる会社の先
輩夫婦のログハウスを訪ねた。
 近くのスキー場で滑った後に立ち寄ると雪の中をカンジキを
持って道路まで迎えに来てくれた。薪ストーブに温められた室
内でお酒を飲みながら山暮らしの様子を楽しそうに語ってくれ
た。「雪に埋もれて大変ですね」と問うと「雪が降るまで忙しく、
その間とりためた録画を見て楽しんでいます。」という。
 その生き方に後押しされるように、定年後串間で暮らし始め
た。4年目の暮れ、奥さんから喪中はがきが届いた。冬になる
と雪山のログハウスを思い出す。

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           木々に囲まれて

 我が家は緑に覆われている。私は雑木の庭と思っているのだ
が、友人に言わせると野生の庭だという。中央には樹齢45年の
桜が剪定されることもなく枝を広げ、足元には中低木や草花が
茂っている。
 庭の成長しすぎた桃とハクモクレンとツバキを花が咲き終わ
った順に剪定した。5月に入り、垣根を摘んでいると、通行人が
「きれいになりますね」と声をかけて通り過ぎていった。
 ある日、遠くの山で「チョットコイ」と鳴いていたコジュケ
イが自然林と間違えたか庭先で鳴いた。庭をきれいにと私を叱
るかのようであった。

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               夕焼け

 晴れた空に筋雲が流れている。夕陽が山に沈むと雲が紅く染ま
りだした。こんな夕焼けの空を1時間近く眺めていた。働いて
いた頃であれば、「そんな事やってる場合じゃない」と切り捨
てた行為だった。それが今では日々の暮らしの潤いである。
 広がる夕焼け空を見ながら、かつての自分のように忙しく働
いている人達に、「人生は短い。そんな事にかまけている場合じ
ゃないだろう」と同じ言葉を違う意味で吐いていた。
 夕焼けはそんな不遜な言葉を笑うように忙しい人にも、そう
でない人にも同じように穏やかなあかね色を落としていった。





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6月の読書会

.30 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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6月の読書会のテーマは「司馬遼太郎」
集まったのは5人。常連の館長とYさん、意外にも司馬遼太郎は
あまり読んでいないという。私にだって苦手な作家や空白の分野は
あるのだから、そんなもんかも知れない。

久しぶりに小さなものをいくつか読んだので少し書いてみた。
長いので2回に分けて紹介しよう。

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 なぜか今はもう司馬遼太郎は読まない。戦国時代、幕末、明治維新と一通りの作品を若い頃に読み終えると、もういいかという気になる。ところが最近、過去に読んでいなかった薄めの文庫本を書棚から見つけ出し、久しぶりに読んでみるとこれがまたおもしろい。「そうかそうだったよな」と司馬遼太郎を夢中で読んだ頃のことを思い出した。
 
 久しぶりに読んだ文庫本は「春燈雑記」「手掘り日本史」「歴史を紀行する」である。なにが面白いのか。司馬さんの本は歴史小説の中で、本筋も面白いのだが、主人公がどんな緊急事態であっても脇道にそれることが間々ある。そのことが我々を小説の中に埋没させないのではないか。そんなことを思ったりする。つまり司馬さんが自分の足を使って調べたことや各地の郷土史、その土地に降り積もった過去の事象、そんな事柄が歴史小説に厚みと信ぴょう性を与えるからではなかろうかと、そんなことを思った。この3冊の小作品は実はそういった脇道だけで構成されている。話がどこへ流れていくのかさっぱりわからないまま流されるのだが、それがまた興味をそそり、実に楽しく読んだ。
 
内容を少しだけ紹介しよう。
1、 春燈雑記
     心と形
     護貞氏の話―肥後細川家のことども
     仄かなスコットランド
     踏み出しますか
     義務について
2、 手掘り日本史
     私の歴史小説
     歴史のなかの日常
     歴史のなかの人間
     日本史と日本人
     わが小説のはじまり
3、 歴史を紀行する
     竜馬と酒と黒潮と(高知)
     会津人の維新の傷あと(会津若松)
     近江商人を創った血の秘密(滋賀)
     体制の中の反骨精神(佐賀)
     加賀百万石の長いねむり(金沢)
     「好いても惚れぬ」権力の貸座敷(京都)
     独立王国薩摩の外交感覚(鹿児島)
     桃太郎の末裔たちの国(岡山)
     郷土閥を作らぬ南部気質(盛岡)
     忘れられた徳川家のふるさと(三河)
     維新の起爆力・長州の遺恨(萩)
     政権を亡ぼす宿命の都(大阪)

とこんな具合に目次を見ただけで歴史好きには興味をそそる小皿がたくさん並んでいます。話はともに関連性がなく、それぞれが独立した話になっているので長編はどうもといった方々、一度手に取って読んでみられてはどうかと思う。なにが面白かったのかといえば、多分、こういう小作品を読んでいると歴史を俯瞰できるのが楽しいのです。タネを明かせば実はこういうことだったのです。といったような歴史の深読み、それがきっと楽しいのです。話は雑談めいていて更に興味を引かれるのであります。
 中に印象に残った話が二つほどあるので紹介しましよう。

 一つは「春燈雑記-義務について」の中に江戸時代初期に日本にやってきたオランダ東インド会社に雇われた英国人ウイリアム・アダムスとイギリス東インド会社初代商館長リチャード・コックスについて触れています。彼らの何に興味を示したかというと彼らが給料で暮らしていたという事柄に対してなのです。世界の果てで彼らは国家間の大きな取引を担いながら、僅かな給料で仕事をしていたという事実に対して、何が彼らをそうさせるのかを追求した結果、世界史の中でこれまで存在しなかった「義務」というものに着目します。そしてこの「義務」が生まれるためには国家に対して自分の役割を的確に判断しうる1市民の存在が必要ですが、この1個人はこの時期どうやって生まれたのかという風に追求していくとカトリックの旧体制に対して宗教改革によって生まれたプロテスタントの存在に行き着くのです。さらに話は進みます。英語ではduty。この言葉自身もヨーロッパで広く使われるようになったのは国家が新教を選択したあたりからではないかと推察します。
そしてこのdutyが翻訳され、「義務」と命名されるのは明治初年のことなのですが、この「義務」という言葉、明治人に広く愛され、それは現在も続いている。

 さてもう一つは「手掘り日本史-私の歴史小説」の中に、明治期、軟弱だった大阪兵(八連隊)についての考察があります。この八連隊、日清・日露戦争の激戦場に駆り出されるのですが、当時「またも負けたか八連隊」と言われ続けるほどに弱かった。この事実に対して、司馬氏はその原因を考え、江戸時代の統治体制に目を向けます。日本全国が封建体制下にあった時代、例えば元禄時代70万人の市民を有した大阪は200人くらいの町奉行所によって管理されています。他の藩に比べると圧倒的に武士階級に触れることがなかったため、大阪の町人は武士のもっている封建的な節度とか美意識とかに影響されずにきています。それで考え方も態度も、行儀も悪くなる。さらにお上を恐れなくなる。というわけで、戦場では「ここを死守しろ」と言われると封建度の濃い地帯の出身兵ほど強いわけで、必ず死守したといいます。ところが大阪兵はお上の恐ろしさについての免疫がないものですから、戦況を見てこんなところを死守しておっても無駄ではないかとさっさと兵をまとめて退いてしまうようなところがある。まあ、お笑いの連中が戦っているようなもんです。「死守?アホちゃうか」と言って、それが許されるようなところが今でもある。

こうした疑問に思う事柄や心に引っ掛かる出来事を追求する司馬氏の心というものはどういうものであったのでしょう。それについて自身のことをこういうふうに書いています。

「私には癖がありまして、つい、事の起こりは何だろうとさかのぼって考えてしまいます。難しくいうと歴史ということです。」


まだまだ続きますが長いので続きはまた・・・・・





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5月の読書会

.16 2017 読書 comment(0) trackback(0)
昨年、読書会では初めて1冊の本を指定するという方法をやってみたのですが
会員の中では好評で、今年もぜひやろうということになりました。
昨年はジョージ・オーウェルの「1984年」
これは重たかったが、ある意味こんな機会でもない限り読まないだろうということで
概ね賛同を得ました。
実はアメリカでは大統領選のあとこの本がよく読まれるようになったとか。

で、今年は? 昨年、あまりヒットはしませんでしたがちょっと話題になった
スコセッシ監督の映画「沈黙」がちょっと引っかかったので、
原作、遠藤周作の「沈黙」を今回のテーマにしたのです。
うーん、しかしこれも予想通り重たかった。思えば学生時代から読まねば読まねばと
思っていながら、なんか重そうだなと敬遠した作品でした。

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時代背景は江戸時代初期、キリスト教が禁教になって関係者は国外追放に
なった後のこと。それでも日本に隠れる信者たちのために残ったフェレイラ教父が
拷問の末、棄教したという情報がポルトガルのイエズス会本部に入る。
事の真相を究明するためと残された信者のために二人の若い神父
ロドリゴとガルペが九州のある田舎に潜入します。

二人は最終的には捉えられます。ガルペは処刑される農民を助けようと
溺れて死にます。ロドリゴは覚悟を決めて自分がどんな拷問に遭おうと
耐えて信仰を守ってみせると固く誓います。
そこへ今では日本人名をもらい妻帯までしているかのフェレイラ教父が
ロドリゴの前に現れ、棄教を勧めるのです。

フェレイラはロドリゴに言います。「日本人が信じていたのはキリスト教の神
ではない。日本人は今日まで神の概念は持たなかったし、これからも
もてないだろう。」

ロドリゴは結局、拷問されなかった。だが、一緒に捉えられた農民が踏み絵
を踏んだにもかかわらず、拷問に遭う。そのうめき声がロドリゴを苦しめる。
ロドリゴは祈る。「神よ、なぜ沈黙されているのですか」
この後、ロドリゴは踏み絵の前に引き立てられる。「踏めば、拷問を中止して
農民を助けてやろう」
フェレイラが耳元で囁く、「踏まずに信仰を守るという行為は、農民を見捨て
自分の救いが大切だからだろう」さらに「キリストは転んだだろう。愛のために。
自分の全てを犠牲にしても」

ロドリゴは最終的に踏み絵を踏む。その時、踏むがいいと踏み絵のあの人は
ロドリゴに向かって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく
知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、
お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。

その後ロドリゴはフェレイラ同様、日本人名をもらい処刑になった者の妻をもらい
監視の下、日本人として生きながらえる。

このもっとも考えさせられる場面で昨年の1984年を思い出した。
こちらは権力に屈して最終的に権力者のいいなりに白いものを黒いと
言わされる。恐怖によって転向させられるわけだが、今回の沈黙では
キリスト教の信仰と隣人愛との板挟みに苦悩する神父の姿が痛ましい。
自分への拷問であれば耐えられたものを、愛の宗教と言われるキリスト教の
隣人への愛が転ぶ(転向)ことにつながるというなんとも皮肉な結果に終わる。

この時期、世界の動きはカトリック(旧教)からプロテスタント(新教)へ移行する
時期に当たる。宣教師を送り込んで住民を懐柔し、後に武力で制圧する手法は
曲がり角を迎える。ポルトガル、スペイン、イタリアなどの勢力が衰え、
イギリス、オランダなどが宗教と貿易を切り離した形で世界を席巻していく。

世界の辺境の地で即断即決できないカトリック国は次第に力を落としていき、
個人の国家や組織への忠誠心を前提としたプロテスタント国が勢いを
増していくのである。

作者の遠藤周作氏は幼児洗礼受けたクリスチャンである。ただ長いあいだ
信仰の日本人として違和感を覚える。そのためフランスに留学してまで
信仰を深く学ぶのだがその違和感は消えない。そうした作者自身の
悩みも見え隠れする。

1991年アメリカ旅行中にスコセッシと「沈黙」の映画化について話し合われている。
実現までに随分年月が経ち、遠藤周作自身も過去の人となった。この時期になぜ?
「沈黙」なのか? 日本人に見せたかったのか? あるいは欧米人に見せたかったのか?
映画は残念ながら、気づいたときにはもう終了していた。ぜひ見てみたいと思う。

重たい作品だったが心に残る作品である。




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4月の読書会

.12 2017 読書 comment(0) trackback(0)
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女性作家が続く。3月の恩田陸に続いて
4月は宮下奈都。

串間に帰ってくる1,2年前ではなかったか、
唯一の津曲書店で夫婦揃って読む本を探したことがあった。
お互い、好きな本を買い。後で同じ本を買っていたことが
わかり大笑いしたことがあった。
その本が宮下奈都のデビューしてまもない頃に書かれた
「スコーレ No.4」だった。

それからだいぶ経つので詳しい内容は忘れたのだが、
いい本だったなという印象のみが残った。

その後、「太陽のパスタ、豆のスープ」、
「田舎の紳士服店のモデルの妻」などを読んだ。

彼女の各作品には共通するひとつの流れがある。
最初に主人公の青春や人生におけるつまずきや
負の面、失敗などがあり、そのあとに青春や人生、
周囲の人々への様々な気づきがあり、やがて
自分の本質的なことが前向きに変化していき、
最終的には精神的にたくましく立ち直る。
といった流れである。

最近、テレビのインタビューをなにげに見て知ったことだが
37歳とデビューが遅い。なぜ?
彼女は結婚をして主婦をしていたのである。ところが
3人目の子供を妊娠中に執筆した「静かな雨」が
第98回文學界新人賞佳作に入選し、突然の小説家デビュー。

そして彼女が一躍表舞台に登場するのが
2016年、「羊と鋼の森」で直木賞候補に選ばれ、さらに
その年の本屋大賞を受賞する。

「羊と鋼の森」????なんのことか?
これはピアノの中身なんですね。鋼はピアノ線で
これを叩くのがウールのフェルト。つまりピアノの
調律のことをテーマにしてるんです。

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身近なテーマで毎回変わった構成というアプローチも
あるのだろうが宮下奈都さんの構成はあまりぶれずに
人生を深く掘り下げていく。
彼女は上智大学文学部哲学科を卒業している。
主婦、子育てという永遠に続くかと思われる日常を
大切にしているという安定感がありながら深いのは
こういう経歴の成せる技かあるいは生来のものか
よくわからないが安心して読める作品が多い。

読書会のあと仲間に一冊の本を借りて読んだ。
「よろこびの歌」高校の合唱部の話。少し物足りなかったが
構成は同じ、同僚に公平に目を向けて仲間の一人一人が
深く掘り下げてあるのが面白かった。

彼女の作品に感じるのは「日常と哲学」
何でもない日常を今日は少しだけ深く生きてみたら
作品はそう呼びかけているようだ。





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