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6月の読書会

.21 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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 先週末の土曜日、6月の読書会だった。テーマは「絵本・児童文学」。この
テーマは毎年一度はやる定番で人気がある。それを反映したのか、この日
長老の三浦さんは目の調子が悪く欠席だったが、久しぶりに昨年から参加
された女性二人が久しぶりに顔を出された。合計7名の参加者。
 いつもやってる図書館の会議室が教科書の展示会で使えないというので
急遽、中央公民館の大部屋を使わしてもらうことになった。

 早いもので、今回で今年の前期が終了する。後期のテーマを決めねばと
案を作っていった。

7月   「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 ブレイディみかこ
8月   「夏・戦争」
9月   「伊豆の踊子」 川端康成
10月  「私の好きな作家」
11月  「藤沢周平の作品から一つ」・・・候補を挙げてください
12月  「今年のこの一冊」

という風に、案を提示。7月のブレイディみかこは当初4月の予定だったが
6月と入れ替え、4月の内容も「ペスト」に変更したが、4月はコロナ騒ぎで
延期、5,6月とずれ込んだため、結局7月にはみ出してしまった。
 その間、ブレディみかこの新作「ワイルドサイドをほっつき歩け」が発売に
なった。こちらも読むのを楽しみにしている。

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 この日はほとんどが絵本の紹介。武田さんは読み聞かせ中心で、高学年
対象の「蜘蛛の糸・芥川龍之介」「賢者の贈り物・オー・ヘンリー」「ハーメルン
の笛吹き男」「奇跡の林檎」などを紹介してくれた。
 実はこの読書会のメンバー5人が昨年暮れから本城小学校の読み聞かせ
に行くようになった。当初、消極的だった学校側が再開されるや、俄然やる気
になってきた。読み聞かせメンバーに父兄が入るようになったのだ。だから
メンバーが毎回6人そろうので、複式学級をばらして各学年ごとに異なる本を
読んであげることができるようになった。一方、串間市で最大の福島小学校は
私と武田さんが読み聞かせに行ってるが、ボランティアの我々2名がメインで
父兄参加が少ない。一月に1学年(3クラス)をボランティア2人に父兄1名で
やってる実情はちょっと寂しい。何とかせねばと校長に読み聞かせに関する
会見を申し込んである。


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 さて今回の私は児童文学を紹介した。実は前から毎日新聞の広告に出て
いた「中学生までに読んでおきたい日本文学(全10巻)」
ところがこの後「中学生までに読んでおきたい哲学(全8巻)」
というのが紹介された。この本が気になってしょうがない。アマゾンを調べてみ
るとバラ売りされて、中古本もある。そこで1冊ずつ買って読んでみることにした。
買ったのは前者の5巻「家族の物語」後者の8巻「はじける知恵」を購入した。
 読んでみて、これは中学生どころではない、我々高齢者にも適した優れ本で
ある。特に哲学がおもしろい。こちらはエッセーみたいなもの、気軽に読めるが
書かれた内容は深い。一方の文学の方は、有名作家が綺羅星のごとく並んで
いる。こういう短編をよくぞ集めたものだと感心する。中古本はお薦めですぞ。





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5月の読書会ーアルベール・カミュ「ペスト」

.16 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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 新型コロナウイルスの影響で先月は読書会を中止した。今月も駄目かなと
思っていたら、連休明けに事態は好転して、慌てて今月の読書会をセットした。
当日は御覧のように、窓を開けて部屋を換気、長テーブルに一人ずつ座り、
全員マスク着用。と御覧のようにして5月の読書会は始まった。


 なぜ?この本が書かれたか?  最後にこうあります。

 そうして医師リウーは、ここに終わりを迎える物語を書こうと決心したのだった。沈黙する者たちの仲間にならないために、ペストに襲われた人々に有利な証言をおこなうために、せめて彼らになされた不正と暴力の思い出だけでも残すために、そして、ただ単に、災厄のさなかで学んだこと、すなわち、人間のなかには軽蔑すべきものより賞賛すべきもののほうが多い、と語るために。

 そう、人々はすぐにすべてを忘れてしまうのです。結局は、生き延びた人々が云うように「いつだって同じ」なのであり、しかし「それが彼らの強さであり、彼らの罪のなさ」でもあります。だからこそ、忘却に抗い、記憶を確かなものにするために、このすべてを
記録することが必要なのです。
 では記録されるべきは何か。当たり前のことですが「ペスト」は架空の出来事でカミュによって作られた小説にすぎません。しかしこの物語はカミュ自身が体験した様々な不条理な出来事の集大成なのです。それは、父親を幼いころに戦争で亡くしたこと、結核を患ったこと、第2次世界大戦中の対独抵抗組織での抵抗活動、アルジェリア戦争などなど。
ここではこれらの作者自身に起きた不条理な出来事を抽象化して「ペスト」という感染症に置き換え、更にその結果起きた「都市封鎖」という状況を生じさせることで、都市内全ての人に降りかかる不条理のもとで生じる人々の営みを描くことで様々な問いを読者に投げかけています。
 人生で必ず遭遇する不条理な出来事をカミュはどうとらえていたのでしょう。カトリックのパヌルー神父との対話を通して、神を信じる者と神を信じない者の対比をすることで
自分の人生への向き合い方を説いています。
 
 キリスト教は、人間については悲観論者でありながら、人間の運命については楽観論者なのです。さて、人間の運命について悲観論者であるわたしは、人間については楽観論者なのだと、私は言いましょう。しかも、それは、わたしにはつねに不足なものに思われる人間主義の名においてではなくて、何物をも否定しないようにしようとするところの無知の名においてなのです。

 キリスト教は、人間ははじめから原罪を刻印された悪いものだと捉えていますから、「人間については悲観論者」です。ところが人間の運命については、来世では天国で救われますよ、と楽観しています。
 それに対してカミュは、神はいない、来世などないという立場ですから、「人間の運命については悲観論者」ですが、人間については悪いものではないかもしれないという楽観的な希望をもっています。それは「ペスト」に込められたメッセージでもあります。人間は初めから罪を負って生まれてくるものでもないし、はじめから悪をなすために存在しているわけでもないということです。
 そういうわけでこの作品は主人公の医師リウーを中心に信仰や大義を振りかざすことなく、自らの責務を誠実に果たすことで人間同士の連帯を生み出していく物語として構成されています。

 人の問題とは別にもう一つ重要な視点があります。経済の問題です。作者がアフリカ北部アルジェリアのオランという都市を対象としたのには訳があります。アルジェリアは当時フランスの植民地でした。経済的利益の搾取のために他国による支配が行われているわけですから、ある意味、この都市が経済最優先であるのは当然のこととなります。そういう都市を対象としたのは実は身近な現代社会を念頭に置いて書かれたものであるといえるでしょう。感染症で都市が監禁状態に置かれ、経済活動ができなくなった時に人間ははたしてどう対応するのか。この現代的意味は疫病だけでなく、地震、洪水、津波、原発事故が起きて経済システムが停止した時、どうなるのかという日本で毎年のように繰り返される出来事そのものでもあるわけです。

 さて本題に入っていきましょう。ペストらしきものが発生した時、まず何が起こるか。現代において、天災はつねに法や行政の対応と結びついています。行政側の対応は得てしてこうなりがちです。

 この病気を阻止するためには、それが自然に終息しない場合、あらかじめ法律で定められた重大な予防措置を適用する必要がある。そのためには、これがペストであることを公式に認めなければならない。しかし、その確実性は絶対とはいえない。したがって慎重な考慮を要する。

 この状態を作者は「追放状態」と呼んでいます。ここで追放されているのは、病人や死者だけでなく、病気と無関係の一般市民もそうなのです。何か大変なことが起こっていると分かっていても、それをニュースが伝えても、何の方策も講じられない状態は市民が放っておかれる状態ですから、追放状態なのです。

 では住民の側はどうなのでしょう。

 そう、ペストは、抽象と同じく、単調だった。
 抽象と戦うためには、多少抽象に似なければならない。


 初期の疫病の発生は、医師や政府に「人間の健康を保つという行動の指針」を持つべき理念を起こさせますが、実際には起こっている事象が非現実的であるため「抽象」として認識されます。逆に人々の「日常」というものは、普段はそう感じなくても、奪われそうになると「幸福」に置き換わっていきます。結果、日常的な幸福にしがみつこうとしても、災厄の絶対的な大きさに対してはどうにもならず、理念を幸福に優先させなければならないようになってきます。

 日本では、理解しにくいのですがヨーロッパの多くの地域は、カトリック的な土壌の上に成り立っています。そこでは神がつねに問題となります。全能の神が人々の最終的な救いの拠り所として作用しているキリスト教的ヨーロッパで、作者はそうした精神の支配とも戦わねばならないのです。
 作品中のパヌルー神父がその代表者として登場します。決して主人公の医師リウーと対立するわけではありません。逆に医療活動には協力的です。ここでは教会での2回の説教を通して、神父の信仰者としての意見を述べるという形をとっています。一方、医師リウーは文中、「神を信じていますか、先生?」と問われ、はっきりと「いいえ」と答えています。「神なき世界で生きる」というもう一つのテーマが底流を流れています。

 同志的色彩の濃い人物としてタル―という人物が登場します。彼が時々記す手帳の存在は、語り手のリウーと重層的に記録者という位置づけです。彼は有志を集めて保健隊を結成し医療従事者や患者を助けます。その献身的で美しい行為の実践に対して作者は過剰な賛美を避けています。そうすることによって「ペスト」は決して勇敢さの美談ではないし、特別に強い精神を持った主人公による美しいヒロイズムの物語ではないと言っているのです。
 タル―とは対照的に凡庸きわまる人物として小役人グランが登場しますが、自分にできることをするという静かな美徳のとるに足らない地味なヒーローを読者の代表として登場させることで共感を得ます。
 一方、犯罪者であり、ペストによる騒ぎのおかげで逮捕を免れたことを喜んで、更に悪事を重ねるコタールのような悪人を描くことで、この小説は豊かな厚みを持っているといえます。
 もう一人、この疫病の発生直前にこの町にやってきた記者ランベールもまた、ヒロイズムとかけて描かれます。彼は自分は旅人で、たまたまここにやってきただけで、ここの市民ではないから、「都市封鎖」されても自分は例外的に外へ出してもらう権利があると固く信じて合法的な手続きを重ねますが、駄目と分かると今度は非合法的に封鎖を破ろうと努力します。パリにいる恋人に会いたいというのがその理由なのですが、ある時、リウーの
妻が町の外の結核療養所にいることがわかり、自分も残ることを決意して、タル―やグランとともに保健隊の活動に参加します。

 作者の目はタル―にもグランにもランベールにも、そして犯罪者のコタールにも決して否定的ではなく、肯定的なまなざしを向けています。先にキリスト者に対して自分は人間に対して楽観主義者であると述べたのは、こういう事なのです。

 まだまだ、書けば書くことはたくさんありますが、おおよそのことはこんな風です。「ペスト」を今回の「コロナ」に置き換えてみると実に分かりやすいと思います。この「ペスト」は一都市が舞台です。ここだけで疫病は発生し、終息しています。しかし、「コロナ」の問題は時代を背景にグローバル化による国境線の希薄化が中国の武漢という一都市からあっという間に全世界に拡散し、未だに終息していません。
 我々が人生の「不条理」をあまり意識してこなかったのは、不条理が人や時間や地域によってばらばらに起こっていたために、他人の不条理にまで目がいかなかったからではないでしょうか。「コロナ」による不条理は全世界の人々がほとんど同時に実感していることにあるといえるでしょう。通常あり得ないことが今起こっています。この本には不条理に立ち向かう様々なヒントが散りばめられています。




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3月の読書会

.20 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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3月の読書会は図書館の会議室や施設の研修室などがすべて
コロナウイルス対策で貸出禁止になってしまいました。困って、
思い付いたのが3月初旬これも開催中止になってしまった本城
地区おひなさま雅まつりの会場の一つに声を掛けたら、快く部屋
を貸していただくことになった。場所は本城の田んぼの中の道を
行った先にある丘の上の実藤さんの別宅である。数週間前、読
書会をしたいので会場に貸してもらえないかとお願いしたら、
「おひなさまを片付けんで置いちょくが」ということで、うかがうと
おひなさまが我々を迎えてくれたのでした。今回の出席者は
ちょっと少なくて5人。「詩歌」というテーマは少し皆さん苦手の
ようです。確かに、普段接していない人にとってはどこから取り組
んでいいのか分かりにくい分野かもしれません。

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今回、私はたまたま昨年買っておいた短歌集と最近買った短歌集
が手元にあったのでそれを紹介しました。

時代を映す短歌集 二題             
・萩原慎一郎  歌集「滑走路」
・笹井宏之    歌集「ひとさらい」

 どちらもNHKで放送されたのを契機に読んだ短歌集です。萩原慎一郎の「滑走路」はNHK「クローズアップ現代+」や「ニュースウオッチ9」で放送され、大反響になった短歌集です。本の帯に「32歳で命を絶った歌人―。苦難の中、それでも、希望を歌に託した魂の絶唱」親と一緒に香港へ、小学校2年で東京都小平へ帰国、親が家を購入、私立の中高一貫校へ入学。いじめを受ける。卒業後早稲田大学へ入学も精神的不調で時間をかけて卒業。通常の就職を断念。アルバイトと契約社員で働く傍ら、いじめを受けていたころから始めた短歌の世界に希望を抱いていたのだが・・・・この歌集が出た3年後、自ら命を絶つ。
歌をいくつか紹介しよう。

抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ

作業室でふたりなり 仕事とは関係のない話がしたい

きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば

〈青空〉と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕

歌一首湧いてくるなり柔らかい心の部位を刺激されつつ

街風に吹かれて「僕の居場所などあるのかい?」って疑いたくなる

消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ

まだ結果だせず野にある自販機で買いたるコーラいまにみていろ

群衆の一部となっていることを拒否するように本を読みたり

脳裏には恋の記憶の部屋がありそこにあなたが暮らし始めた

至福とは特に悩みのない日々のことかもしれず食後のココア

ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

平凡を嘆きたる夜に非凡なるひとの書を読む近付きたしと

曇天にメスを入れたし開きたし暗い未来を取り除かんと

目の前をバスがよぎりぬ死ぬことは案外そばにそして遠くに

飲み込まれないように歌 いっぽんの旗のごとくに蒼き大地に

われを待つひとが未来にいることを願ってともすひとりの部屋を

コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生

頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

こころのなかにある跳び箱を少年の日のように助走して越えてゆけ


 こうして抜粋された歌を詠んでいくと萩原慎一郎くんの人生がまるで走馬灯のように我々読者の心に染み入ってきます。「非正規」という社会の表舞台とは異なる世界から抜け出せない多くの若者を生み出した経済効率主義社会。言いようのない哀しみが湧いてきます。

 さて次の笹井宏之の歌集「ひとさらい」はNHK「あさイチ」で芥川賞作家川上未映子さんが紹介したことで話題になりました。笹井さんは重度の身体表現性障害。自分以外のすべてのものが、本人の意識とは関係なく、毒であるような状態。テレビ、本、音楽、街の風景、誰かとの談話、木々のそよぎ、それらすべてがどんなにここちよさやたのしさを感じていても、耐え難い身体症状となり寝たきりになるのだそうです。文学とは無関係にキーボードに手を置いていると、どこか遠いところに繋がっているような感覚で歌が生まれるそうです。だから歌作の作業は限りなく自分の中に入っていく果てしない瞑想のようなものだといいます。この歌集の刊行から1年後、病気のため亡くなりました。
歌集の中からいくつか拾い上げてみます。

わたがしであったことなど知る由もなく海岸に流れ着く棒

ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした

風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが

まだあおいトマトを櫛で梳きながら雨のふる海岸を思った

表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん

かるたとるゆび三本の先にあるあなたの所有している首

ウエディングケーキのうえでつつがなく蠅が挙式をすませて帰る

歯神経ふるわせながら淡雪でできた兎をゆっくりと噛む

思い出に降っている雨を晴らそうとまずは蛇口を締めてまわった

内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降っている

そうごんやりゅうれいなどを強引に巻き付けながらピアニカで愛

天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜

一生に一度ひらくという窓のむこう あなたは靴をそろえる

緩急を自在につけて恋文を綴るフリース姿の老師

一晩中ほとけになっているひとへゆっくりながしこむハーブティ

別段、死んでからでも遅くないことの一つをあなたが為した

思い出せるかぎりのことを思い出しただ一度だけ日傘をたたむ

ひとたびのひかりのなかでわたしはいたみをわけるステーキナイフ

一通り抜き出してみましたが、これらはかろうじてなんかわかる程度の歌ですが大半は全く理解できない歌が並んでいます。これはある意味、詩かなと思います。最近話題になりNHKでも特集番組を組んだ詩人 最果タヒの詩をどことなく連想させます。

同じ色   最果タヒ

洗い流されていくと本当は何一つ残らない、私の骨もつるつるになってそのうち、きれい
になくなってしまう。台所で水の落ちる音がする、感触が残っている、昔ふれた誰かの背
中、まだ動いていたセミのお腹、骨が続いていく、わたしの指の先のさらに向こうまで。
それを追いかけて人生が終わります。すごく好きでした、それはあなたではなくて、あな
たの向こう側にある緑や水の音のことだったんですけれど。

夏はいつもすべて洗い流して、水たまりのように痕跡を、いくつも残して消えていく。秋
だ、すごく好きでした、それはあなたではなくて、あなたの向こう側にある緑や水の音の
ことだったんですけれど、と、誰かに言われたいが為に、果てまで一人で来てしまった。

時々わたしはおもいます。誰もいないところにこそ、愛ってあるんじゃないかなあと。

拍手している、光はいつも。返事をしている、水はいつも。
どうして忘れ去られることが怖かったのかわからない。そうやって皆、生まれてきたのに。

明日も、あの世も同じ色。秋だ。

 普通、歌や詩の作者は読者を意識して、共感できる表現や言葉を選びます。がスマホやSNS上では少し趣が異なるようです。最果作品は一見ポップに見えます。しかしそこには、毒キノコのようなこわさが秘められているようです。詩の読みとり方は人それぞれであり、自由なものです。あれこれ想像しながら読まなくとも、感じながら読み流しても楽しめるものに変わっていて、若者はそういう感覚で詩や歌を感じているとも言えます。音楽やダンスのように、詩も、アタマより感覚で楽しんでいく。しかも、詩はパソコンのクリックや、紙のページをめくるだけで味わえる。

 笹井さんの歌は、詩的であり、歌の歌詞のように感覚的です。好き嫌いがはっきり表れる作品かもしれません。




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漫画「聖」

.14 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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 久しぶりに都城に行った。6月が最初の車検で、今回はその事前点検。
特に大きな問題はなく、保険等含めて6万ちょっとで済みそうだ。帰りに
漫画倉庫に立ち寄った。久しぶりにいい漫画があったら買おうかと見て
回る。全巻買うのを大人買いというのかな。巻数の少ないのがいい。た
まにはぼーっと漫画を読んでいたい。というので出会ったのが、この「聖」
という漫画。「さとし」と読む。

 以前、ビックコミックで連載していた漫画で、内容は読んでよく知っていた。
大崎善生氏の小説「聖の青春」も読んだ。これは最近、松山ケンイチ主演で
映画化されている。そしてその映画の主題歌が秦基博の歌う「終わりのない
空」である。大崎さんの小説が下敷きになっているものと思ってあとがきを
読んだら、この漫画家山本おさむ氏の独自取材で練り上げた作品だと分か
った。この漫画家の作品はどれも哀しい。この漫画「聖」も10ページに一度は
涙ぐんでしまう。

 さて漫画「聖」の主人公を紹介しよう。将棋界に実在し、早逝した村山聖9段
の幼いころから亡くなるまでの短い人生を綴ったものだ。聖少年は幼いころに
腎臓病を患い、小児病棟暮らしをおくる。同じ病棟の仲間が次々に死んでいく
中、彼は将棋と出会い、やがて名人を目指し、奨励会からプロ棋士になり、
並みいる強敵のひしめく中を一歩一歩登っていく。名人位をとるのがいかに
難しいか。C級2組→C級1組→B級2組→B級1組→A級(10名) このA級総当
たりで勝率の一番高い棋士が初めて名人への挑戦権を得るのである。そして
村山聖がようやくこのA級に上り詰めた時一足早くこの名人位についたのが
羽生善治である。もう少しで名人位に届く位置に上り詰めるが病魔が襲い、
29歳で早逝する。

 どのページも感動的なのだが、最期はやはり生き方が壮絶で哀しい。実は
この漫画を描いている山本おさむ氏があとがきに書いておられるのだが、奥
さんもこの村山聖さんと同じ病気だったそうだ。最後の方で昔、同じ病棟に
いた女友達が結婚した後、亡くなるのだが、その部屋を訪ねる場面がある。
その場面を書いている時、25年間闘病されていた奥さんが亡くなられたのだ
そうだ。山本さんはこの村山聖の生き方に自分を重ねて描いておられたのだ。

 買ってきた日の夜、読み始めた。次の日も一日読んでいた。年を取ると涙腺
が緩む。読み終わると雨上がりの空から日が差してくるようなさわやかさが残
った。

 この漫画本は全9巻の装丁を改めて全3巻に再編集されたもので、随分分厚い。
1冊が630ページほどある。子供らに読ませたい漫画がまた増えた。
最後に秦基博の「終わりのない空」の歌詞の一部を載せておきます。


      終わりのない空

例えば 鳥なら どんな高い壁でも
怯まず 風をまとって 越えるのだろう

飛べない僕らは 這うように進むだけだ
いのちを 一歩 一歩 刻みつけながら

この空の終わりを 誰が知るだろうか
果てなんてどこにもない 歩みを止めるな

生きるほど 僕ら 悲しみを重ねる
踏み出すこと ためらうくらいに
だけど それさえも ここにいる証しだ
絶望だって 抱きしめながら
明日へと向かおう




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カミュ作 「ペスト」

.10 2020 読書 comment(0) trackback(0)
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 前にも話したが、4月の読書会のテーマをカミュ作「ペスト」にした。
同じことを皆考えるらしく、先日、新聞を読んでいたら、「新型コロナ
ウイルスの感染拡大で深刻なマスク不足が生じているのと同じよう
に、ある名著の在庫切れが全国の書店で相次いでいる。フランス
のノーベル文学賞作家、アルベール・カミュが1947年に発表した
「ペスト」。閉鎖された環境下で伝染病の脅威と闘う登場人物の姿
や後手に回る後手に回る行政の対応を描いた場面に、日本の現
状を重ねる重ねる人が多いのかもしれない」とあった。

 ペンクラブの総会で宮崎に行った時、本屋で探したが売り切れ
だった。慌てて、アマゾンで検索した。結構売れてるらしく、中古本
が高額になったり、在庫切れが相次いでいる。ようやく希望の本を
探し当て注文した。1週間後にようやく手に入った。

 内容の概略は以前、NHK Eテレの「100分de名著」で放映された
モノを見ていて、大体分かる。読み終えたらまた講評らしきものを
書きたいと思う。NHK Eテレの「100分de名著」から概要を抜粋した。


第二次大戦の只中、「異邦人」「シーシュポスの神話」等の作品で「不条理」の哲学を打ち出し戦後の思想界に巨大な影響を与え続けた作家アルベール・カミュ (1913- 1960)。彼が自らのレジスタンス活動で培った思想を通して、戦争や全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう向き合い、どう生きていくべきかを問うた代表作が「ペスト」である。
舞台は、突如ペストの猛威にさらされた北アフリカの港湾都市オラン市。猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていく。その一方でオラン市は感染拡大阻止のため外界から完全に遮断。医師リウーは、友人のタルーらとともにこの極限状況に立ち向かっていくが、あらゆる試みは挫折しペストの災禍は拡大の一途をたどる。後手に回り続ける行政の対応、厳しい状況から目をそらし現実逃避を続ける人々、増え続ける死者……。圧倒的な絶望状況の中、それでも人間の尊厳をかけて連帯し、それぞれの決意をもって闘い続ける人々。いったい彼らを支えたものとは何だったのか?
「ペスト」はナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩だといわれる。過酷な占領下で、横行した裏切りや密告、同胞同士の相互不信、刹那的な享楽への現実逃避、愛するものたちとの離別等々。カミュ自身がレジスタンス活動の中で目撃した赤裸々な人間模様がこの作品には反映している。それだけではない。「罪なき人々の死」「災害や病気などの避けがたい苦難」「この世にはびこる悪」……私たちの人生は「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。「ペスト」は、私たちの人生そのものの隠喩でもあるのだ。
番組では、カミュが描き出そうした、人間にとって不可避な「不条理」に光を当て、「ペスト」という作品を通して、人間は「不条理」とどう向き合い、生きていけばよいのかを読み解いていく。

 こんな田舎にいても数少ない日常的行事やイベントがほとんど
閉鎖状態である。一日をすごく長く感じるようになった。夕方の楽
しみだった大相撲も観客がいないのでまるで幕下以下の取り組
みを見ているような既視感で腰を下ろしてじっと見るに堪えない。
晴耕雨読ならぬ晴読雨読を強いられてるような日々に「ペスト」を
読むのは案外いいかもしれぬ。





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