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秋刀魚

.14 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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秋刀魚の歌
 
 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 思いにふける と。

 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ
 秋風よ
 汝(なれ)こそは見つらめ
 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
 いかに
 秋風よ
 いとせめて
 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ、
 夫を失はざりし妻と
 父を失はざりし幼児とに伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて、
 涙をながす、と。

 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩っぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。
                     ( 佐 藤 春 夫 )

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今年はサンマが大漁でたくさん食べられそうですね。
都会生活をされている人にとって、さんまを炭火で焼いて
食べるなどというのは実に贅沢なことであるかもしれませんが
我が家ではその気になれば実に簡単なことです。
縁側に置いた七輪に炭を入れ、火を起こし、買ってきたサンマを
乗せれば、しばらくすると秋刀魚の油が炭に落ちて
炎が立ち上ります。香ばしい秋刀魚の油の匂いが食欲をそそります。
そうそう、大根おろしが欠かせませんね。

大阪で仕事をしていた頃、和歌山県の新宮でイオンの
ショッピングセンターを作っている間、毎週大阪から泊りがけで
通ったのですが、ある時南紀勝浦の旅館に泊まった朝、駅前に
石碑があるのに出くわしました。それがこの佐藤春夫の
「秋刀魚の歌」でした。

でもよく読むとこの詩、意味深ですね。一体どういう状況で
詠まれた詩なのでしょう。

最近、ノーベル賞の文学賞で川端康成に決まるまでの経緯が
ノーベル財団から公表されました。谷崎潤一郎と川端康成の
ダブル受賞の可能性が高かったという驚くべき事実があったと
ありました。

この詩はその谷崎潤一郎の私生活に触れた実に赤裸々な詩
なのです。谷崎と佐藤は親友でお互い親密な付き合いを重ねていました。
谷崎の夫人千代とその間にできた長女鮎子がこの詩の登場人物です。
谷崎が千代の妹に懸想して留守の間、訪ねてきた佐藤と婦人と子供が
秋刀魚を夕餉に食べている様子を歌ったのがこの詩なのです。
夫潤一郎の不実を嘆く千代、その千代に深く同情する佐藤。
なんとこのあと、谷崎は佐藤に「妻千代をお前にやる」と約束するのですが
千代の妹との再婚がままならず、その約束は守られませんでした。

佐藤はこのことを非常に怒り、谷崎との友情関係は壊れてしまいます。
数年後、谷崎は文藝春秋社の女性記者といい仲になり、結局千代と離婚します。
その時、谷崎は佐藤を呼び出して、千代をもらってくれと言って千代を
送り出すのです。結局、佐藤春夫は千代と子供の鮎子共々引き取って
新しく円満な家族を作ります。

谷崎はこの女性との関係は2年ほどで壊れ、次に当時人妻であった根津松子に
しつこく結婚を迫り、ついに再婚を果たす。「細雪」の4姉妹の二女幸子は松子を
モデルに書かれたものである。谷崎の恋愛遍歴はこのように多彩ではあるが
その都度真剣でそれはそのまま作品へと昇華している。それもまた見事である。

一方、詩人佐藤春夫の秋刀魚の歌は佐藤の代表作として今に残る。
こういう背景を理解しながら今一度この詩を味わってご覧なさい。
ここでは秋刀魚の温かさのみが際立って千代、鮎子、春夫の気持ちとは裏腹に
なんともならない現状にただ不安といらだちにおののく心が漂っています。





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ひこばえ

.12 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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久しぶりの「ひこばえ」合評会参加です。
8月は鹿児島へ配筋検査に行く日が重なり、9月は椎葉へ
行ってる日と重なり、2か月参加できませんでした。
5月あたりからの作品を投稿していないので、半年近く
新たな作品を投稿できなかったことになります。

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気持ちの上でも少し、中だるみしていたのかもしれません。
もう少し「書く事が日常的である」というふうにしていきたいと
思うのですが、「書きたい」ということはそれだけ日常に対して
「気づき」のようなものを持たないと作品へと昇華していきません。
たぶん、出来事は日々起こっているわけですが、それを書いた時、
最後の数行で「はて?」と息詰まるのです。「で、それがなに?」と
問い詰められた時に返す言葉が出てこないとそれは作品足りえません。
落語でいうオチですね。

何が言いたいのか、書き始める前にぼんやり浮かんでいることもあるし
一度書いてみて、推敲を重ねるうちにあっと思い浮かぶこともあります。
もっとも、推敲は重ねすぎると最初の勢いみたいなものが失われることも
あるし、前後をひっくり返してことがうまく運ぶこともあります。
合評会で会員にいじられるのは実は非常に勉強になります。
意見の一つ一つにいろんなことを気付かされます。

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毎朝、新聞のはがき随筆欄や他のエッセーなどを読むのですが
100人いれば100通りの書き方がありのだとそのばらつきの広さに
うんざりすることもありますが、これはすごいという文章に出会う
こともあります。

最近、書いたもののことが気になります。このブログにしても
そうですが、家族に残すには結局こういうものが一番いいのかもしれないと
思う事があるのです。写真は観る側の思いを喚起するだけですが
書かれたものは書いた者の思いが宿ります。思いが残るというのが
結局家族に残す一番いい置き土産かも知れないと思うのです。





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朗読ボランティア養成講座

.08 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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知り合いが最新号の市報に朗読ボランティア養成講座の
案内が出てると教えてくれた。3回だけだが、専門の先生が
宮崎から教えに来てくれるらしい。
小学生に一緒に絵本の読み聞かせボランティアをしている
Tさんに電話をすると「私もそれに参加しようと思っていた」と
言う。一緒に参加することにした。

主催はカナリア会。代表は以前、図書委員会でご一緒したことのある
Yさんで、毎月、市報が出ると、目の不自由な方々に届けるため
テープに会員が手分けして市報の内容を吹き込んでいる。
歴史のある会で素晴らしい仕事をされている。
毎月、関係者は飫肥で朗読の講習を受けているのだそうだ。

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女性の参加者が多いので我々男二人の参加は感謝された。
Tさんが朗読ボランティアへの参加者を募る下心で参加してますと
いうとカナリア会からもうちも同じですという。
どの団体も若い人の参加を望んでいる。

ところがである。いざ講習が始まってみると先生が高齢にも
関わらず元気が良い。配られたテキストには佐野洋子さんの
「100万回生きたねこ」とレオ・バスカーリアの
「葉っぱのフレディ」と宮沢賢治の「注文の多い料理店」が載っている。
今回は「100万回生きたねこ」だ。
いきなり、一人ずつ文章を読まされる。アクセント、抑揚の違いを
その場でビシビシ指摘され、何度も何度も読み直しをされる。
久しぶりに厳しい場に立たされ緊張感が走る。

ああ、これは体に覚えこまさないとダメなんだとわかってくる。
ひとりひとりに対する指摘が実に勉強になる。なにげに読んでしまう。
方言の抑揚で言葉に力がないとたちまち指摘される。
連続して読むべきところ、切るところ、細かな指摘がビシビシ
飛んでくるがこの先生、相手を不快にさせない話術が実に冴えていて
すぐに笑いを取りながらてきぱきと進めていく。見事である。

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翌週の木曜日は久しぶりに福島小学校の児童への読み聞かせだった。
今回の対象は1年生。ウワ━(。・ω・)ァァ━・゚・ー1年生か・・・・・
特に絵本を探すなどの準備をしていなかったが
そこはそれ、本棚から谷川俊太郎訳の「かみさまへのてがみ」を
引き出していき、それを朗読した。結構面白がってくれたし、
集中して聞いてくれた。

朗読の先生からも言われたが、絵本の選定が難しい。
特に小学生の場合、学年によってうまく使い分けしないといけない。
だけど若い子供たちにこうして朗読をすることは大いに楽しい。
毎回元気をもらう。




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9月の読書会

.28 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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9月の読書会のテーマは「星・月・夜」
こういうのはちょっと困る。というか本の選定が難しい。
本棚をあさり、沢木耕太郎の「流星ひとつ」と三浦しおんの
「神去なあなあ夜話」を抱えていった。
「流星ひとつ」は宇多田ヒカルの母親藤圭子と沢木耕太郎の
対談集である。実は藤圭子が飛び降り自殺した直後に買って
読んだ。

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皆、持ち寄る本に苦しんだようでいまひとつ盛り上がらなかった。

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そこで最近読んだ本を2冊紹介します。

一つ目は葉室麟の「散り椿」。映画化されたようなので
見たいと思う。藩の家老の不正、陰謀によって藩を追われた
主人公が流浪のなかで妻を失い、妻の最後の願いで
藩へ帰るところから物語は始まる。
話は2重3重の構造になっていて、読み進むうちに
話がより深くなっていく。そういう意味では読み手を飽きさせずに
最後まで引っ張る。「蜩の記」に比べると話の展開の仕方に
長けてきたと言いたいところであるが、残念ながら
昨年暮れに葉室麟は亡くなってしまった。
66歳だから若い。これからを嘱望されていただけに惜しい。
2012年に「蜩の記」で直木賞受賞。地方紙の記者を経て作家
という経歴も作風も藤沢周平に似ている。

もう1冊は飲茶の「哲学的ななにか、あと数学とか」
友達が勧めてくれたのでアマゾンで注文してすぐに読み始めた。
面白かった。内容は1600年代「フェルマーの最終定理」がフェルマー
によって提起されてから証明されるまでの350年間に及ぶ様々な
数学者たちの苦闘の物語なのです。
数学なんて苦手なのに面白く読めてしまうという不思議さ
この飲茶という人は本当にすごい。何がすごいかというと
哲学や数学といった誰もが敬遠する分野をとりあげやさしく丁寧に
説明する名人なのです。





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劉邦

.05 2018 読書 comment(0) trackback(0)
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以前紹介した宮城谷昌光さんの「湖底の城」の6巻まで読んで
続きを本屋に行くたび、探すのだけれど、まだ出てないのかな。
仕方ないので、本屋で新たに宮城谷さんの最新作「劉邦」の
1,2巻を買っておいた。しばらく寝かせておいたが、ある日
読み始めたら面白くて、気がついたら朝の3時。
こうなるともうダメ。やめれなくなる。先日宮崎にいった折に
本屋さんで続きを探してもらったら3,4巻が出ていたので
購入しておいた。小川作小屋村でも、ずっと読んでいた。
気がついたら4巻の最終まで読み終わっていた。

司馬遷の「史記」を元に書かれた本には司馬遼太郎の
「項羽と劉邦」があり、もうずいぶん前に読んでいた。
うろ覚えだが、韓信や張良の描き方が随分違うように思えた。
それに主人公の劉邦の描き方これも違う。当然といえば
当然かも知れない。

巨人司馬遼太郎の作品があるし、本当は宮城谷さん書きたく
なかったのではないか。そう思ってあとがきを見るとこうある。
「すじの通らない人は好きではなく、ましてそういう人を小説の
中心にすることはできない」
秦が瓦解した後、楚漢戦争(項羽と劉邦の天下取りの争い)
の中で最後に滅ぶ項羽の生き方は筋が通って分かり易いが
劉邦は実にわかりにくい。そこで宮城谷さんはひとひねりする。

楚漢戦争の最中、一時的に旧王国、楚、韓、趙、斉などが
復活する時期がある。その斉の国の田横を主人公にバックに
項羽と劉邦の争いがあるという描き方で本を書いたというのである。
それが「香乱記」4巻である。
あれ・・・待てよ。その本読んだはずと書棚を見ると確かにある。
確実に読んだはずなのに中身を何も覚えていないのである。

なんか悲しいような、嬉しいような。なぜか?また一から読み直せる。
困ったものである。

さて「劉邦」であるが、正直面白かった。ああ、これは小説だなと思う。
歴史書ではない。特に前半部の田舎でくすぶっている頃の劉邦や
仲間たちとのやり取りが面白い。例えば、今の時代で言えば
この人口17000人くらいの小さな街の世話役みたいなおっさんが
周りの飲み友達と一緒に天下を取る物語なのだ。小説の中でも
ある日突然、ヒーローになるわけではなく、そうしたふるさととの関係を
最後の最後まで引きずっている。そういう等身大に描くことが小説の
ディテールをきめ細かなものにしていて、物語が頭の中で徐々に
豊かな物語になっていく、そこが面白かった。

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は随分昔に読んだので、詳細な記憶は
残っていないが、韓信の描き方が今回の宮城谷さんの「劉邦」と随分違う
と思った。司馬さんは韓信を稀代の英雄として描いていて、その戦上手
の作戦が細かく書かれていたが、宮城谷さんは韓信をあまり評価して
いないように思う。韓信が随分活躍する割に最後にはしりすぼみなのは
今回の宮城谷さんの本質を見抜いた描き方の方が的を得ているような
気がする。もうひとりは張良である。司馬さんの作品の中ではあまり
その価値がよく理解できなかったのだが、今回は血統の良い軍師として
また劉邦の片腕としての描き方が理解しやすかったように思う。

何ゆえに史記に描かれた世界がこんなふうに作者によって変わってくるのか。
中国の正史は、時代を追って、歴史小説のように書かれているわけでは
ないからだ。先に国家に関わる政、祭が先に書かれ、登場人物は
重要な順に個人史として、順に描かれている。その個人史を深読みしながら
人と人の関係をあぶり出して行かねば小説にならないのだ。
そこに作家の構想力が問われるのである。

「香乱記」どんなだったかなと読み始めたら面白くなってきた。
また読まねば思い出せないとは・・・・・トホホ

あっ、ちなみに写真左上は漫画の「項羽と劉邦」である。
司馬さんの「項羽と劉邦」探してみたが見つからなかった。




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