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空からの風景

.17 2019 comment(0) trackback(0)
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宮崎行きの飛行機は12時。11時までに空港に着けばよい。
9時少し前に娘の家を出た。浦和美園、駒込、浜松町、
羽田空港第2ターミナル。ソラシドエア―の発券所は一番奥。
席は?今日は天気がいい。ひょっとして富士山が見えるかも
しれない。窓際の右側の席を選択する。


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飛行機は予定通り離陸した。離陸して右に旋回。海面が輝いている。
旋回中に右に傾く、翼が下がったその上方、霞の中に冠雪した
富士山が見える。「あっ、富士山だ」スマホを取り出し、撮影開始。
もちろんスマホは機内モードです。


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今飛び立った羽田空港が後方に見える。確か、着陸するときには
太平洋上を飛んできた飛行機は房総半島で向きを変え、羽田へ
一直線に突っ込むように着陸する。
ところがこうやって離陸した滑走路はそれと直行するように羽田の
沖合にまるで航空母艦のように浮かんでいる。確か東京の空域は
ほとんどがアメリカ軍が占有していて、羽田から内陸の方に向けて
飛び立てないのだ。なるほどこの滑走路の向きなら、風向きが
どちらでも陸地に平行に飛び立てるわけか。一人納得。


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そろそろ横浜かなと見てると前方に超高層の建物の一群が見える。
アップにしてみたら、横浜港と周囲の見覚えある建物群だ。


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あれ?ひょっとして鎌倉? 意外にも横浜から近い。三浦半島の根っこを
横断するのでわからなかったがよく見ると確かに鎌倉だ。左前方に
江の島が見える。鎌倉から江の島にかけた箇所のみが観光地として
脚光を浴びているが、こうして鳥瞰すると相模湾に面して砂浜が
その先にも延々と続いている。鎌倉は小高い山々に囲まれた風光明媚な
地というがこうして全体を眺めると広大な住宅地の中に鎌倉を囲む
緑の山々はずいぶん頼りなげに見える。


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左前方に深い緑と高い山々が見えてきた。箱根である。なるほどこうして
眺めると昔の人達にとって箱根越えがいかに大変だったか、わかるような
気がする。手前の街が小田原で箱根の南方には伊豆半島があるはずである。
箱根の山越えは毎年正月の箱根駅伝でご存じと思うが、往路の最終関門
である。箱根に一本の筋というか谷が走っている。ここに沿って登っていくと
頂上付近に芦ノ湖がある。


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そして、その芦ノ湖の先にようやく待望の富士山が見えてきた。
なんか、万歳したくなりますね。冠雪した富士山は特にきれいです。


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富士山を過ぎるとその先に南アルプス、さらに奥の方に北アルプスが
冠雪しているのが見えます。今はまだ雪が少ないので2500m辺りまで
でしょうか、わずかな冠雪です。少し雲出てきました。見えにくくなってきました。


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雲間から湾らしきものが見えます。多分、伊勢湾でしょう。

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紀伊半島を過ぎて、前方に大阪湾が見えてきました。手前下が
紀伊半島。左端に四国がその右方向に淡路島。海をずっと
遡ると大阪湾で、大阪も見えます。


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やがて四国沖を過ぎる。室戸岬が少し見える。

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やがて厚い雲に覆われる。読みかけの文庫本を取り出して
読み始める。


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厚い雲の下は雨だった。予定通り、宮崎空港に到着。
外は雨。今回は汽車で来たので、待ち時間が長い。
一旦、南宮崎に戻り、1時間ほど待って、日南線下りで
串間へ帰った。空港着が13時50分、串間駅に到着したのが
17時。


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どうでした、空の旅。一緒に楽しめましたか、こういう具合に日本を
空から眺める機会はそうそうありません。断片的だった知識が
こういう瞬間に「繋がる」。そういうことを感じました。私が見た空の風景は
たかだか数千メートルの高度ですが、宇宙に飛び出した宇宙飛行士が
見た風景はどう違うのでしょうね。
聞くところによると人類の生存限界の酸素の層の厚さがあまりに薄いことが
地球を如何にも頼りない存在に感じるのだそうです。吹けば飛ぶような酸素の
層に取りまかれた地球、そこにしがみついて生きている頼りない生物。人類が
そういう存在に見えるといいます。

明日から日本の端っこの零れ落ちそうな地、串間での生活、再開です。





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甘楽

.10 2019 comment(0) trackback(0)
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「甘楽」?  何と読むか、わかりますか。わかる方は相当な歴史通かも。
「かんら」と読むんですね。近場で何かいいところはないかと調べたら
富岡市の隣町にこの甘楽町があり、「名水流れる織田家ゆかりの城下町小幡」
という文言に引き寄せられて行ってみることにしました。


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富岡市の駐車場から車で10分くらいの距離に「道の駅 甘楽」がありますので
まずはそこを目指します。道の駅に車を停め、道の駅のすぐ背後にある
「松井家住宅」を見、そのあと少し坂を上って「雄川堰」を見ました。この雄川堰
には「世界灌漑施設遺産 名水百選」とありました。なかなか魅力的なところ
なんですがすぐ脇を幹線道路が走っていて、水路と桜並木その横の歩道
そして街並みの差異が極端でちょっと残念な感じです。どういうのかな、
なんか凄い観光資源が転がっているのにもったいない。そんな感じがします。


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さらに山側の方に登っていくと城の石垣や武家屋敷があちこちに現れます。
駐車場も完備していて、距離的に車で回るんだったかなと思いました。


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やがて眼の前に格式のある門が見えてきます。「国指定名勝 楽山園」です。
初代城主に織田信雄の名があったのでインターネットで調べてみた。


小田原征伐後、小幡には徳川家康の娘婿・奥平信昌が3万石で入った。慶長6年(1601年)3月、前年の関ヶ原の戦いの戦功により、信昌は美濃加納藩10万石に加増移封され、翌年に1万石で水野忠清が入った。その後の元和元年(1615年)7月23日、織田信長の次男・信雄は大和宇陀藩3万石と上野甘楽郡2万石を与えられた。元和2年(1616年)から翌元和3年(1617年)まで藩主を務めた永井直勝を経て、信雄の四男・信良が小幡藩を立藩する。大和には信雄自身が入り、上野に対しては信良に預けた。信長の孫であったことから、特別に国主格の待遇を与えられた。第2代藩主・信昌のときに検地が行なわれて藩政の基礎が固められた。しかし信昌の治世末期から財政難が始まり、宝暦5年(1755年)の第5代藩主・織田信右の代には収入が6269両であるのに対して、支出が2倍近くの1万2844両に及んだ。第7代藩主・信邦の代である明和4年(1767年)、山県大弐の明和事件に連座して信邦は蟄居処分となり、信邦の跡を継いだ養嗣子・信浮は出羽高畠藩へ移された。このとき、国主格の待遇も廃止された。

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代々結構いい城主を持っていたのが仇になったのか藩は
借金で疲弊していたようだ。現在の町民はどうなのだろう。
町村合併時、隣の富岡市との合併などの話も進んだが
住民が自主独立の意志が固く、甘楽町としての存続を
決めたようである。


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さてその「楽山園」だが、とても2万石の大名が持てるような格の庭園ではない。
京都にある庭園と並べてもそれほど見劣りするとは思えない。庭自身はそれほど
広くはない。いや一望できるのだから大した面積ではないのだろうが、近くの
山々をうまく借景として取り入れていて、実に雄大な広がりを感じさせる庭である。
庭園の向こう側には雄川が少し落ち込んだ場所を流れていてその向こうに
小高い山、さらにその奥に高い山々が連なるように広がっていて、庭との
見切りがつかないのである。
織田信長の次男、信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園で、7年と数万両を
投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さがしのばれる。


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さて、初めて群馬県に踏み込んで、実際のところ何がわかっただろう。
一つは関東平野の広さである。実際車で走っていると遥か向こうに
山々が聳えているのだが、結局それらの山々はどこまで行っても遥か
向こう側にそびえ続けていて、一向に近づかないのである。ただ富岡辺りは
西側の山すそに当たり、ようやく山々の一部にたどり着いたという感じでは
あるのです。ではこれらの山々の向こう側はというと碓氷峠を越えた先が
長野県の軽井沢なんですね。富岡市のすぐ北側には高崎市があってここが
群馬県の交通の要衝になっています。新幹線はこの高崎で長野新幹線と
上越新幹線に別れます。更に見ていきますと長野新幹線はいくつかの
長いトンネルを抜けるとすぐに軽井沢駅に着きますし、上越新幹線も
群馬県内はほとんどがトンネルなのです。ですからもっと群馬県を北上して
みないとわからないのですが高崎、その少し北側の前橋(県庁所在地)
から北側はほとんどが山なのではないかと思います。(今のところ?)
では群馬県を地理的にどう説明すれば分かりやすいでしょう。
北に新潟県、福島県と接し、東に栃木県、南に埼玉県、そして西に長野県と
接しています。なんだか全く分からなかったところがぼんやりと理解できる
程度にはなったかなと思います。

きっと背後の山々、盆地、山すその開けた場所、それが高崎、高岡辺りで
収斂していく。かつてはここらの住民がこぞって蚕を育て、生糸を作って
生計を営んでいた。そうした経済の形と地理的関係性の焦点に冨岡製糸場
が造られたと考えると、今回の選択はあながち的外れではなかったのかなと
思います。





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富岡製糸場

.08 2019 comment(0) trackback(0)
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目的地を「世界遺産 富岡製糸場」に決めた。その富岡市がいったいどこに
あるのか知らない。娘が調べてくれたところによると汽車を乗り継ぐととても
時間がかかる、車だと1時間30分ぐらいというので、それなら大したこと
あるまいとここに決めた。地理的に何も知らないというのはちょっとわくわくする。
最初の孫が生まれたとき、娘夫婦は富山にいた。その時は週末に白川郷に
出掛けた。富山からは意外にも近かった。さて今回はどうか。

朝、8時に家を出た。駅周辺には多くの埼玉国際マラソン大会のボランティアが
集合していた。浦和美園駅裏のトヨタレンタリースに行くとすぐに車を用意してくれた。
今回も、前回の名古屋空港ー浜松ー木曽でレンタルした車と同じアクアの
ハイブリッドである。

いざ出発。行く先は富岡市の製糸場近くの駐車場。そこをナビに打ち込んで
取りあえずはその指示に従って走ることにする。浦和ICで東北自動車道に
入り北上、久喜白岡JCTで圏央道を西進、鶴ヶ島JCTで関越自動車道に入り
これを北上。高坂SAでしばし休憩。圏央道を西進している間、前方に雪をかぶった
富士山が見えていた。高坂SAで降りるとすぐに富士山を探した。裾部分が大分
隠れたがかろうじて富士山が見えた。関越自動車道を北上、藤岡JCTで上信越
自動車道に入り、富岡ICで降りて、目的地の富岡製糸場近くの駐車場に車を
停めた。

この辺りの街は古めかしい。道路や街並みが整備途上で富岡製糸場のみが
世界的に有名になり、その周辺は全くそれに追いついていない。そういう感じで
いくつかある市営駐車場近辺のみが急遽整備された感じである。


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富岡製糸場は思っていたより広く、多くの建物が保存されていた。内部を見学
できるのは正面の煉瓦造りの東置繭所と繰糸所で後は外部から建物を眺める
ようになっているが、全部見ると結局2時間ぐらいになる。東置繭所は1階部分が
富岡製糸場の記念館となっていて、その歴史がわかるような展示が行われている。
売店もあり絹に関わりのある商品が並べられていた。2階部分は空ではあるが
この建物の特徴がよくわかるように見学コースになっていた。フランス積みの
煉瓦に木造のトラス組の構造フレームがよくわかる。結局はこの大空間が
この建物の寿命を決定した。建物が官営から民間に払い下げられて時代が
進むにつれて設備が変遷していったが、この大空間がそれらを支え続けたのである。


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東置繭所と直行するように達つ繰糸所はまさに心臓部。繭をお湯に浸し絹糸を
繰りだして絹糸にする機械が両側に並んでいる。窓から光が差し込んで内部は
健康的な明るさに満ちていた。多くの女工たちが忙しく立ち働いていたのは
この場所である。ただこの富岡製糸場はのちに女工哀史として知られる過酷な
労働を強いた製糸場とは分けて考えた方がいいだろう。

明治維新直後の日本は、なんとしても外貨を稼ぐ必要があった。外国が欲しがるもの
その筆頭が生糸だった。当時多くの生糸を生産していた群馬県一帯に目を付けた
明治政府はこの地に、輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産を可能とする
器械製糸工場の導入と推進を決定した。設立指導者にフランス人技術者を雇い、
器械製糸技術の指導がこの地で行われました。技術伝習工女として15歳から25歳の
若い女性が募集され、彼女たちは技術習得後、それぞれの地元で指導者として
活躍した。

官営工場として創業された工場は、やがて民間の企業へ払い下げとなった。
時代の波に押され、操業停止されるまで115年間にわたり、休むことなく製糸工場として
稼働し続けた。操業停止後も建造物がよく維持管理されてきたことが、世界遺産選定時
審査員の心証をよくしたといわれている。その後、東西の置繭所2棟と躁糸所1棟が
国宝に検査人館、女工館、首長館が重要文化財に指定された。


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外部を更に巡る。フランス人技術者の家族の住まいであった首長館、寄宿舎、診療所、
病室、女工館、検査人館、西繭置所を遠くに眺め、社宅群の前を通り入口に戻る。
結構見ごたえがあった。


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見学後、駐車場近くの食堂へ入った。「おきりこみ」というのが地元の名物料理という。
注文した。鍋焼きうどんに近いが麺が平ぺったい、幅も広い。入っている大根も大きい。
味は関東独特の濃さである。もともとは蚕を育てるのに忙しい主婦の時短レシピと
いわれています。小麦栽培が盛んだった群馬の粉食文化が背景にあります。

さてこれからどうしよう。まだ時間がたっぷりある。




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椎葉秋景

.30 2019 comment(0) trackback(0)
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椎葉へ行く途上、前回彼岸花を撮影した場所を通過した。その水田に
多くの農民が集まって何やらやっている。「えっ?」通過した直後に
ブレーキを踏んだ。「ビックリした。案山子ですね」助手席の谷山さんに
断って、カメラを取り出し、撮影することにした。


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本物のの人と案山子の区別がつかない。しばらくすると
案山子の中にいて記念撮影をしていた団体が去り、
案山子だけになった。案山子の中身はマネキンで
近くで見ると目鼻立ちがはっきりしているだけに気味が
悪い。それにしても季節に応じて頑張っている集落である。


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着いてすぐに民宿上村の輝基さんにとれたての椎茸とナメコをもらった。
こんな大きなナメコは初めてだ。翌朝ナメコ汁にして食べたが美味しかった。
帰る時もお土産にとナメコと生椎茸を頂いた。


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夜神楽の終わった後、4時から10時まで眠った。先に目覚めた
谷山さんが朝食の支度と離れの五右衛門風呂を沸かしてくれた。
起きるとすぐに、「もう昼やし、ブランチにしようか?」という。
「いいですね」

私はカメラを持ってご近所を撮影して廻る。朝霧が晴れ、雨上がりの
風景がなんとも言えない。初めて見る裏山の色づいた大いちょうが
背後の青空に映えている。


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川の口集落は耳川の最上流にある。最上流だからさぞかし
険しいところだろうと思っていると意外や穏やかな盆地の
ようなところで私にとっては一種の桃源郷のようなところである。
ただ、毎回通う渓流は、この道路のかなり下部をえぐるように
流れていて、渓流へ下りたり上がったりするのは一苦労なのだ。
そういうわけで渓流は見えず渓流の音だけが夜半聞こえたりする。


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昼食は輝基さんと我々3人で一緒に食べた。
昼食後、近所を撮影しに出た。
向こうに見えているのが民宿上村。写真ではわからないが
途中に深い谷があり、つり橋が架かっている。渓流の向こうに
幹線道路があり、その上側に民宿上村がある。

帰宅すると今、丹野さんが夜神楽の片づけが終わった帰りに
寄ってくれたという。丹野さんご夫婦とも徹夜明けで片づけを
していたのだから眠たいだろうが、谷山さんがそんなことは
お構いなしに「今から、コーヒー飲みにいくから」と言っといたで
「さ、行こう」と二人で丹野さんにお邪魔する。いつものように
御主人がコーヒー豆を挽いて美味しいコーヒーを頂く。私はお土産の
金柑を渡す。奥さんと谷山さんは先日のラグビーワールドカップの
話で盛り上がる。ご主人はテーブルの向こうでこっくりこっくりしている。
夕食前に切り上げた。ご迷惑を顧みずお許しあれ。


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翌朝、帰る途中、夜神楽のあった小崎神社に寄ってみた。
まるで狐に化かされていたように祭りの気配が一切なく、
辺りは静けさに包まれていた。昨日の夜の賑やかな夜神楽は
あれは夢だったのではないか。そんなことを思わせるほどに
静寂が辺りを支配していた。


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上椎葉へ帰る途上、車を停めて、ダム湖の向かい日当集落を
撮影する。一番上の家が茂、その下が末子、その斜め下が
政広、その下が龍男、みんな小学校6年の時の同級生。
左側の大きな杉のあるところが輝基さんの実家。
私にとってはそういう風景なのだ。


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上椎葉ダムのすぐ下に椎葉中学校がある。その谷の向こうに見えるのが
上椎葉である。上椎葉はご存知のように急斜面にへばりつくようなところに
立地している。下へ下るほどこういう具合に険しい。


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常滑

.19 2019 comment(0) trackback(0)
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今年の旅は台風にたたられている。ならば旅が全然駄目で
あったかというとそういうことはない。前向きに対処すれば、それは
それで異なる趣旨の楽しい旅になった。まるで人生そのものだ。

木曽駒高原最後の日は雨になった。ふと、ここに来れなかった家族
に木曽のお土産を送ろうと思い立った。それぞれに電話して、何が
欲しいか聞いて、ワインやお菓子やジャムや漬物やつまみや、それ
ぞれに異なるものを箱に詰めた。私自身も岡野さんにいただいた
日本酒やリンゴ、別に買っておいたリンゴなどを箱に詰めて近くの
店で宅配便にして送った。お昼にカレーを食べて片付けをしていたら
いい時間になった。岡野さんは残ってもうしばらく片付けるという。
私は夕方7時までに中部国際空港へレンタカーを返さねばならない。
午後2時過ぎに岡野さんにお礼をいい別れを告げ、一人車で名古屋へ
向けて出発した。途中眠くてふらふらしながら適度に休憩を取り、
夕方6時過ぎ、常滑で下りてガソリンスタンドでガソリンを満タンにする。
結構走ったのにガソリンは21リットルほど、ハイブリットは燃費がいい。
予約しておいた駅前のビジネスホテルでチェックインし、荷物を
預かってもらう。再び高速に上がり、空港へ、そしてレンタカー会社へ
到着したのは7時10分ほど前。空港ターミナルの最上階の店舗で
夕食を食べた。そして電車で常滑へ行き、駅前のホテルに到着した。

翌朝、飛行機は11時25分発。朝食後、フロントで常滑の町の
散策コースの地図をもらい、2時間ほどの散策を楽しんだ。

歩いて10分ほど行ったところに陶磁器会館があり、そこから
幅200m、奥行き500mのゾーンが常滑焼の古い窯元の立ち並ぶ
場所で、ホテルでもらった「やきもの散歩道マップ」を見ながら散策を
楽しんだ。


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陶磁器会館へ至る大きな道路沿いの擁壁に「とこなめ招き猫通り」が
ある。様々な陶芸家や彫刻家の作品がコンクリートの壁にその作品名
とともに展示されている。出産まじかの娘に「安産」と「子育て」の写真
をLINEで送る。 


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散策路は細い小径が曲がりくねっていて車も通れないような道が
続いている。その並びに土管で作った擁壁や、焼き物で固めた
道や、壊れかけの窯の煙突、あばら家に並べられた大型の焼き物
など景色が次々に変わり、歩いていて楽しかった。焼き物を販売
しているお店や窯元もあったが、時間が早くまだ開いていなかった。
秋晴れの少しひんやりした空気の中を見知らぬ街の曲がりくねった
迷路のような場所を歩いている自分が異国をさまよっているような
気分になってくるのである。異邦人は何者でもない。自分が何者
でもないという感覚が旅のだいご味かもしれない。

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見たかった風景がある。登り窯と10本の煙突である。今は使われ
ていないようであるが、幅の広い登り窯である。鹿児島の沈壽官窯
も沖縄の読谷村焼きの里で見た登り窯も一列で登っているが、
ここの登り窯は数列横並びの幅の広い登り窯で登った先に10本の
レンガ煙突が立っていてちょっと変わった登り窯だ。


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ここから引き返して陶磁器会館へ入ると中国人の観光客がたくさん
いた。中を見て回り、常滑と云えばなんだろう。急須が有名だよな。
そこでこじゃれた急須を一つ旅の思い出に買った。


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ホテルへ帰り荷物をまとめチェックアウト。歩いて駅に行き、電車で
中部国際空港セントレアに行く。電車からのアクセスが短くて
飛行場内のアクセスが実に明快で分かりやすい。中に入ると
搭乗口まで結構歩かされた。待合が1階で、待っていると
スーツケース持ち込み予定の私のところに係の女性が来て
「飛行機が小さいので、収納が狭い、ついてはスーツケースは
預けてくれないか」という。やれやれだ。バスに乗って連れていかれた
先に待っていたのはプロペラ機だった。道理で昼の便が安かった
わけだ。


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長い旅もようやく終わった。旅での日々を急遽綴ってみたが、
計画とはまるで違う旅になったけれど、それはそれで楽しい旅に
なった。今回、お世話になった岡野夫妻ありがとうございました。

昨夜、メールを開くと大阪のTさんからメールが来ていた。
私が木曽駒高原にいる間、蓼科の別荘にいたようで、そちらは
停電で大変だったとあった。「今度は自分の車で蓼科へ寄ってください。
泊れるようにしますので」とあった。川の流域のことで本を出版した
O君へはブログを書いてる最中に電話した。「霧ヶ峰に行ったんだったら
八島ヶ原湿原の向こうにあるブランシェたかやまスキーリゾートに
親戚のヒュッテがあり、そこによくスキーをしに行く」と言っていた。
二人とも我が家に来たことがある。が二人とも今、親の介護で大変だと
云っていた。そういう年齢なのである。




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