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子供相手は難しい

.30 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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私の家はご存知のように緑に囲まれていて、野草や
昆虫などの素材には事欠かない。毎日のように埼玉の
次女とはLINEで話をするのだが、孫娘相手に庭先で
見つけた昆虫などを20秒ほどのビデオ撮りして送って
いる。白い蝶蝶や蜂などには非常に興味を示すようだ。
少しケバい色の毛虫が小枝を這っていく様子を送ったら、
「気持ち悪い」って言ってたよとの返事。うーん、そうだろうな。
とそこでめげずに茶色のもこもこした毛虫が床を這っていく
様を撮って送った。「うけたよ」という。「毛虫というと
先入観があるから、ほらモコモコだよとか言ったほうが
いいんじゃない」

敷地内には椿が沢山植わっている。この時期大量発生
するのがチャドクガである。一枚の葉に軍隊のように
びっしりと整列しているところを発見するとゾワーッと
する。フマキラーを抱えて行って直ちに退治するのだが
これをビデオ撮りしたがあまりにおぞましくて送らなかった。

その後もトンボ、かたつむりと続く。今朝はブロック塀を
這い回るナメクジを撮って送ったが、これはちょっと
気持ち悪かったかな。

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先月から小学校の読み聞かせが始まった。2週間ピッチで
1年生、2年生、3年生ときてしばらくおやすみ。次は
9月からだ。
1年生に面白い話が良かれと思いとんち話を読んだら
オチのところでシーン・・・・・・・
しまった。まだこういう話は早かったか

話はこうである。
お寺の和尚さんが檀家にぼた餅をもらい、それを仕舞って、
出掛けたスキにお寺の小僧さんぼた餅を全て食べてしまった。
悪知恵を働かせて、お寺の仏様の口の周りに残ったあんこを
塗りつけて知らんふりを決め込んだ。和尚さんが帰ってきて
ぼた餅が無くなったことに気づくと小僧さんを問いただして
「お前が食べたんだろう」「違うよ。仏さんだよ。ほら」と口を
指差す。そこで和尚さん、仏さんを釜茹でにして吐かせようと
して、薪をくべると湯が沸騰してきて、「クタクタクタ、クッタクッタ」
仏さんが「クッタ(食った)」と白状したものだから撥でその頭を
叩くと「カーン、カーン、くわーん、くわーん(食わーん)」

ここで爆笑を取りたかったのに・・・・・・・シーン・・・・・・・・
そうだよな。この4月に小学生になったばかり、掛詞のように
一つの言葉が二つの意味を持つなどまだ理解できないのだった。
慌てて、もう一冊用意した谷川俊太郎の「いちねんせい」の詩を
読んで事なきを得た。





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終わりなき旅

.22 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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大阪の友人Nさんが家族で作った製本を送ってくれた。
中身は義母の句集である。製本の質や精度は驚く程
素晴らしく。いつものことながら恐れ入るしかない。
エッセーの個人作品集をそのうち作るのにその友達に
是非とも作ってもらいたいと思うがまだ数が揃わない。
作れるのがいつになるかわからない。
エッセー仲間にも早く個人作品集をつくろうよと急かして
いるのだが、なかなかうまくいかない。
エッセーの作品集第3集の方はなんとか自分たちの手で
いつものように作ろうと思っている。

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製本をもらったあとお礼の電話をしたら、最近奈良の
美術館でやってるヨルク・シュマイサーの「終わりなき旅」
という作品展がとても良かったのでその図録をプレゼント
すると言われ、数日後にそれが届いた。
私もきっと気にいるからとその友人は確信を持ったように
言うので楽しみに図録を開いた。作品として昇華したもの、
途中のスケッチ、中身は様々である。銅版画であるから
その手間を考えるとこの図録の重みが分かる。
実物を見てみたいと思うが、僻地住まいでは仕方ない。

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「終わりなき旅」に二つの意味を感じた。一つは世界中を旅して
興味ある対象物に出会い、そこに埋没し、自らの中で消化し
作品にし続けること。それは永遠に続くかと思われる終わりなき
作業である。もう一つは「永久に未完成」という意味も
含まれていることに気づく。芸術家というものは普通は作品主義で
ひとつの作品に全能力を傾けながら、前に進んでいく。
だがこの人の作品にはそれが希薄である。植物学者や昆虫学者に
近いかも知れない。対象物の発見の喜びの方が強く感じられてならない。
収集の喜びは完成を目指さない。

DSC_1197.png

我々はどうか。
いつまでも未完成である。やりたいことはあれもこれもあるのに、
どれも満足のいく域に達しない。だがこの芸術家の作品群を眺めていると
未完成のコラージュでもいいではないかという気にさせられる。
スケッチのコラージュなどはもうそれ自体で立派な作品だ。
なにが大切なのだろう。今生きていることの断片をかき集めて
例えあばら家でもいいから、アナログの1冊の製本にすること
それがとても重要なことだと気づかされる。

製本にする何か。
1冊の製本を作るとする。それは何であるか。
現在の私の生き様でなくてはならない。
ならば毎日こうして書いているブログの記事や毎月投稿し続ける
はがき随筆や寄稿する新聞記事や読書会のための読書感想文や
気まぐれに時々記す詩やそんなものが雑然と並べられた
そんな雑文集でもいいのではないか。そんなことを考えた。

藤沢周平の作品に「三屋清左衛門残日録」というのがある。
隠居した清左衛門が机の上に置いた日記に「残日録」と記して
あるのを見て息子の嫁が「でも、残日録というのはいかがでしょうね」
といい、続けて「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは、
と思いますが」
これに対して清左衛門は「なに、心配ない」
「日残りてく昏るるに未だ遠しの意味でな。残る日を数えようと
いうわけではない」・・・・・

この「残日録」という言葉、記憶に残っていていつか使いたいと
思っている。さしずめ製本は「酔龍 残日録」とでも名付けようか。
そしてこのあとにとりあえず今回はという意味で「雑文集」と
書いておきたい。

この雑文集は「村上春樹 雑文集」がヒントである。
中には音楽、作品、作家論、友人、など幅広い分野のエッセイや
文章が散りばめられていて、時々読み返して楽しんでいる。

何かを書き下ろすわけではない。書いたものの山の中から
幾分かましなものを探し出して、もう一度推敲し、繋ぎ直して
再編してみようかと・・・・・・・

ヨルク・シュマイサーの「終わりなき旅」の図録が届いた夜、
散りばめられた銅版画作品が私の魂を暗い闇の中に誘い出し、
見せてくれた一夜の夢であった。





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ひこばえ

.10 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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最近あまり毎日新聞への「はがき随筆」投稿のことを
伝えてないので近況を報告しておきます。

まずは1月に投稿し掲載された作品

      私のお節
   
 昨年まで母に会いに正月には
必ず帰省した妹夫婦から、「正
月は福岡で迎えて、一周忌に帰
るから」と連絡があった。初め
ての一人の正月に少し迷ったが
今年もお節料理を作ることにし
た。鮭の昆布巻き、数の子。レ
ンコン、ごぼう、鶏肉などで煮
しめをこしらえ、買った蒲鉾と
年末にもらった餅、黒豆、ロー
ストビーフを合わせ、正月を料
理することなく過ごした。
 5年前の正月、妻が亡くなっ
て半年後、大阪へ出向いて二人
の娘のために料理本を片手に初
めてお節料理を作った。今では
それが我が家の正月の定番にな
っている。

これは出したあとに、最後の行が少し安易だったかなと
反省。「今年はそれが私の慰めとなった。」あるいは
「今年はそれが私を慰めてくれた。」の方が
よかったかなと今でもまだ考え続けます。

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2月は総会があったのでその準備に追われたのと
合評会がなかったため、投稿していません。
3月の合評会では本城ひな祭りに行った「大人の遠足」
のことを書いたのだけれど不評で、自分としても文章が
浅く、通り一遍でダメだなと出さず。

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そうしていたら、ある日宮崎支局長から電話があり
12月に投稿した「丸めがね」を載せるからと言ってきた。
これは他愛もない話なので、ボツになったと思っていただけに
意外だった。結局この「丸めがね」が3月に掲載された。

     丸メガネ  

 中学の頃から視力が落ち、以
来眼鏡は欠かせない。仕事をし
ていた頃からかけていた眼鏡は
細い銀縁に樹脂製のレンズで、
軽く角張って仕事向きで少しク
ールだ。仕事を辞めて久しい今、
なんとなくそぐわない。
ある日、眼鏡屋を覗いて、遊
び心でセルロイド縁の丸い眼鏡
をかけ鏡を覗くと、愛嬌のある
爺さんの顔が写っていた。買っ
て早速、娘たちに自撮りの顔写
真を送った。「波平さんにそっ
くり」とサザエさんの漫画を添
付した返事がきた。
 眼鏡一つで性格が変わる訳で
はないが、新しい顔になったよ
うで少しウキウキした。

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ところがこれにはおまけがあって、ある日Tさんから
電話が有り、「今、ラジオであんたの作品が放送されたよ」
と言う。「題はなんだった?どんな内容?」「いやー、録音しようと
思って、ドタバタしてたら終わってしまったから、覚えてない。」
「・・・・・・・・」
とこの話はこれで終わらず、4月はじめの合評会に出席したら
いきなり皆に「おめでとう。ケーキ持ってきた?」
「えっ、なに?」「3月の月評が発表になってあんた佳作やったよ」
「えっ、丸めがねが・・・・・」ビックリである。帰って、椎葉に行ってた
時期の新聞を探したら、あった。選者は熊本の方。
評にはこう書いてあった。

遊び心で真ん丸のめがねを買ってみたら娘から
「(サザエさんの)波平さんにそっくり」と笑われてしまった。
でもとってもウキウキ。退職後の世界が急に輝いてきたのでは
ないでしょうか。新しいことに挑戦するぞという気持ちに。
お嬢さんのおだて方もうまいものです。期待してます。
(選者:熊本県文化協会理事 和田正隆)

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昨年の月間賞もそうだが、人の評価というのはまちまちだ。
自分でよく書けたと思っていても評価されず。あまりよくないが
投稿してみようと思ったものが評価されたりする。
あまり自分で決めつけない方がいいようだ。もう少し無心に
書くべきかなと思う。

以前読んだ村上春樹の「雑文集」の中に、「良き物語を作る
ために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、
結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねて
いくことだ。」とあった一節が最近よくわかるようになった。
如何にして読者の共感を得るか。最近、合評会で感じるのは
意外にも他者は書かれなかった行間を読み取るのだという
ことだ。作者が書かなかったことを読み取ってくれていると
いう前提でものが書けるか。文章は削りに削ってシンプルに
なっていくのに表現することが段々難しくなる。




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平成最後の日

.30 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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最近、台所仕事をするときテレビを切り、ラジオをつけることにした。
一人暮らしだと音がないと寂しい。テレビはいつもつけっぱなしだ。
面白そうな話題だとテレビの前に拘束されて、動けなくなる。
ちゃんと見たい番組は録画しておいて後でしっかり見ることにしている。

ラジオは耳だけ持っていかれるが、目の前の仕事は続けられる。
それに最近の話題がラジオからちょこちょこ出てくるのでそれもいい。

そのラジオからタモリが司会した平成最後の番組の最終コメントが
よかったというので、調べてみた。

6時間半の生放送番組エンディングでコメントを求められたタモリは
「西暦というものが、ずっと(続く)本のページ数だとすれば、
元号というのは日本だけが持っている『章』。その章があるから
(時代の)切り替えができますよね」と自身の考えを述べた。

なかなか良い比喩だと思う。特に高齢者にとって元号が変わるというのは
「平成で終わりかと思っていたが、まだ最終章の令和が残っているのかよ」
と気分を改めて「最終章を如何に生きるべきか」などと変に気合が入ったり
することになる。

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だが待てよ。この元号。よく考えたら、天皇家という日本を象徴する一家族の
有り様と考えると別の側面が見えてくる。つまりこういうことだ、
日本のすべての家族の大本家の当主とその家族の有り様がそのまま
元号という形をとっているということだ。我々日本人は大本家の家族の人生を
共に生きていることになる。よく考えたら、平成は突然終わったわけではなく、
前天皇の即位と寿命を考えたら、30年辺りで代替わりがあることは予想できた
ことなのである。それでは令和はどうかというと現天皇が現在59歳であることを
考えると令和がいつまで続くか誰にでも想像つくことなのだ。

現天皇は我々からすると10歳も離れていない。
要は現天皇より長生きすれば、次の元号でもう一つ先の章まで生きることになる。

「わたしゃ、もう令和の世で終わりじゃ」などとおっしゃるあなた、どう見ても
現天皇より長生きしそうですよ。最後の一花は令和ではなく、まだ見ぬ次の元号。
まだまだ最終章は先ですよ。




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毎日ペングループ総会

.28 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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はがき随筆を書くペングループが県内に3つある。
県北グループ(延岡)、県南グループ(宮崎)
ひこばえグループ(日南)
これらをひとまとめにしたのが毎日ペングループ宮崎
である。総勢30名に満たない。高齢化で若い人が
増えずなかなか厳しい状況の中、昨年4月から
毎日新聞の地方版が宮崎県単独から宮崎、鹿児島、
熊本三県合同版になった。原因は新聞の購読者の減少である。
若い人が新聞を読まなくなった。スマホでニュースを見ることで
済ましてしまう人が増えた。

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毎年年度末にも宮崎市で「毎日ペングループ宮崎」の総会が
開かれる。自主活動であるから3つのグループが順繰りに
当番役となって総会資料、総会の段取り、会計、総会の司会
などを務める。今回は我がひこばえが当番だった。
総会資料は一手に引き受けた。完成した資料を30部焼いて
1週間前に皆で集まり、製本を作った。「お土産は?」「うちの
芋にするが」「日南名産のスイートピーを用意しよう」
「ご飯のあとのおやつは?」「なんのお菓子がいいやろか?」
「同級生に頼んでみるわ」と私「どこ?」「お菓子の日高」
「予算250円しかないけど大丈夫?」「頼んでみる」
「お弁当はどこにする?」「去年と同じでよかっちゃねー」
「領収書に連絡先ない?」「とりあえず30個頼んどくわ」
「司会は?」「最年長の村上さんに頼んだ」「講師料はいくら?」
「支局長に聞いてみる」と私「1万円だそうです」
「会場の費用は?」「毎日新聞が立て替えてくれたって」
「補助金の中から出しておきますって」とまあ・・・・・
こんな具合でした。

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当日は
1.開会の言葉
2.担当グループ代表挨拶
3.毎日新聞宮崎支局長挨拶
4.年間賞発表:柳田慧子「命の洗濯」
5.表彰授与
6.年間賞受賞者の挨拶
7.年間優秀作品の紹介と朗読
8.講評   選者 戸田淳子氏
9.講演   鶴ケ野勉氏(小説家)
     演題「なぜ入選しないのか?」
10.記念撮影

   昼食・休憩

11.懇親会
   (1)昨年の九州大会報告
   (2)懇親会ー自己紹介、話し合い
   (3)事務連絡(会計報告、次年度総会担当への引継ぎ)

とまあこんな具合に無事終了しました。

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この様子は翌日の毎日新聞に掲載されました。




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