FC2ブログ

扉の向こうへ

.21 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
「扉の向こうへ」と題してこのブログを書き始めたのは
2010年8月のことです。その間、書いたブログの数は
本日の分を含めて1780件に及ぶ。期間にして9年間。
平均すると1年間に197件、1か月に16件。一日おきに
9年間書いてきたことになる。今はいたって平穏な毎日で
一日おきに書くことは少しも苦にならないが、冬の2,3月は
予定が立て込み忙しくてブログを書く暇もない。

「扉の向こうへ」について、2010年8月30日のブログに
「心の扉」と題して以下のようなことを書きました。ちなみに
私が定年退職で会社を辞めるのは2012年3月のことです。


「心の中の階段を上がってみたドアを開けたら草原だった。春の花畑には菜の花があるように僕の中には僕があった。・・・・・・・」ASKAの「草原にソファを置いて」という曲の詞である。歌を聞くたびに心の中に未知の世界の扉を開ける喜びが広がりじっとしていられない気にさせてくれます。5,6年前定年退職をして自由な時間が得られたら何がしたいのかノートに書き出してみたことがあります。実現しないままに放置された事柄やあこがれ、夢だと思っていたことなど様ざまです。ある日考えたのです。いつかやろうなんて思っていたら今までと同じように永久に実現しないのではないだろうかと。そして一歩を踏み出す決心さえすればたいていのことはできるのではないかと。最初に開けた未知の扉は自動車教習所の土日コースに入ることでした。若い人たちに混じり講習を受けるのはちょっと気恥ずかしいという思いでした。実技も大変でした。でも3ヶ月後私は普通運転免許証を手にしていました。でも問題はそこからです。家に車はないし、住んでいる街中は交通量が激しく初心者にはとても難しい。一月に一回滋賀県の大津まで電車で出かけ、レンタカーを借りて琵琶湖の周りを回るところからスタートして車に乗る間隔を空けないようにしました。その内高速道路も走れるようになり3年後自分の車を購入しました。だから今車に乗るのは若い人が免許を取った頃のように楽しみでもあるのです。免許を取った翌年、料理ができるようになろうと決心しました。土、日の家族4人の夕食を作る事から始めました。色んな料理の本を買ってきてレシピ通りに作ればたいていのものはできるものです。なんだか自分の老後が明るくなった気がします。そうそう、その翌年ヤマハの大人のピアノ教室に通い始めました。小学校の頃数年間バイエルを練習していたことはあるのですが指も頭も錆付いて大変ですが一つの曲を練習してうまく弾けるようになるとうれしくなります。
最近読んだ本で宮下奈都の「スコーレNO.4」の中でこうした心の扉のことを異なる視点で述べてある箇所があります。「どうしても忘れられないもの、拘ってしまうもの、深く愛してしまうもの、そういうものこそが扉になる。広く浅くでは見つけられなかったものを、捕まえることができる。いいことも、悪いことも、涙が出そうなくらいうれしいことも、切ないことも、扉の向こうの深いところでつながっている。」こんな感覚なんかいいですね。
最後に、2010年8月に開始したこのブログも実は新しく開けられた扉なのです。扉の向こうの景色はまだ見えていません。(2010年8月30日)

 これから始まる退職後の世界を好奇心と冒険心に
満ちた新たな世界ととらえて扉を開こうとしていたのでした。
先日、今関わっていることや趣味や日々の雑事含めて
書き出してみました。20項目ほどあって驚きました。
ずいぶんたくさんの扉を開いたのだと。もちろん中には
一人でやってきたこともありますが、二人でなければでき
なかったこと、四人だからできたことなど、人とのかかわりで
開いた扉もたくさんありました。

残された人生を考えたとき、そろそろ収れんさせて行かねばと
思っていたのだが・・・・
昨夜、建築雑誌をめくっていたら
並河 進氏の書いた「知らない、ということについて」と
いうのがあって、ちょっと考えさせられました。


 人間の「知らない」には、2種類ある。
「知らないこと自体は知っている」
「知らないということすら知らない」の2種類だ。

ソクラテスは前者を「無知の知」と言って、後者の状態に
あるよりも優れている、と指摘したが、「知らない」の
領域とは、ほとんどが後者、つまり、知らないということ
にすら気づいていない領域ではないか。

そういう知らないことすら知らなかった領域の広さに気づく
ことは、人生にとって、最良の経験のひとつだ。

新しい季節へ

知ろう
知らないことを
知らなかったことすら知らなかったことを

それに気づくたび
また空は広くなるから

残された人生とみるか、知らなかったことさえ
知らなかったことを知ろうとするミライとみるか。
ミライをさも知ったかのように語るな。知らなかったこと
さえ知らない世界がそこには広がっているのだ。

まだまだ人生捨てたもんじゃない。

扉の向こうへ





写真日記 ブログランキングへ

いつもブログ「扉の向こうへ」を見ていただいてありがとうございます。
「写真日記ブログランキング」に参加しています。
読後、上記 リンクバナーをクリックしていただけると幸いです。
スポンサーサイト



ふるさとリポーター記事

.09 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
DSC_1456_convert_20190814120559.jpg

宮崎日日新聞の「宮日ふるさとだより」の8月分の原稿締め切り
が近づいてきた。だんだんネタ探しに困るようになってきた。
結局、自分が関わっている事柄から探すことになる。
先月末の「読書会」をテーマに書く事にした。

ところが直前になって、宮日から連絡があった。紙面の文字を
大きくしたから字数を減らして欲しいという。更に文章も短くするよう
指示がきた。これまでが13×50=650字だったのを
12×35=420字にするのである。短い文章ははがき随筆の
250字で慣れてはいるものの少し勝手が違う。一度書いてみて
削っていくしかない。

そして書いた原稿を推敲し、知り合いに校正してもらってなんとか
原稿と写真を送った。
さて、紙面に載った記事を紹介しよう。


「難しい作品も皆で」
市立図書館・読書会
月1 お気に入りの本紹介

 串間市に本屋が無くなっ
て久しい。そうした流れに
あらがうように2014年串間
市立図書館で読書会が始ま
った。今年で5年目になる。
現在会員は9人。読書会は
月一回、土曜日の午後2時
半から4時までの1時間半
行っている。
 7月27日、同館2階会議
室での読書会に参加した。
出席者は8人で、今回のテ
ーマは「エッセー」。一人ず
つ持参した本を紹介してい
く。中にはお気に入りの1
冊を朗読する人もいた。
会の運営は合議制。今年
は文学作品をしっかり読む
ことにし、谷崎潤一郎の「
春琴抄」や三島由紀夫の「
金閣寺」、平野啓一郎の「あ
る男」を読んで個々の感想
を話し合った。
事務局の山口千絵子さん
(55)は本好きが高じて教
職を辞し、司書の資格を取
得。現在は同館の司書とし
て働く。会員の三浦親男さ
ん(85)は知合いから「(そ
の歳で)まだ図書館に通っ
て勉強しよっとな」と言わ
れるそうで、何ともほほえ
ましく思った。
 難しい作品を読むのは苦
しい時もあるが、皆で読む
からこそ楽しい。いい本に
出会うと人に薦めたくなる
ものだ。読書会への問合せ
は同館☎0987-72-1177

基本的には私の原稿が使われているのだが、言葉使いが
少し柔らかい。元原稿と見比べてみた。字数制限で端折った
少し事務的な言葉が優しい表現に変わっている。字数も
増えている。なんのことはない。

毎月、はがき随筆用のエッセーを250字で書いているうちに
言葉に対する繊細さが薄れてしまったのではないか。そうした
ことを考えて、書きたいことがあれば、字数を気にせずまず
書いてみよう。そんなことを考えた。推敲を重ねよと言われるが
推敲で初期の言葉の持つ勢いがそがれることもある。
言葉というものは難しい。




写真日記 ブログランキングへ

いつもブログ「扉の向こうへ」を見ていただいてありがとうございます。
「写真日記ブログランキング」に参加しています。
読後、上記 リンクバナーをクリックしていただけると幸いです。

子供相手は難しい

.30 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
DSC_8271_convert_20190605115957.jpg

私の家はご存知のように緑に囲まれていて、野草や
昆虫などの素材には事欠かない。毎日のように埼玉の
次女とはLINEで話をするのだが、孫娘相手に庭先で
見つけた昆虫などを20秒ほどのビデオ撮りして送って
いる。白い蝶蝶や蜂などには非常に興味を示すようだ。
少しケバい色の毛虫が小枝を這っていく様子を送ったら、
「気持ち悪い」って言ってたよとの返事。うーん、そうだろうな。
とそこでめげずに茶色のもこもこした毛虫が床を這っていく
様を撮って送った。「うけたよ」という。「毛虫というと
先入観があるから、ほらモコモコだよとか言ったほうが
いいんじゃない」

敷地内には椿が沢山植わっている。この時期大量発生
するのがチャドクガである。一枚の葉に軍隊のように
びっしりと整列しているところを発見するとゾワーッと
する。フマキラーを抱えて行って直ちに退治するのだが
これをビデオ撮りしたがあまりにおぞましくて送らなかった。

その後もトンボ、かたつむりと続く。今朝はブロック塀を
這い回るナメクジを撮って送ったが、これはちょっと
気持ち悪かったかな。

DSC_8341_convert_20190605120041.jpg

先月から小学校の読み聞かせが始まった。2週間ピッチで
1年生、2年生、3年生ときてしばらくおやすみ。次は
9月からだ。
1年生に面白い話が良かれと思いとんち話を読んだら
オチのところでシーン・・・・・・・
しまった。まだこういう話は早かったか

話はこうである。
お寺の和尚さんが檀家にぼた餅をもらい、それを仕舞って、
出掛けたスキにお寺の小僧さんぼた餅を全て食べてしまった。
悪知恵を働かせて、お寺の仏様の口の周りに残ったあんこを
塗りつけて知らんふりを決め込んだ。和尚さんが帰ってきて
ぼた餅が無くなったことに気づくと小僧さんを問いただして
「お前が食べたんだろう」「違うよ。仏さんだよ。ほら」と口を
指差す。そこで和尚さん、仏さんを釜茹でにして吐かせようと
して、薪をくべると湯が沸騰してきて、「クタクタクタ、クッタクッタ」
仏さんが「クッタ(食った)」と白状したものだから撥でその頭を
叩くと「カーン、カーン、くわーん、くわーん(食わーん)」

ここで爆笑を取りたかったのに・・・・・・・シーン・・・・・・・・
そうだよな。この4月に小学生になったばかり、掛詞のように
一つの言葉が二つの意味を持つなどまだ理解できないのだった。
慌てて、もう一冊用意した谷川俊太郎の「いちねんせい」の詩を
読んで事なきを得た。





写真日記 ブログランキングへ

いつもブログ「扉の向こうへ」を見ていただいてありがとうございます。
「写真日記ブログランキング」に参加しています。
読後、上記 リンクバナーをクリックしていただけると幸いです。

終わりなき旅

.22 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
DSC_1179.png

大阪の友人Nさんが家族で作った製本を送ってくれた。
中身は義母の句集である。製本の質や精度は驚く程
素晴らしく。いつものことながら恐れ入るしかない。
エッセーの個人作品集をそのうち作るのにその友達に
是非とも作ってもらいたいと思うがまだ数が揃わない。
作れるのがいつになるかわからない。
エッセー仲間にも早く個人作品集をつくろうよと急かして
いるのだが、なかなかうまくいかない。
エッセーの作品集第3集の方はなんとか自分たちの手で
いつものように作ろうと思っている。

DSC_1185.png

製本をもらったあとお礼の電話をしたら、最近奈良の
美術館でやってるヨルク・シュマイサーの「終わりなき旅」
という作品展がとても良かったのでその図録をプレゼント
すると言われ、数日後にそれが届いた。
私もきっと気にいるからとその友人は確信を持ったように
言うので楽しみに図録を開いた。作品として昇華したもの、
途中のスケッチ、中身は様々である。銅版画であるから
その手間を考えるとこの図録の重みが分かる。
実物を見てみたいと思うが、僻地住まいでは仕方ない。

DSC_1194.png

「終わりなき旅」に二つの意味を感じた。一つは世界中を旅して
興味ある対象物に出会い、そこに埋没し、自らの中で消化し
作品にし続けること。それは永遠に続くかと思われる終わりなき
作業である。もう一つは「永久に未完成」という意味も
含まれていることに気づく。芸術家というものは普通は作品主義で
ひとつの作品に全能力を傾けながら、前に進んでいく。
だがこの人の作品にはそれが希薄である。植物学者や昆虫学者に
近いかも知れない。対象物の発見の喜びの方が強く感じられてならない。
収集の喜びは完成を目指さない。

DSC_1197.png

我々はどうか。
いつまでも未完成である。やりたいことはあれもこれもあるのに、
どれも満足のいく域に達しない。だがこの芸術家の作品群を眺めていると
未完成のコラージュでもいいではないかという気にさせられる。
スケッチのコラージュなどはもうそれ自体で立派な作品だ。
なにが大切なのだろう。今生きていることの断片をかき集めて
例えあばら家でもいいから、アナログの1冊の製本にすること
それがとても重要なことだと気づかされる。

製本にする何か。
1冊の製本を作るとする。それは何であるか。
現在の私の生き様でなくてはならない。
ならば毎日こうして書いているブログの記事や毎月投稿し続ける
はがき随筆や寄稿する新聞記事や読書会のための読書感想文や
気まぐれに時々記す詩やそんなものが雑然と並べられた
そんな雑文集でもいいのではないか。そんなことを考えた。

藤沢周平の作品に「三屋清左衛門残日録」というのがある。
隠居した清左衛門が机の上に置いた日記に「残日録」と記して
あるのを見て息子の嫁が「でも、残日録というのはいかがでしょうね」
といい、続けて「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは、
と思いますが」
これに対して清左衛門は「なに、心配ない」
「日残りてく昏るるに未だ遠しの意味でな。残る日を数えようと
いうわけではない」・・・・・

この「残日録」という言葉、記憶に残っていていつか使いたいと
思っている。さしずめ製本は「酔龍 残日録」とでも名付けようか。
そしてこのあとにとりあえず今回はという意味で「雑文集」と
書いておきたい。

この雑文集は「村上春樹 雑文集」がヒントである。
中には音楽、作品、作家論、友人、など幅広い分野のエッセイや
文章が散りばめられていて、時々読み返して楽しんでいる。

何かを書き下ろすわけではない。書いたものの山の中から
幾分かましなものを探し出して、もう一度推敲し、繋ぎ直して
再編してみようかと・・・・・・・

ヨルク・シュマイサーの「終わりなき旅」の図録が届いた夜、
散りばめられた銅版画作品が私の魂を暗い闇の中に誘い出し、
見せてくれた一夜の夢であった。





写真日記 ブログランキングへ

いつもブログ「扉の向こうへ」を見ていただいてありがとうございます。
「写真日記ブログランキング」に参加しています。
読後、上記 リンクバナーをクリックしていただけると幸いです。

ひこばえ

.10 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
DSC_0806_convert_20190515133856.jpg

最近あまり毎日新聞への「はがき随筆」投稿のことを
伝えてないので近況を報告しておきます。

まずは1月に投稿し掲載された作品

      私のお節
   
 昨年まで母に会いに正月には
必ず帰省した妹夫婦から、「正
月は福岡で迎えて、一周忌に帰
るから」と連絡があった。初め
ての一人の正月に少し迷ったが
今年もお節料理を作ることにし
た。鮭の昆布巻き、数の子。レ
ンコン、ごぼう、鶏肉などで煮
しめをこしらえ、買った蒲鉾と
年末にもらった餅、黒豆、ロー
ストビーフを合わせ、正月を料
理することなく過ごした。
 5年前の正月、妻が亡くなっ
て半年後、大阪へ出向いて二人
の娘のために料理本を片手に初
めてお節料理を作った。今では
それが我が家の正月の定番にな
っている。

これは出したあとに、最後の行が少し安易だったかなと
反省。「今年はそれが私の慰めとなった。」あるいは
「今年はそれが私を慰めてくれた。」の方が
よかったかなと今でもまだ考え続けます。

DSC_0810_convert_20190515133946.jpg

2月は総会があったのでその準備に追われたのと
合評会がなかったため、投稿していません。
3月の合評会では本城ひな祭りに行った「大人の遠足」
のことを書いたのだけれど不評で、自分としても文章が
浅く、通り一遍でダメだなと出さず。

DSC_0837_convert_20190515134019.jpg

そうしていたら、ある日宮崎支局長から電話があり
12月に投稿した「丸めがね」を載せるからと言ってきた。
これは他愛もない話なので、ボツになったと思っていただけに
意外だった。結局この「丸めがね」が3月に掲載された。

     丸メガネ  

 中学の頃から視力が落ち、以
来眼鏡は欠かせない。仕事をし
ていた頃からかけていた眼鏡は
細い銀縁に樹脂製のレンズで、
軽く角張って仕事向きで少しク
ールだ。仕事を辞めて久しい今、
なんとなくそぐわない。
ある日、眼鏡屋を覗いて、遊
び心でセルロイド縁の丸い眼鏡
をかけ鏡を覗くと、愛嬌のある
爺さんの顔が写っていた。買っ
て早速、娘たちに自撮りの顔写
真を送った。「波平さんにそっ
くり」とサザエさんの漫画を添
付した返事がきた。
 眼鏡一つで性格が変わる訳で
はないが、新しい顔になったよ
うで少しウキウキした。

DSC_0842_convert_20190515134048.jpg

ところがこれにはおまけがあって、ある日Tさんから
電話が有り、「今、ラジオであんたの作品が放送されたよ」
と言う。「題はなんだった?どんな内容?」「いやー、録音しようと
思って、ドタバタしてたら終わってしまったから、覚えてない。」
「・・・・・・・・」
とこの話はこれで終わらず、4月はじめの合評会に出席したら
いきなり皆に「おめでとう。ケーキ持ってきた?」
「えっ、なに?」「3月の月評が発表になってあんた佳作やったよ」
「えっ、丸めがねが・・・・・」ビックリである。帰って、椎葉に行ってた
時期の新聞を探したら、あった。選者は熊本の方。
評にはこう書いてあった。

遊び心で真ん丸のめがねを買ってみたら娘から
「(サザエさんの)波平さんにそっくり」と笑われてしまった。
でもとってもウキウキ。退職後の世界が急に輝いてきたのでは
ないでしょうか。新しいことに挑戦するぞという気持ちに。
お嬢さんのおだて方もうまいものです。期待してます。
(選者:熊本県文化協会理事 和田正隆)

DSC_0838_convert_20190515134128.jpg

昨年の月間賞もそうだが、人の評価というのはまちまちだ。
自分でよく書けたと思っていても評価されず。あまりよくないが
投稿してみようと思ったものが評価されたりする。
あまり自分で決めつけない方がいいようだ。もう少し無心に
書くべきかなと思う。

以前読んだ村上春樹の「雑文集」の中に、「良き物語を作る
ために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、
結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねて
いくことだ。」とあった一節が最近よくわかるようになった。
如何にして読者の共感を得るか。最近、合評会で感じるのは
意外にも他者は書かれなかった行間を読み取るのだという
ことだ。作者が書かなかったことを読み取ってくれていると
いう前提でものが書けるか。文章は削りに削ってシンプルに
なっていくのに表現することが段々難しくなる。




写真日記 ブログランキングへ

いつもブログ「扉の向こうへ」を見ていただいてありがとうございます。
「写真日記ブログランキング」に参加しています。
読後、上記 リンクバナーをクリックしていただけると幸いです。
 HOME