春の大隅路

.06 2017 ドライブ comment(0) trackback(0)
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朝から雲一つない青空、家事を片付け、早々に車に乗って
久しぶりに大隅路を目指します。

志布志を過ぎ、国道220号線を左折して国道448号線で
肝付町方面へ向かいます。松の防風林に沿ってしばらく走り
くにの松原でこの松林を通り抜けて海岸線に出ます。
延々と続く砂浜、向かいにそびえる大隅半島の山塊。
いつも散歩の途上で遠くに眺める風景が目の前にそびえています。


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最初の目的地は大隅広域公園。この広大な公園のすぐ隣に
吾平山陵があります。ここは大隅半島の要のような位置にありますが、
結構、分かりにくいところです。途中、カーナビの指示に従い
右に左に畑の中や森の中、集落の傍を通るとそれらのバラバラな風景が
道に迷ったんではと疑心暗鬼になります。
それでも畑の真ん中にこの広大な公園を見つけるとなんだかホッとするのです。
公園で出会った親子連れも知り合いに教えられて初めて来たが、
まさかこんな山の中にこんな施設があるとはと驚いておられた。


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砂浜で小さな草花を見つけました。

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さてその広域公園にたどり着いていつものように
下へ降りていく道に入ろうとしたら通行止め。
なんでも下の橋の点検なのだそうです。
ガードマンに迂回路を聞いてようやく
最初の目的地 吾平山陵の駐車場へ着きました。


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駐車場に沢山のソメイヨシノがありましたが
まだ咲いていませんでした。あと1週間ぐらいでしょうか。
とその駐車場に大型のリムジンが到着、スタッフが駆け寄ります。
右翼の大物でも出てくるかと思ったら、
近々結婚式を挙げる新婚さんの前撮りのようです。
そういえば、この場所は下手な庭や公園より、神前結婚風で
絵になるのでしょうか。

どうも前日雨が降ったようで川は少し濁っていました。
その川に山桜や新緑のモミジが張り出して
いい風景です。


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木々に囲まれた参道に沿って砂利道を歩いていくと
木々の足元にすみれが群生しているのを見つけました。


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浄めのために川に面した階段を下り、川で手を洗います。
見上げると新緑のモミジ越しに青い空が広がって、
この日はなんとも最上の日となりました。


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いつ来てもここは心が落ち着きます。5回ぐらい来たかな。
最初はそう大西君が初めて来た時に偶然行ったのが最初かな。
以降、妹夫婦、東郷夫妻などをいいところだからと案内した。


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時間的にはまだ半日あるので、もう少し奥の花瀬自然公園へ
行ってみることにしました。

車を道脇に停めて、川に降りてビックリ
川が干上がっています。何度も来たけれど
こんな風景は初めてです。


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川の端の方を小さな流れが走っているだけで
川の大半は干上がっています。


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近くの子供たちでしょうか。お婆ちゃんと一緒にこの乾いた
岩床の上で川遊びです。
階段に腰を下ろし、子供たちの様子をしばらく眺めていました。
日が少し、西に傾き、日差しはまだ暑くなく、春の陽気の中
ゆったりとした時間が流れます。


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帰り際、橋の上から川の全容を撮影しました。

近くに気になる滝があります。以前、東郷夫妻を案内したとき、
凄い滝があるんですと勢い込んで案内したら、滝から水が
流れていないという場面に遭遇して、唖然としたことがあります。
この日は上流の川が干上がっていたので、滝に水は落ちていないだろうと
階段を下りて行くとなんと凄い迫力で
水が滝を落下しています。


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おーなんと、先日大阪に行ったとき一緒に呑んだ
東郷夫妻にこの様子を見せたいと思いました。
やはり高さがあるのですごい迫力でした。


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下には渓谷が続いています。一度降りてみたいのですが
いつもパスです。
地図を見ると紅葉の綺麗な渓谷のようです。


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このあと根占に向かい、錦江湾沿いの道路を走って
鹿屋を抜け、帰宅しました。
錦江湾の向こう側に薩摩半島、その突端に開聞岳が見えましたが
春霞に霞んでぼんやりとしていました。
桜島はもっと薄く、目を凝らさないと見えないくらいでした。

それぞれの場所で実はゆったりと時間をかけて
春の一日を楽しみました。とてもいい一日でした。




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南郷から市木へ

.16 2017 ドライブ comment(0) trackback(0)
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写真展スタートの15日は朝から新聞取材がありました。
それが終わった後、他の二人に任せて出かけることにしました。

ここのところ痕を詰めて生涯学習の展示、写真展の展示と
めちゃくちゃ頑張ったところへ国富町の谷山さんから
電話があり、遊びに行くから案内せいと言ってきた。

実は谷山さんがコーチをしている大阪の東海大仰星の
ラグビー部出身でこの春、筑波大を卒業する学生が
遊びによるので案内したいという。前日は聞けば高千穂へ
日帰りで行ってきたとか

お昼に道の駅なんごうで13時に待ち合わせをし、一緒に
食事をした。学生は既に就職先も決まり今が一番いい時で
このあと沖縄まで行くのだそうである。


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実はこのコースで行ってみたい場所があった。
先日の笠祇の草刈の時、親しくなったOさんの山を訪ねてみたいと
思ったのである。Oさんは築島からしばらく行ったところの山を買って
週日の日中はここで山を開拓しておられる。


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道の駅なんごうの裏の山を超えて行くコースを取る。
山頂付近で車を停め、絶景を眺める。

山頂から温室の横を抜け海まで降りる。
448号線を南下、築島を過ぎしばらく行った右側に
手作りの引き込み道路がある。本当にここでいいのか
気になる。ままよと入っていく。しばらく行くと
広い場所に出た。トラックが置いてある。
道をずっと遡ったところに車と人が見える。走って行って
確かめる。Oさんだった。

下で車を停め、3人でOさんのところに行く。
大きな池を作っておられた。谷川からその池に水を引き、
下方に作った開けて場所に水車小屋を作るのだという。

上の方に景色の良いところがあるというので
登っていく。


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目の前に青い海と築島が見える。
絶景である。一体どんな場所に立っているかというと


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こんな場所である。山の景色の良い斜面地に張り出して
デッキを作りそこに自分で使っていたヨットを一人で
上げ、ここに埋め込んだのだそうである。
なんとも呆れ果てて呆然となる。
ちなみに正規の道路からの引き込み道路はすべて
自分の手作りなのである。すごい急斜面を150mくらい
登るのだ。いったいどうやってとOさんの凄さに
呆れかえる。更に計画ではもっと上にこんどは
クルーザーを上げたいという。

ウーン・・・・・・もうわけがわからん・・・・・・・・・

しかし、景色はいい。また立ち寄ろう。

ああ、そうそう、ヨットの中を見せてもらった。
寝泊りできるのだそうだ。

ウーン、波の音を聞きながら星空の下・・・・・
やっぱりわからん


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先を急ごう。はい、ここが絶景ポイントと車を止めて
パチリ。 はい、先を急ぎましょう。


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市木で家を建てているMくんのところへ寄ることにした。
頼まれていた写真データを渡すためだ。
この日は3人で外装の仕事中。
ようやく足場が外れたとのこと
順調に進んでいる様子だ。

そのあと、幸島の前まで行って
そこで別れた。彼らは引き返して飫肥の町に立ち寄って
帰る。私は山越えで再び写真展のギャラリーへ戻る。

留守の間、NHKの取材があったとのこと
放送は翌16日夕方6時10分の地方の話題として
放映された。




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佐多岬

.05 2016 ドライブ comment(2) trackback(0)
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会社時代の同期の大西君から突然メールが舞い込んだ。
(彼の場合、いつも突然である。)
熊本の被災地の視察に行った帰りに寄るから2,3日泊めてくれという。
まあ、大した要件があり忙しい身でもないので
引き受けた。

前日、熊本から鹿児島を経由して知覧へ。知覧の平和記念館に
4時間いたというから凄い。その日は指宿に宿泊し、朝、山川港から
フェリーで大隅半島の根占港へやってくるという。
到着の10時50分を目指して、家を9時に出た。

この日はご覧のように真夏を思わせる快晴。
水平線上に入道雲が湧き上がり、この青の世界は
誠に心地よい。

錦江湾を挟んだ薩摩半島が目の前に浮かんでいる。
開聞岳に少し雲がかかっている。


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北の方向を見返すと桜島がぼんやりと見えている。

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大根占を通って、根占のフェリーターミナルに着くと、
丁度、フェリーが到着したところで駐車場に車を停め
眺めているとそれと思しき人が盛んに写真を撮っている。

佐多岬へ行きたいので案内しろという。
私も一度だけ行ったが、一人で二度行こうとは思わないが
要請があれば仕方ない。

「何もないぞ」「なんかあるやろ」「景色だけや」
「開聞岳だけがええわ」
と私はそっけなく言い放った。


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とにかく、大隅半島の先っぽというのは海から崖が立ち上がり
いきなり山、山また山といった世界で、山の木々は照葉樹林で
植林は実に少ない。そういう森の中を道だけがひたすら上り下り
ぐねぐねと続いているのである。

途中展望所があったので車を停めて、開聞岳を眺めた。


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一番奥の奥、これ以上は車で進めないという駐車場に
車を停めた。すそばに大きなガジュマルの木がある。
その向こうでは新たに造成した場所に展望台が建設中であった。
トンネルをくぐり、御崎神社にお参りをして細い道を
先端に向かって歩いていく。以前来た時より
随分整備されていて最後の木製の斜路は誠に
訪問者にはありがたい。


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これが佐多岬から見た開聞岳です。
海から直接立ち上がった山というのは珍しい。
海から眺めてみたいものです。
(ヨシくんが今、このあたりで漁をしているから
一度船に乗せてもらおうかな)


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NHKで放送された田中陽希のグレートトラバース200名山一筆書き
の最終回を見られた方は覚えておられますか。
北海道を皮切りに歩いて200の山々を登頂、山以外も
自分の足で歩き、海峡はカヌーを漕いで渡るという
なんとも凄い番組でしたが、最後は霧島の高千穂峰を登ったあと
桜島の北岳が最後だったのですが、火山活動中ということで断念、
その後、ひたすら大隅半島を歩いて佐多岬を目指し、
2016年元旦、ついにここ佐多岬のこの看板に抱きついて
フィナーレを迎えました。


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佐多岬の灯台は海を挟んだ小さな島にあります。
従って行くことはできません。


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この素晴らしい景色を眺められたので
あまり言いたくありませんが
2度と行きたくないところに2度行きました。
でもまた誰かが案内してときたら
仕方ないから案内してあげます。

でもほんと、何もないから・・・・・


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昼もだいぶ過ぎてお腹がすいてきました。
道の駅で遅めの昼食を摂りました。

途中、御崎神社あたりで出会った女性3人組に
偶然再会。実は大西君昨日ホテルで少し話をし、
今朝またフェリーで一緒になりと楽しい出会いでした。

私が少し驚いたのは彼女たちの今夜はフェリーで
指宿へ再び帰り指宿に宿泊するというプランでした。
大隅半島は残念ながらメインの観光コースからは
外れています。いい宿泊施設がないのです。
この指宿をキーにしてフェリーで対岸の大隅半島へ渡り
観光地を訪ねて再びフェリーで指宿へ帰る旅。
なるほどこういうパターンもあるのかと驚きでした。

道の駅の前で開聞岳を撮影。頂部に雲がかかってきました。


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帰り道に面白いところがあるからと
大西君を花背自然公園へ案内しました。

「どう面白いんや?」「口じゃ説明できん」

「どや」「うーん、すごいなー・・・・・・・」
「こりゃ、写真に撮ってもうまく説明できんな」
「それより、水泳パンツに着替えてこの川に入りたい。」
「子供がいたら面白がるやろな。」
「どこで転んでも、溺れられんな。」
「それにしても、観光客がおらんな」


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で、何がすごいかって
まあ、一度見に来てください。

すごいんです。





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松橋-五ヶ瀬-椎葉ライン その2

.10 2015 ドライブ comment(0) trackback(0)
丁度この記事を書いている最中、「高千穂郷・椎葉山地域 世界農業遺産認定」
のニュースがあり、昨日今日の宮崎日日新聞は2日連続でその記事が第一面を
飾りました。

五町村(日之影町、高千穂町、五ヶ瀬町、諸塚村、椎葉村)新たな文化価値と
大々的に報じられています。新たなという表現にはちょっとひっかりますが
地元の方々が大切に守ってきたこの地域の誇りが新たな価値として
再評価されたということなのだと思います。

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さて前回紹介した松橋から清和村までの国道218号線を
更に進むと馬見原で国道265号線に乗り換えます。
この国道265号線は阿蘇の麓の坂梨から高森を抜け
馬見原、五ヶ瀬を通り抜けて椎葉村に入り、更に椎葉ダムの
南側の小崎地区を通り抜け峠を越えて西米良村を通り
更に山中を通り抜けて霧島の麓小林に至ります。
ただし、小崎から西米良まで西米良から小林までの
ルートはとても大変な道です。

今回は馬見原から五ヶ瀬を通り、国見峠の下にできた
国見トンネルを抜けて椎葉村へと向かいます。

こんな山深いところになぜ人が住むのかと思われる方も
おありかと思いますが、大きな川を遡ると上るにつれて
山は確かに険しくなるのですがある地点を過ぎると
川自身が高度をまして台地、もしくは盆地のような
ところに出ることがままあります。高千穂から五ヶ瀬
辺りはまさにこうした地形で、五ヶ瀬を車で通ると
ここがまさか九州山地の一番深いところだなどとは
思えない穏やかな風景で海の近くの里山を思わせる風景に
戸惑うことがあります。五ヶ瀬川の最上流の流れも
道路のすぐそばを穏やかに流れる小川のようです。
そんな風景を見ていると
「都会に出る理由がなければこんな住みやすい場所はない」
そう思える土地なのです。

ところが面白いことに国見トンネルを抜けて椎葉村を流れる耳川の
支流十根川沿いにでると急峻な渓谷に突然変わります。
渓流が道路の遥かしたの方を音を立てて流れています。

さてこの支流沿いに十根川という集落があるのですが
道路沿いに見当たりません。有名な十根川の大杉を見たいと思い
標識に従って細い道を山の方へ上がっていくと
突然目の前に上のような風景が広がります。
あった。こんなところに十根川の集落が・・・
そうか、ここも同じことなのだ。険しい渓流沿いから
少し山を登ればこんなふうに開けた場所があったのだ。

奥が深い。というのはこういうことか。


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駐車場に車を停めて、参道を歩いて登ります。
途中、有名な石垣作りの十根川集落が見えてきます。
だけど、大杉はどこにあるのだろう。目立つ存在のはずだが・・・


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十根川神社に到着。なんとこの小高い森全体の木々が
とにかく巨大なのだ。どの木も数百年を経た木々に囲まれて
探す大杉は埋もれているのだった。
その大杉は十根川神社の奥にそびえていた。
樹齢800年とある。


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私と妹は父がこの椎葉村に赴任したときこの木を
一緒に見ている。50年の月日が流れた。
不思議な感覚だ。この大杉が750歳の時一度出会い。
再び800歳で再会する。時の感覚が違いすぎて何とも言えない。


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十根川から上椎葉を抜け、椎葉ダムのダム湖に出る。
ダム湖は大きく右と左に分かれている。右が耳川本流。
尾向、不土野などの集落がある。
国道265号線は左側のダム湖に沿って小崎地区に入る。
やがてダム湖の向こう側に日当地区が見えてくる。
今回、ここで竹の枝尾神楽が開催された。

更に小崎川に沿って最上流部にあるのが川の口集落だ。
いつも釣りの宿でお世話になっている民宿上村(屋号)さんに
今回もお世話になる。


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神楽の終わった朝、上村に着くと五右衛門風呂から
煙が上がっている。朝風呂を頂いた。
山の頂には数日前の寒波がやってきた時の雪が
残っていた。寒かろうと部屋の炉端に炭を起こしてもらった。


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この地川の口集落も川の最上流部で山の間の
緩やかな勾配の中に棚田が広がり、ここに長く住む
人たちにとっては誠に住む安い楽土なのだ。
出発の日、早朝霧が立ち込めていた集落に
晴れ間が覗くとご覧のように霧が切れて
見違えるような風景が現れる。




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松橋-五ヶ瀬-椎葉ライン その1

.09 2015 ドライブ comment(0) trackback(0)
ちょっと、神楽の記載で疲れてしまいました。
ブログに掲載する記事はいくつもあるのですが
取り敢えず、椎葉へ行く道中にいくつも紹介したいものが
あったので今回はそれをいくつか紹介します。

そうそう、知り合いにブログの神楽の記事を見てもらったら
ユーチューブにリンクしてないよと言われ、慌てて見直ししました。

記載されたナンバーを左でホールドし右クリックを開いて
例えば「ヤフーで検索」を選択して左クリックすると
ユーチューブへ繋がります。

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松橋から国道218号線という道路が走っていて、今回はこれを利用しました。
美里町、山都町を通り県境を越えると宮崎県の五ヶ瀬町、高千穂町と
通って延岡市まで繋がっています。今回は五ヶ瀬町から国道265号線で
椎葉村へと向かったわけです。
美里町は前回フットパスの勉強会に行ったところで、一度紹介したと思いますが
とても自然豊かな町です。もともとこの町には川に石橋が多くかかっていて
今でもよく保存されています。
国道218号線を走っていて、すぐ道脇に見えるのがこの霊台橋です。
現在はすぐ横に鉄橋がかかっていて使われていませんが、
現代の橋と遜色のない立派な橋です。

調べてみるととんでもない凄い橋でした。
全長89.86m、道幅5.45m、高さ16.32m、径間(アーチの大きさ)28.4m
単一アーチ式石橋としては日本3位の径間を誇り、明治以前に
完成した石橋の中では日本一である。

その建設の経緯を調べてみるとこれもまた驚きである。(ウイディペキアによると)
文政2年(1819年)より木橋が架けられるようになったが再三流失したことから、
惣庄屋の篠原善兵衛が二度と流されることの無い石橋の架橋を発案し、
自らも出資して種山石工の卯助に建設を依頼した。

卯助は兄弟の宇市、丈八さらに地元の大工・伴七とともに弘化3年(1846年)工事を開始し、
翌年の弘化4年(1847年)当時としては前例の無い大きさの石橋を完成させた。
梅雨と台風が来る季節を避けて造られたためわずか6-7か月の工事期間であり、
参加した大工の数は72人、地元の農民の協力のもと延べ43,967人が工事に参加した。

僅かな工期で一地方の僅かな技術者達が総力を結集して
こんなすごい仕事を江戸時代にやっていたという。凄すぎますね。
この橋は隣に鉄橋のできた昭和41年まで現役だったという。


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更に進むと山都町の矢部という街のすぐ近くに
これまた、凄い橋が存在します。
通潤橋です。


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(ウイキペディアから引用)
通潤橋は嘉永7年(1854年)、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために
架けられた通水橋で、石造の通水橋としては日本一である。
建造にあたっては地元の総庄屋であった布田保之助が中心となって計画を立て、
地元の役所・矢部手永の資金や、細川藩の資金を借り、
熊本八代の種山村にあった著名な石工技術者集団種山石工の協力を得、
近隣農民がこぞって建設作業に参加した。

単一アーチ式水路石橋という特異な構造と物理的原理が見事に成り立っていることから、
その貴重さが認められ、霊台橋より7年はやい昭和35年(1960年)に、
国の重要文化財の指定を受けた。

石造単アーチ橋で、橋長は78メートル、幅員は6.3メートル、高さは20メートル余、
アーチ支間は28メートルである。橋の上部には3本の石管が通っている。
肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建造物であり、
国の重要文化財に指定されている。なお通潤橋を含む通潤用水は
日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、
橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観の名称で
国の重要文化的景観として選定されている。

この橋は2つの地区を水路で結んでいるが橋の位置は2つの地区よりも低い位置にあるため、
水を通す時には噴水管(逆サイフォン)の原理を利用している状態になる。
ゴムなどのシーリング材料の無い時代であり、石で作られた導水管の継ぎ目を
特殊な漆喰で繋いで漏水しないように密封して橋より高台の白糸台地まで
用水を押し上げている。


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説明図があったので撮影しました。これを見ると
この「水のための橋」の作られた理由がよくわかります。
が、江戸時代ですよ。本当にびっくりポンです。
こういうものを作ろうと考えた人が凄いですね。
それに、こういうものを作れる技術者集団がいたということが
輪をかけて凄い。

なんて凄い地域だろうここらは・・・・・・

なんてことを考えながら先に進むと清和村というところに
道の駅清和文楽邑というのが道脇にあります。

なんだ? これは・・・・・・・


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道の駅清和文楽邑は清和文楽館、清和物産館、清和料理館、公衆トイレなどの
施設からなっています。

最重要施設は清和文楽館です。清和文楽館は、地元に伝わる文楽の紹介を
する博物館と、文楽を上演する舞台から成っている。また、当施設内の建築物は
くまもとアートポリスに関連しており、特徴的な建物が立ち並んでいる。

清和文楽(せいわぶんらく)とは、
熊本県上益城郡清和村(現山都町)に伝わる人形浄瑠璃です。
江戸時代後期の嘉永年間(1848年 - 1854年)に、巡業で訪れた
阿波・淡路の人形一座より村人が人形を譲り受け、操り方を習ったのが
起こりとされている。明治末期に一時衰退したが、昭和に入り復活、
昭和29年(1954年)保存会が結成された。昭和54年(1979年)、
熊本県重要無形文化財の指定を受ける。

土曜日、ここに立ち寄った時、丁度文楽の演目が終わったところでした。
かつて年に数回しか見ることにできなかった公演も、
今では200回近く行われ、年間10万人以上の観光客を楽しませているそうです。

かつては日本全国に見られた人形芝居も、県内で上演されるのは清和文楽だけ。
それは、山深い土地柄と人形遣いが農業を営んでいたことに深い関係があり、
農村芸能として連綿と受け継がれてきたのです。


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すぐそばに立つ清和物産館は地元の物産、加工品が
たくさん並び、多くの人で賑わっていました。

この道路、古代から「日向往還」と呼ばれる古道で
人や物産品が肥後の国と日向の国の間を行き来するだけでなく
こうした文化の行き来がこの地に定着していたというのは
大きな驚きではあるけれど今こうして再び
まちおこしの核になっているのは素晴らしいことだと
思います。

この道路、素通りするにはちょっと凄すぎるところでした。




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