秋の空

.17 2015 comment(0) trackback(0)
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夕方、お墓の花を変えようと買い物ついでに
供花を買った。空には重たい黒雲が漂っている。
特に考えていたわけではないのに
あれ? 今日は弟の命日だった。


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花を変え、お参りを済ませた後、
西の空を見ると黒い雲を抜け出した太陽が
眩しいばかりに輝いている。
裏の展望台に登ってみる。
少し冷たい風が木の葉を揺らす。
西日が辺りに力ない温かみを残すのだが
それも頼りない。


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久しぶりに弟の詩集を取り出して読んでみる。
いい詩だ。久しぶりにここに載せてみよう。


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      ここが空なら

透きとおったひかりが舞いおりるように
陽が 一日を生みおとす
目覚めたばかりの意識にのぼる朝焼け

ここが空なら 鳥が飛ぶ 雲が流れる
鉄塔からケーブルがのびる
駅の向こうにアドバルーンがあがる

ここが空なら 障壁はつくれない
行き止まりの立て札はたてられない
どこまでも鳥は飛ぶ 雲は流れる

かぎりなくひらいた借景のうえに
わたしは一人 仮想する
ここが空なら やがて虹もかかるだろう

鳥や雲を夢みるほどの失意もなく
ここは空ではないと わかってしまったから
人の歌に上手に耳 かたむけている

透きとおった闇が盛りあがるように
陽が 一日をほうむりさる
うすらぎ消えゆく日没に 夕焼けが輝く





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法事

.27 2012 comment(0) trackback(0)
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27日は悠紀さんのお父さんの7回忌の法事だった。悠紀さんはまだ出歩けないので私一人で参加した。この日は朝方随分冷えた。都城からやって来た義兄が畑に初霜がおりたと云う。畳に座った法事は体が随分冷えた。

この日は空が異常なほどに澄んでいた。こんな日はカメラをどこに向けてもきれいな映像が撮れそうな気になる。
午後、カメラを抱えて近所を散歩した。


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ありきたりの近所の風景に何を探したらいいのだろう。

この風景は子供のころの風景だ。この手前を流れる小川で夏はよく遊んだ。秋にはあの手前の山を越えてその向こうにそびえる山にまで遊びに行った。


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今の時期、太陽の高度は低い。午後はずっと熱を発しない太陽が南の空を緩やかに横切っていく。家や木々の影が道路や畑に長々と横たわる。影は緩やかに角度を変えながら太陽はそのまま夕日に代わってゆく。

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私はすっかり勘違いをしていた。この日27日を昨年亡くなった弟の命日と思い込んでいた。悠紀さんに指摘されて17日の間違いであることに気が付いた。突然の悲しい出来事からもう1年が過ぎてしまっていた。

弟の書庫から詩集を取出し久しぶりに読んでみる。

       一滴の水

都会に降る雨は無色のまま排水溝へ流れ込む
路上には傘の花が咲きほこり
曇り空は氷結し
どろんこで、はしゃぐ子供たちのすがたはない
あちこちにできた水たまりに
さざなみともよべぬ小さな震えが走るだけ
街路樹の下に、冷たくしたたるだけ
まれに川が増水し、たまに家が浸水する

私は、一滴の水かもしれない

おぼろな流体としてとぐろまき
尿道の先端から精虫をほとばしらせたり
起き抜けの目尻に
干上がった川床のような跡を付けたり
裂けた皮膚から、臙脂色した粘液をにじませたりする

せせらぎのすきまを這い昇り
源流へ、たどり着きたい衝動がある
浅瀬を漕ぎ渡り
湧水に喉をうるおし
よどみに魚影を追い
ふかみに足とられ
一滴である矜持に酔いしれる今宵もすてがたい

ねがわくば、庭石の一点をうがつような
みなもをわたる波紋となるような
干ばつにみまわれた田畑をうるおすような
ヤゴやゲンゴロウが棲みたくなるような
そこに卵を産みたくなるような
そんなしずくでありたいのだが

吸い殻やダンボールの切れ端にしみこむばかりの
悲しさに絞り出されて涸れゆくだけの
ドブ川から蒸発し、むせてたちぼる
しょっぱい、わたしは一滴の水かもしれない



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お盆初日

.13 2012 comment(0) trackback(0)
 弟の文庫の中に昔彼が作った詩集があった。「かがり火につどう」と題した詩集を今読み返している。

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    あこがれ

ある日わたしは死んでいる、
あこがれの糸に、ことばゆわえて。

それが凧なら大空へ、
精一杯の木枯らし孕み、
それが独楽なら地でまわり、
楔になって、突きたって、

死んだある日の睦言は、
くまなく張られたあやとりの、
絆にからまり朱にそまり、
あなたの首にもまつわりついて、

それが夏なら川あそび。
釣った魚の飛沫をあびて、
それが冬ならこごえるほどの、
冴えた朝陽をつららがはじく。

七月の、竹にくくったねがいごと。
おりなす生地の一本の、
よじれるばかりの身悶えの、
ひそかに糸は鞣される。

ある日わたしよ死んでゆけ、
そのとき糸を、手放して。



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父の形見

.26 2012 comment(0) trackback(0)
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 亡くなった弟のマンションを売りに出す前に改修にかかろうと先週末、最期の片付けに出向いた。大量の本は先々週、田舎に送ったため、部屋は随分すっきりしたのだが、廊下のクローセットから、いくつかの箱が出てきた。中をあけてみると父の描いた絵と書だった。父は18年前に他界した。書が好きで一日部屋に篭って書を書いていた。当時色紙に小倉百人一首を描いていた。まず絵を描いて、和歌を書き、裏には解説までついている。若山牧水も好きでよく書いていた。私の家にも何枚かあるのだが何処かにしまわれて行方知れずである。久しぶりに見て懐かしかった。

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 自分ももう、そういうものを書いて過ごす年齢になったのだと、前とは異なる視点で見ている。だがどう頑張ってもこんな絵も描けないし書も書けない。ただ時間があるから前から好きだった書は始めたいと思っている。来年の今頃はカテゴリーに「」と書き入れたいと思っている。

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 もう二箱、開けると中には大量のはがき、ほとんどは母からのはがきである。実は私も中学1年の時からずっと母のはがきをもらい続けた。兄弟3人分を毎週のようにそれもつい最近まで書き続けるパワーはたいしたものである。昨年の言葉に「」という言葉がある。独り身で生活していた弟にとってこのはがきは家族を結ぶ絆であったのだろうが、これはなまじっかな努力では決して出来ない。誰かが熱意を持ってたとえ一方からだけでも続けることでしか絆は生まれはしないのだ。或いは寂しく思うことがあった冬の夜のかろうじて繋がる1本の糸が心を少しは暖めたのではないかと今にして思う。

五十日祭

.15 2012 comment(0) trackback(0)
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 帰省の折、弟の遺骨を持って帰った。父の実家が神主さんをしているが新年早々は何かと忙しい。 昨年のうちに1月6日を五十日祭、納骨の日と決め、主だった親戚だけを呼んだ。母は法事の当日朝、お世話になっているケアハウスに帰した。未だ知らせていない。

 我が家の墓は市内を望む小高い丘の南面に面している。弟が中学まで育ったこの町はこの日冷たく澄み渡りのどかな一日だった。


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 墓石の納骨堂の石の扉を開けようとしたらこれがどうにも開かない。父の死からもう18年が経っていてセメントの石灰分が溶け出して石の扉の周りを固めてしまったようだ。ほとほと困ったところで神主さんが同級生の石屋さんに助けを求めた。しばらくして駆けつけた石屋さんの助けで事なきを得た。神主さんも石屋さんも悠紀さんの中学時代の同級生で「アラ、しばらく」などといっている。まるでいつか見た映画の場面のように実感を伴わずに事が過ぎていく。

 翌朝、私達夫婦と妹夫婦は戸締りをして、車に乗り込み実家を後にした。帰る前に墓に寄り、皆で手を合わせた。晴れ渡った青い空のもと墓石がめいめいこの田舎町を見下ろしている。


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