藻谷浩介講演会

.16 2015 講演会 comment(0) trackback(0)
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前日の15日だっただろうか、翌日夕方、まるっとみんなの会議の臨時の分科会をしようということになっていたのだが、その時間に日南市役所で藻谷浩介氏の講演会があるという情報が入った。分科会を延期してその講演会に出席することにした。

この若い方、実は日南市長である。元は県の職員であったという。聞けば今回は自ら会議後の藻谷氏を追いかけ、捕まえ今回の講演の依頼をしたということだ。今回の講演の目的は日南市職員の意識改革を目的とした講演なのである。
それでも近隣の市である串間市役所にも連絡が入り、一般市民も聞けるからと市の担当者が一緒に予約を入れてくれた。


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さて、その藻谷浩介氏、今や地方都市では知らぬ人の少ない有名人である。著書「里山資本主義」が地方おこしの起爆剤になっているからだ。今や毎日、あちらこちらと全国を飛び回って、消滅可能性都市と言われる都市に赴き、激を飛ばされている毎日である。
そう、この方が藻谷氏。その日は福岡市で講演会を行った後、こちらに飛んでこられた。従って開演時間は夜の7時。


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講演なれされているのだろう。時々、表示された図表の都市名を隠し、聴衆に手を上げさせてグーチョキパーで当てさせる。聴衆は真剣に聞かざるを得ない。そう、グラフの意味を絶えず考えながら聞くことになるのである。

これは全国の今後30年間の現役世代の減少と高齢者の増加を表した図。大都市がなんでもいいように思われているが
若者が都市に集中した結果、そこに住み着いた若者がやがて高齢化して悲惨な未来が待っていると説く。大都市の高齢者の数はとんでもない大きなウエートを占めて各都市の行政の対応を麻痺させてしまうだろうという。高齢者にかかる費用、高齢者のための施設、などなど。
ではどこが理想的なのだろう。グラフ右下にある長野県下條村。まさに田舎の田舎なのだけれど、生産年齢人口が増加し、高齢人口が増えていない。福岡県は右上にあるが福岡市はさらにその右上にある。生産年齢人口も多いが高齢者人口が圧倒的に多いのである。若い時に働きに出て住みやすいために定着率が高かったそのつけがこれから回ってくるのである。
では宮崎はどうであろうか。生産年齢人口は確かに減っているが高齢者も大都市に比べればはるかにましといったところか。さらに右方向で下方向というと大分県、岡山県などがある。これはともに福岡、大阪という大都市に近い県という立地も関係するのだろうか。こういった県がこれからは住み良い県になるのだろうか。


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次に宮崎県の各町を同じ指標でみたグラフ。宮崎市は予想通り右上だが第2の都市都城は高齢者があまり増えず、生産年齢人口は高い位置をキープしている。この市は農業、畜産業が盛んで、しかも町が大きく、働く場所も多い。例えば現在人気の霧島酒造は地元産の芋を原料にしている。消費地と生産地が同居している都市はバランスがいい。中山間地域の中で頑張っているのは五ヶ瀬と西米良である。少ない人口でありながら、様々な取り組みを行っている。さて日南市は高齢者はやや減少していくが生産年齢人口は大幅に減っていく。串間はさらにその左下。高齢者も働き手も激減と予想されている。つまり消滅可能性都市の有力候補なのである。

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先のグラフに全国の話題性のある都市を重ねたのがこの図である。岐阜県の白川村、別府、屋久島などは大いに健闘している。高齢者数が増えておらず現役世代の減少率が少ないのである。えびのなどのように早くに高速道路が繋がった都市もそれが人口構成に決していい影響を与えるとは限らないことを示している。あまり期待しないほうがいい。

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日南市は(串間市も含めて)しからばこれからどうすればいいのか。
1.地域おこしで若者を呼び戻す工夫
2.子育て支援に力を入れる
沖縄などのように母子家庭でもなんとか地域でやっていける。そんな環境が大切。安心して女性が子供を産める環境づくりが大切なのだ。
会議の席の最前列を占めていたのはなんと都会から移り住んだ若者たちであった。最後の質問も彼らが独占した。藻谷氏は彼らのカリスマ的存在なのか?と一瞬思うほどである。それはそうだろう。移り住んでみたものの不安だらけ、決していいことばかりではない。地域住民とギクシャクすることもある。行政にもっと支援して欲しいのにと歯がゆく思うこともあるのだろう。質問の端々にその気持ちが垣間見えた。


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地域を活性化するのにどうすればいいのか。上記のプレゼンテーションの中に表現されている。もう少し我々は地域内経済を考えて暮らさないといけない。エネルギー、農産物、海山物等の地産地消化。難しい問題は山積みだが、こうした問題に取り組めるのは楽しくもある。



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梅原真講演会

.07 2015 講演会 comment(0) trackback(0)
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ある日の新聞に梅原真の講演会の案内が掲載された。宮日主催で宮崎市の宮日会館ホールとある。無料だが申し込まなくてはならない。早速、電話で申し込みをしたら数日たって案内のはがきが送ってきた。
実は梅原真氏の記事は以前、2012年の2月25日にこのブログで一度書いている。現在、私にすれば氏と同じような田舎町にいて地域おこしみたいなことをやっている身。本当にこの講演会を楽しみにしていた。
結果は実に面白かったしためになった。それに氏の話が実に面白く、うまいのである。
今月最初のまるっと会議で「ないものはない」というポスターをつくり地域おこしに頑張っている隠岐島海士町(人口2300人)の話をしたのだが、なんとこのポスターのデザイン、梅原氏の作品だった。なにかと縁があるのだ。

梅原真氏のことを簡単に説明しておこう。

1950年生。高知県高知市出身。大阪経済大学経済学部を卒業後、高知のTV制作会社の美術部に就職。1980年梅原デザイン事務所を設立し、日本の原風景を守るためには農林漁業こそが重要だと、第一次産業の再生をテーマに活動を開始。1987年には土佐のカツオ一本釣り漁師と共に「一本釣り・藁焼きたたき」をデザインし、8年間で20億円の市場を作り出した。以後、売れない商品から数々のヒット商品を生み出し、今や地域・地方活性化の請負人として大きな注目を集めるデザイナーである。


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梅原氏が最初に手がけたのがこのカツオのたたき
カツオ漁というのは1本釣りで魚を傷つけないが効率が悪いし、年中遠洋漁業をしている。年々、漁師の数も減り、カツオ自身も最盛期には値崩れしたりと商売としてもあまりうまくいっていない。こうした絶体絶命の状況を見て、梅原氏が考えたのが漁師が自ら食べるために藁で焼いたカツオのたたきを上記謳い文句「漁師が釣って、漁師が焼いた」で市場に送り出したら人気が出、非常に売れるようになった。ここでは決して買って下さいとは言わない。一本釣りというマイナス案件に藁という金のかからないものを掛け合わせプラスの商品を作り出す。梅原氏のデザインはそこに介在して新商品の後押しをする。デザインは決して洗練された都会的イメージにしないことだそうだ。
そうそう、この講演会の演題を紹介してなかった。「絶体絶命 モンダイカイケツのデザイン」である。田舎が抱える1次産品を何も考えず市場に出したり、工場に送り込んだりすることに終始し、その良さに気づかない田舎の人にちょっと待てと呼びかけ、商品化して市場に直接投入する。田舎の救世主である。


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田舎の人というのは地元の良さがあまりというか全然分かっていない。綺麗な景色もきれいな水も空気みたいなもんで 「これが何か?」とキョトンとしている。梅原氏は四万十川沿いの住民に協力してもらうのにまずこの川が如何に素晴らしいかを分かってもらうために都会に住む有名人にエッセーを寄稿してもらった。その本がこれ。原稿料が払えないので自分が川で釣った鮎でどうだと交渉し、納得して応じてくれた人だけが掲載されている不思議な本だ。45人に手紙を書いてお願いしたら18人からOKの返事と原稿が送られてきた。これなどもゼロにゼロをかけてプラスにする魔法である。

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四万十川沿いの住民は定期的に川の清掃をする。大雨のあと見ると高い木の枝にビニール袋があちこちにぶら下がっている。ビニル袋は後が厄介だというので、スーパーにお願いして新聞紙で梱包してもらうことにした。その内、新聞紙のマイバックが登場し、これが素晴らしいというので東北地方の仮設住宅でこれを指導したら、これが進化。今はこれ自体が商品化しているという。
こんな話が次々に披露される。実に有意義な時間を過ごした。

その日は一日雨。雨の中を車で宮崎にやってきた。終了後、友人のH君に久しぶりに会い、互の近況をお茶を飲みながら話す。夕方、再び雨中を串間へ、帰宅すると直ぐに市立図書館へ。そう、この日は夕方6時半から読書会だったのです。
この話はいずれまた。





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竹田恒泰講演会

.10 2013 講演会 comment(6) trackback(0)
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困ったときの夕焼けである。2回も続けて「みかん山」を書いたのでそろそろ話題を変えねば。9日夕方、買い物に出た。お米がなくなっていたので車で行くことにしたのだが夕日が沈む時間が気になる。すぐ近くのポイントはどこだろう。ヨシくんが漁船を停泊させている船着場が近いと判断して港へ向かう。夕日は金谷大橋の直上に有り、今まさに沈もうとするところであった。満潮の海水がピチャピチャ音を立て、夕方港へ帰る船が近くを通り過ぎるとその波が船を大きく揺らす。

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やはり海に沈む夕日は絵になる。誰もいなくなった港は多くの漁船でいっぱいである。昼までの賑わいはもうここにはなく誰もいなくなった船着場に私一人だけが震えてたっている。冷たい風が水面を揺らしまっすぐに伸びた光の帯を波間に散らしていく。

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夕陽が沈んだあとの空を黒い雲がたなびいている。雲?。まてよ昨夜ドーン、ドーン、ガタガタと大きな揺れが数回あった。この雲は西から東に流れている。どこから?。桜島の爆発?、そして煙?、こりゃー今夜、灰が降るな。

翌10日、テラスは灰で真っ白。車は・・・・。あー。拭いているどころではない。バケツに水を汲んで車にぶっかけた。

桜島の爆発なんてここらではニュースにならないのです。中国の排気ガスや黄砂や時々こうして桜島の灰がそしてこのシーズン必ずやってくるスギ花粉。やってくるではない。そこにもここにも杉木立が存在しているのである。
やれやれ。


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今日は「建国記念の日」。どういう偶然か昨日午後この田舎町であの「たかじんのそこまで言って委員会」に最近レギュラー出演されている竹田恒泰氏の講演会があったのです。テーマは「日本は何故世界で一番人気があるのか」なかなか良い講演会でしたので少しだけ紹介しましょう。(ちなみに私の意見ではなく、あくまで講演の内容ですから)

竹田氏は実は明治天皇の玄孫、現在慶應義塾大学の憲法学の講師をされているが他に全国のホテルに聖書はあるが古事記がないのはおかしいと全国のホテルに「古事記」を置こうという運動(申し出があれば無償で配布されている)をする竹田研究財団の理事長も務められている。さてその大学で何を教えられているのか。専門は憲法第1条、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」わずかこれだけのことを1年かけて講義されるのだそうだ。その殆どの時間を神話、歴史にかけて漸く最後の憲法の話にたどり着くのであるという。

現在教育に使われている教科書は自虐的でありその結果国民の4割の人しか自分の国に誇りが持てないと答えている。(海外では逆にどこの国でも自国に7割強が誇りを持っている。)なぜそうなったか? 中学校で習う歴史観がそのまま大人になっても残るからだと言われる。高校の日本史は選択性で皆が世界史を選択する傾向にある。おまけに明治以降の近代史はたいてい時間切れで読んでおくように言われて終了する。戦前と戦後の違いについて学んでいないのである。どんな国でも学校で時間をかけて自国の建国のことを丁寧に教えられる。この国には建国のことを習おうにも歴史に書いてない。建国というのは国の存在理由であり、建国の歴史を習うことは国家のビジョン、国家の存在意義を学ぶことである。

なぜそうなったのか。戦争に負けたからである。アメリカの狙いはなにか。精神的に骨抜きにする。日本人の誇りを奪うことである。その狙いは確実に日本人に浸透している。

ところが最近、世界中を驚かせた出来事が発生した。東日本大地震である。世界中が日本人を尊敬の眼で見守った。なぜか? 冷静さ、礼節を忘れない、暴動・略奪がない。どれも我々日本人にとっては当たり前のことだ。日本のどこで災害が起きても同じ現象が起きたであろう。なぜか?長い間日本人に備わっている日本人の価値観がそういうふうに出来上がっているからである。日本人の価値観を形作る3つのポイントがある。一つは自然観。自然の恵みに生かされているという考え方。(キリスト教圏では自然の管理者として人間を置いたと聖書にある。決して自然に感謝することはない)食事の前後になにげに言う「いただきます」は命をいただきますという意味。「ご馳走様」は食に給されるまでに様々な人が走り回った結果である事への感謝であるという。(欧米人と一緒に食事をすると何も言わずに食事が始まるのでなんだか決まりがわるい)。第2に死生観。日本人は働く事の中に喜びを見出している。(欧米人は聖書に言うように労働は罰という考え方が根底にある。)人間は他人に感謝されなければ
幸せになれない、惜しまれながら死んでいきたいとする死生観を共通認識として持っている。そして第3番目が歴史観であるのだけれどこれまでの自然観や死生観を育んだ背景である歴史観が抜けている。歴史というものは1や2で述べた感覚的なものではなく知識である。知識は感じ取れるものではないから習わない限り習得できないのである。今の日本の課題は「古事記」をまず読むことである。

以上、なかなか熱のこもったしかしその軽妙な語り口で楽しい講演会であったとおもう。竹田氏はたくさんの本を出版されていて、最後にその紹介があった。原文を読むのは荷が重いと思っていたのだが竹田氏が「現代語
古事記」というのを出されている。本当に読めるかなと思いつつも早速これを買ってしまった。読む前に長い間、気になっていたことがある。歴史的事実と神話をどう頭の中で整理して読むのかという問題である。これについて竹田氏は序文でこんなことを書かれている。

古事記は神話であり、聖典であり、事実かどうかという読み方は、読み方としては間違っている。ここに書かれた記述は真実なのであって、事実かどうかはさして重要ではない。(旧約聖書の物語やマリアの処女懐胎なども同じではないか)ただ、いくら神話の事実性は重要ではないとはいえ、物語の多くは事実を反映させたものであると考えるべきだ。

宮崎県には多くの神社がある。どれも古く、そのいわれはどこも古事記の世界と密接に結びついている。古事記の内容が伝わって神社のいわれにその内容が加わったとするにはどう考えても無理がある。この日向の地に散在する神話を集めたら古事記になったとする方が自然であると思っている。

二十世紀を代表する歴史学者であるアーノルド・J・トインビーの残した言葉がある。「12、3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる。」



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錦帯橋

.04 2011 講演会 comment(0) trackback(0)
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 先週の火曜日、錦帯橋架け替え工事を指揮された海老崎粂次氏の講演会を聞いた。歴史的背景を言えば、この地岩国は川を挟んでお城が立つ小山の麓に藩の政庁があった。生活する場の街は川を挟んだ向かいにある。川はここでは堀の役目を果たしている。戦乱のない江戸時代にこの大きな川は次第に戦略的意味を失っていく。洪水が怒る度に流される橋。やがて「流れない橋」が切望されるようになる。中国の湖の島と島を結ぶ橋をヒントに川に4つの小島の役割をなす柱脚、それらを大きくまたぐ三つのアーチ橋と両端二つの柱脚を持ったアーチ橋が1673年に完成した。以来この橋は多くの技術者によって数十年おきに架け替えられ続けた。当時の技術の粋を集め、当時としての最適解が一つの美しい橋を作り出した。この地の人々はこれを誇りとし現在まで連綿とその技術を伝えている。しかしながら棟梁の話によれば、50年に一度の架け替えだと技術の伝承ができないと言う。全体の指揮をする棟梁の年齢を考えると誠に失礼ではあるが50年後この棟梁が再び指揮を執ることはありえない。少なくとも20年単位くらいで少しづつ架け替えていける仕組みを考えないと、次回の架け替えは難しいと言う。ただでさえ大工さんが減ってきているのだ。
 さて、この話を書こうとして数年前に行った錦帯橋の写真を探したのだが見当たらない。パソコンのデータを見ると2003年辺りからデジタルカメラのデータがストックされているのだがその中に見当たらない。ひょっとしたらアナログのカメラで撮った頃に行ったのかもしれない。今日、そういえば昨年、娘が広島、岩国、呉を旅行したのを思い出し、錦帯橋の写真データがあったらくれないかといって探してもらった。私個人の中でも事ほど左様に数年前の写真や思い出が検索不能に陥っている。50年と言う年月の重さと時代の変遷を思うとちょっと暗い気持ちになる。
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