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初詣

.05 2020 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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昨年、30年ぶりに和服を点検し、着てみた。意外にも傷んで
いなかったが、半襦袢は洗濯したらぼろぼろになった。足袋が
見つからないので新調した。昨年年末、半襦袢の既製品を
新たに買った。正月三が日が過ぎて、自分で着てみた。
実は和箪笥の奥にある箱を開けたら、半襦袢と足袋に帯の
セットが入っていた。説明書きに従って着てみると案外楽である。

昨年末、和服のことを玻瑠さんに話したら、「じゃー、和服着て
初詣に行こうよ」という。「恥ずかしい」というと「自分が思うほど
周りは誰も気にしないから・・・」と切り返された。「・・・・・」
「鹿屋に行きたい神社があるんだけど。知り合いに神社の
パンフもらったけど、面白そうだよ。神徳稲荷神社っていうけど」
「あっ、それ、旅の本で少し話題になっている」ということで
正月明けに行くことにした。

雪駄がなかった。あるのは娘が北海道土産に買ってきた雪駄で
「網走刑務所」と書かれてある。脱がなきゃわからないかと思ったが
脱いだらヤバイと思い、近所のお店で新調した。

さて当日。雪駄では運転しにくいというか、ブレーキもアクセルも
微妙な加減ができないので運転席で靴に履き替えて運転した。
玻瑠さんを迎えに行く。当然こちらも和服。


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さて件の神社は鹿屋市役所の奥の丘陵地にある。鹿屋市墓地の
曲がりくねった道路を過ぎたところに数台の車が駐車場が空くのを
待っている。車を停め、靴を雪駄に履き替え、いざ出陣。
入り口の第一鳥居に戻り、手水舎で手を洗い、口をすすぐ。
第一鳥居はガラスでできていてお洒落だ。神社自身が全て新たに
作られていて、しかもちゃんとした設計者がデザインしている。
小さいけれどなかなか斬新なデザインの神社である。稲荷神社で
あるから赤い千本鳥居が続くのだが、復路となっているので行きは
その横の小道を歩いていく。その中間あたりで、和服の角帯が
まるで関取のまわしが落ちるみたいにストンと落ちた。
「えっ?」そばで玻瑠さんが笑っている。後ろの客も笑っている。
実は下に献上〆があるので着崩れはしないのだが、なんとも
間抜けである。
慌てて、角帯を締めなおす。・・・・・・・ハズカシイ・・・・・・・・・・
(解説)
和服のことは女性はすぐに理解できるのだが、男性諸氏には全く
分からないと思う。下に着る半襦袢は腰までしかないが襟だけが
見えるのでそこだけがきちんとできている。半襦袢は伊達〆という
帯でしっかり留め、その上に和服を着て、献上〆という帯を締めると
出来上がりだ。献上〆はマジックテープで留まっている。結び目の
付いた角帯を献上〆の上から巻くのである。実はこれが丸ごと
ストンと落ちたのである。

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小径を抜けると正面に神社の社殿がこれもなかなか現代的だ。
正面に池があり、赤い太鼓橋を渡った先にお賽銭箱がある。
そこで拝んで、横移動。池に何やら浮かんでいる。文字がぼんやり
見える。どうもおみくじを水に流すと溶けるようである。
中をちょっと覗いて、お守りなどを見て外に出た。帰りに朱色の
千本鳥居を潜って正面に出た。


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初詣を終えたら、お昼だった。昼食を食べに鹿屋体育大のそばの
南南西の風というお店へ行った。丘の上のログハウスである。
窓から桜島が見えている。頼んだハンバーグは柔らかくて
美味しかった。食後、鹿屋市内に戻る。リサイクルショップに
立ち寄る。車から降りて店の入り口へ歩き出そうとしたら、
玻瑠さんが笑いながら「靴のまま行くの?」足元を見ると雪駄に
履き替えるのを忘れている。・・・・・・・ハズカシイ・・・・・・・・

お店を出て、本屋に立ち寄る。互いに買い物をして帰途に就いた。


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ということで私の和服で外出するという挑戦は緊張感の中にも
笑いありという結末に終わったのだが、少しワクワクして楽しかった。
今年も青春しよう。





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令和最初の日-和気神社

.01 2019 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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パソコンに「れいわ」と打ち込んでも「令和」は出てこない。
当たり前の話だが令和は造語である。
最初の仕事はフォントの欄からユーザー辞書を出して、
「れいわ」:「令和」と登録することであった。
これが令和最初の仕事である。

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前天皇の退位式があった翌日に新天皇の即位式を
テレビで拝見できるのはなかなか明解でよかった。
歴史的に見てもこういう状況に遭遇できるのはなかなか
ありえないことだ。そういう意味では我々は日本の歴史上
大きな転換点に遭遇している。

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本当は5月1日に行ければよかったのだが、この日は雨。
翌2日、鹿児島県の霧島市にある「和気神社」にお参りに
行くことにした。偶然である。この神社、実は藤の花の
名所なのである。時期的にどうかと思ったが藤の花を見に
和気神社に行ってきた。

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「和気神社」と聞いて「あれ?」と思った。ひょっとして
和気清麻呂?を祀ってあるのかなと思ったが、なぜこんな
地の果てに。和気清麻呂はあの道鏡を追放した歴史上の
重要人物である。調べてみるとまさにその和気清麻呂を
祀っている神社だった。

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和気清麻呂とはいったいどういう人物なのか。
天平5年(733年)に今の岡山県和気郡和気町に生まれる。
奈良の都に出て、武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、道鏡の皇位窺覬の事件で、宇佐八幡宮の
神託を受けて、復奏し、道鏡の野望(皇位簒奪)を阻み
国家の危機を救ったのだが、このことにより改名の上、
大隅国(鹿児島県霧島市牧園町)に流され、1年後、許されて
都に帰り、本姓本位に服した。その後、桓武天皇の信頼を
得て、長岡京の造営、摂津、河内の治水工事に当たる。
延暦13年(794年)和気清麻呂の建言により平安京の遷都、
造営大夫として、京都の建設に尽力し、京都繁栄一千年の
基礎を確立した。

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此の時期、いったい天皇家では何が起こっていたのだろう。
天智天皇が亡くなったあと、弟の大海皇子が天智天皇の息子
大友皇子を破って、天武天皇となる。天武天皇の皇后は
天智天皇の娘。天武天皇の死後、持統天皇として立つ。
以降、その子孫が代々、天皇となっていくが男系皇族が
いなくなり、最後は女性である称徳天皇が立つことになるのだが、
この道鏡事件をきっかけに、天武系皇族が途絶え、天智系皇族の
白壁王が光仁天皇として新たに立てられるが高齢のため、
すぐにその息子が桓武天皇として立ち、平安京への遷都を
果たすことになる。

皇室の菩提寺である京都の「泉涌寺せんにゅうじ・霊明殿」に、
天智天皇と光仁天皇から昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に
至る歴代天皇及び皇后の位牌が祀られています。
ところが、そこには天武系の天皇の位牌がないと言うのです。
そして、未だに天武天皇の出自の謎は解明されていません。
菩提寺から名前が消されているということは天武天皇が実は
天智天皇の弟ではなく、他の血筋と類推出来る訳ですが、
真相は闇の中です。

皇室の先行き、ちゃんと考えないといけませんね。行き詰まったら
第2の和気清麻呂さんにご登場願わねばなりません。






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初詣ー東霧島神社

.06 2019 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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いい天気だ。ほとんど寝正月で何処にも行っていない。
初詣に行くことにした。ドライブがてらちょっと遠出したい。
前から気になる神社がある。東霧島神社だ。
霧島の周囲にはたくさんの神社、パワースポットがある。
霧島神宮は有名だが、この時期行くと大渋滞に巻き込まれ
大変なことになる。霧島神宮の前の道路を通過することも
むつかしいほどだ。霧島神宮は元々島津家の日光みたいな
ところで薩摩色が濃い。宮崎県側で都城の人たちに長く
大切にされている神社がある。それが東霧島神社(つまきりしま
じんじゃ)だ。

ここからは1時間半ぐらいの距離だ。霊峰高千穂峰ー御池の
軸線上にある。

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大した人出もあるまいとたかをくくって行ってみたら広い駐車場が
結構埋まっていて、未だに初詣客で賑わっていた。駐車場脇の
公衆トイレに「ここで用をたしてお参りください」とある。こりゃ相当
歩くか登るかするのかとちょっと緊張する。
しばらく歩くと大きな杉に楠が目に飛び込んできた。これは
なかなかの神社に違いないと思わせる神域である。

古くは霧島六所権現の一つ。霧島山の大噴火によって焼失・埋没
していた神殿を、性空上人が再興したものです。

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幸運を授ける「龍王神水」
その龍が「お前らな、こんなとこに柄杓を置くな。お金を俺の鼻に
詰めるんじゃねーよ」と睨んでいる。

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階段手前の左側に楠の巨木がある。中がウロになっていて
人が歩いて通れる。根元を撮したが、その巨大さがわかるだろうか。
くぐると幸せを呼ぶ「幸招大楠」。根元の洞を右に3回、左に3回
くぐるのだそうです。(後で知りました。涙)

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鬼が一晩で積み上げたという「鬼の石階段」
注意書きが有り、「後ろを振り返らず階段を上りきってください」と
ある。近くにいた家族のお父さんが登り始めた子供たちに
「おーい、写真撮るからこっち向け」、お父さんの方を向き直った
子供たちが先の注意書きに気づいて「もう、お父さん、振り返ってしまったじゃない」
お父さんも気づいてきまり悪そうでした。
どうぞ、いい一年でありますように・・・・・・
私は一度も振り返らずに登りきりましたが・・・・・・

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でも結局登りきった後で写真撮ってしまいました。
この階段、写真ではわかりにくいかもしれませんが、ちょっと
石のスケールが違うんです。登山の岩登りのようです。

その昔この地に鬼が住み、悪事を働いては村人を困らせていました。
しかも村一番の美しい娘を嫁にしたいといいます。見かねた霧島の
神様は鬼にこう言いました。「一晩のうちに千個の石を積み上げる
ことができたら願いを叶えてやろう。しかしできないときはこの地を
立ち去れ」。怪力の鬼はみるみる石を積んだが、神の霊力により
夜が明け、999個を積み上げたところで退散せざるをえなかったと
いいます。(´・ω・)カワイソス

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ようやく頂上いや違う、神社にたどり着きました。
お年寄りには大変なところです。

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お参りして脇道からスロープを下ります。

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なかなか神秘的な場所でした。

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「神石」まるで鋭利な刀で切られたかのようです。
祭神であるイザナギの尊が、妻イザナミの尊が最後に
産み落とし命を落とす原因となった子・火雷を十握剣で
切った跡とも、イザナミ尊の死を悲しんだイザナキの尊
の涙が固まってできたものとも言われています。

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結構盛りだくさんでした。帰りにお守りを買いました。
ここの守り神は龍神なんです。お守りには
「昇運龍御守」とありました。

皆さん、どうぞ今年もいい年でありますように





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初詣

.07 2018 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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お正月過ぎの週末、初詣に行こうと・・・・
近場を考えると・・・
榎原神社か都井岬御崎神社か
たいして悩むこともなく御崎神社へ行くことにしました。

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参道を下りていくと目の前に太平洋が開けています。
しばらく下りたところで参道は左右に分かれます。
左は本殿ですが、崖崩れの危険性が高いというので
通行止めです。
右へ参道を下りていくと小川に出ます。橋を渡った先に
平らな箇所があり、そこにちいさな拝所があります。

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本殿はご覧のようにオーバーハングした崖の下に
あります。非常に危険な場所なんですね。

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ここらの海岸線は荒波に削られて崖崩れ状態の
荒々しい海岸線なんです。海岸には崩れた大きな岩が
ゴロゴロしています。

おや、下の方の岩の上に人影が・・・・・

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釣り人です。この日、非常に風が強く海も荒れていますが
よく見るとあちらこちらの岩の上に釣り人がいます。

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真下の崖下をそっと覗いてみました。
ぞっとしますね。時々高波が釣り人を
襲っています。命がけですね。
ここはよく釣り人が高波にさらわれるんです。

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見ていたら、「おっ、来た」 竿が大きくしなっています。
何か釣れたようですね。

十日恵比寿の大きな鯛を脇に抱えたえべっさん
ということでめでたいめでたい

おあとがよろしいようで
(あれ、俺何しに来たんだっけ?)




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鎌倉

.23 2015 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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結婚式を終え、娘(姉)と新橋へ出た。外は雨。駅で別れてJR横須賀線で鎌倉へ向かう。鎌倉駅で下車、鎌倉は意外に小さな町だ。周囲を小高い山々に囲まれていて町は歴史と共に封印されたそんな印象である。駅から小雨の中を少し歩くと左側に朱い鳥居が立っている。小町通りである。さらに少し歩くと大きな通りに出た。若宮大路である。海岸から真っ直ぐに北北東に向かいその先に鶴岡八幡宮がある。この町の軸線であり中心である。この通りに面した小さなホテルに宿泊した。

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翌朝、朝食をホテルで摂り、チェックアウトして駅に向かう。荷物をコインロッカーに預け、身軽な格好で、まずは若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮に向かう。若宮大路の中心部は工事中で両サイドの歩道を歩く。道幅があり歩きやすい。

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鎌倉に行ったら、ぜひ見ておきたい建物があった。坂倉順三氏設計の県立近代美術館鎌倉である。入口左側に白い建物が見えた。私は場所を全く調べずに来たのだが、こんなところにあったのだとビックリ。鶴岡八幡宮境内の入って左側の池の縁にそれは立っていた。シンプルで美しい。外装は石材とばかり思っていたがなんだか白いパネル、よくわからない。

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鶴岡八幡宮は1063年に頼朝の先祖・頼義が前九年の役に勝利した際に京都の石清水八幡宮を勧請した由比若宮(元八幡)が起源だといわれている。鶴岡八幡宮の祭神八幡宮は武神であり、源氏の氏神であると共に、その本体は応神天皇といわれており天皇家の祖先神でもある。頼朝が、そんな八幡神を京都の石清水八幡宮から勧請したのは、まさにこれこそが公武合体の象徴だったからである。1180年伊豆で挙兵した源頼朝は、鎌倉入りをするとまず由比若宮を遥拝し、平家討伐と天下統一を誓う。そしてそのわずか5日後に、材木座にあった社殿を現在の地に移したのが始まりという。八幡宮を大内裏に、若宮大路を朱雀大路になぞらえ、以後、源氏の守護神として崇拝したと伝えられている。当初は簡素な鶴岡八幡宮のみであったが、次第に山門や鐘楼、経蔵などが立ち並び、神仏混合の本格的な伽藍配置が整えられていった。しかし1868年の神仏分離令により仏教関係の建造物は取り壊され、現在の形になったという。

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下拝殿の背後、本宮へ向かう60段の大石段西側にある高さ30m、周囲7mもあるイチョウの大木ので、鎌倉で唯一の県の天然記念物に指定されている。1219年3代将軍源実朝は、八幡宮の社頭で右大臣拝賀の式を終えた後、甥の公暁に暗殺された伝説が残る。しかし残念ながら昨年の台風により倒れてしまい今は折れて残った部分だけである。実朝を暗殺する際に、公暁が隠れていたとされる大銀杏。本当に公暁はここに隠れて、叔父である実朝を殺したのだろうか。暗殺者は、不自然にも自ら「おれは公暁だ」と名乗っている。そして犯人として討ち取られた公暁の死もまた謎に満ちている。

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源頼朝の墓は意外やかなり離れた場所だった。源氏の氏神をおく鶴岡八幡宮の北東、頼朝の持仏堂であった法華堂跡から石段を上った、西御門の山懐にある。すぐ隣の山腹には大江広元の墓もある。

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帰り道は小町通りを通ることにした。この通りは観光客でいっぱいである。ある店で足を留めた。陶器や木工細工の店である。うどん用箸、片つき、箸置き、ヨーグルト用木製スプーン。ついつい買ってしまいました。

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JR鎌倉駅の裏側が江ノ島電鉄の鎌倉駅だった。長谷寺と大仏さんを見ることにして長谷駅で下車。普通の日でも観光客は多い。外国人が多いのにはびっくりである。

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長谷寺は736年開創と伝えられる古刹で年中いろんな花が楽しめる寺である。坂東三十三観音霊場の第四番札所で、人気がある。

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帰りの飛行機の時間は羽田が16時35分。帰りの時間を気にしながら行けるところまで行ってみようと江ノ島の見える七里ガ浜までいって砂浜に降りてみる。あちらこちらでサーファーがサーフィンを楽しんでいる。
ここがそうか。ふーんてなもんである。サザンオールスターの歌が聞こえてきそうである。が先を急ぐ、帰らねば。




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