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令和最初の日-和気神社

.01 2019 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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パソコンに「れいわ」と打ち込んでも「令和」は出てこない。
当たり前の話だが令和は造語である。
最初の仕事はフォントの欄からユーザー辞書を出して、
「れいわ」:「令和」と登録することであった。
これが令和最初の仕事である。

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前天皇の退位式があった翌日に新天皇の即位式を
テレビで拝見できるのはなかなか明解でよかった。
歴史的に見てもこういう状況に遭遇できるのはなかなか
ありえないことだ。そういう意味では我々は日本の歴史上
大きな転換点に遭遇している。

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本当は5月1日に行ければよかったのだが、この日は雨。
翌2日、鹿児島県の霧島市にある「和気神社」にお参りに
行くことにした。偶然である。この神社、実は藤の花の
名所なのである。時期的にどうかと思ったが藤の花を見に
和気神社に行ってきた。

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「和気神社」と聞いて「あれ?」と思った。ひょっとして
和気清麻呂?を祀ってあるのかなと思ったが、なぜこんな
地の果てに。和気清麻呂はあの道鏡を追放した歴史上の
重要人物である。調べてみるとまさにその和気清麻呂を
祀っている神社だった。

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和気清麻呂とはいったいどういう人物なのか。
天平5年(733年)に今の岡山県和気郡和気町に生まれる。
奈良の都に出て、武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、道鏡の皇位窺覬の事件で、宇佐八幡宮の
神託を受けて、復奏し、道鏡の野望(皇位簒奪)を阻み
国家の危機を救ったのだが、このことにより改名の上、
大隅国(鹿児島県霧島市牧園町)に流され、1年後、許されて
都に帰り、本姓本位に服した。その後、桓武天皇の信頼を
得て、長岡京の造営、摂津、河内の治水工事に当たる。
延暦13年(794年)和気清麻呂の建言により平安京の遷都、
造営大夫として、京都の建設に尽力し、京都繁栄一千年の
基礎を確立した。

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此の時期、いったい天皇家では何が起こっていたのだろう。
天智天皇が亡くなったあと、弟の大海皇子が天智天皇の息子
大友皇子を破って、天武天皇となる。天武天皇の皇后は
天智天皇の娘。天武天皇の死後、持統天皇として立つ。
以降、その子孫が代々、天皇となっていくが男系皇族が
いなくなり、最後は女性である称徳天皇が立つことになるのだが、
この道鏡事件をきっかけに、天武系皇族が途絶え、天智系皇族の
白壁王が光仁天皇として新たに立てられるが高齢のため、
すぐにその息子が桓武天皇として立ち、平安京への遷都を
果たすことになる。

皇室の菩提寺である京都の「泉涌寺せんにゅうじ・霊明殿」に、
天智天皇と光仁天皇から昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に
至る歴代天皇及び皇后の位牌が祀られています。
ところが、そこには天武系の天皇の位牌がないと言うのです。
そして、未だに天武天皇の出自の謎は解明されていません。
菩提寺から名前が消されているということは天武天皇が実は
天智天皇の弟ではなく、他の血筋と類推出来る訳ですが、
真相は闇の中です。

皇室の先行き、ちゃんと考えないといけませんね。行き詰まったら
第2の和気清麻呂さんにご登場願わねばなりません。






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初詣ー東霧島神社

.06 2019 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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いい天気だ。ほとんど寝正月で何処にも行っていない。
初詣に行くことにした。ドライブがてらちょっと遠出したい。
前から気になる神社がある。東霧島神社だ。
霧島の周囲にはたくさんの神社、パワースポットがある。
霧島神宮は有名だが、この時期行くと大渋滞に巻き込まれ
大変なことになる。霧島神宮の前の道路を通過することも
むつかしいほどだ。霧島神宮は元々島津家の日光みたいな
ところで薩摩色が濃い。宮崎県側で都城の人たちに長く
大切にされている神社がある。それが東霧島神社(つまきりしま
じんじゃ)だ。

ここからは1時間半ぐらいの距離だ。霊峰高千穂峰ー御池の
軸線上にある。

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大した人出もあるまいとたかをくくって行ってみたら広い駐車場が
結構埋まっていて、未だに初詣客で賑わっていた。駐車場脇の
公衆トイレに「ここで用をたしてお参りください」とある。こりゃ相当
歩くか登るかするのかとちょっと緊張する。
しばらく歩くと大きな杉に楠が目に飛び込んできた。これは
なかなかの神社に違いないと思わせる神域である。

古くは霧島六所権現の一つ。霧島山の大噴火によって焼失・埋没
していた神殿を、性空上人が再興したものです。

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幸運を授ける「龍王神水」
その龍が「お前らな、こんなとこに柄杓を置くな。お金を俺の鼻に
詰めるんじゃねーよ」と睨んでいる。

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階段手前の左側に楠の巨木がある。中がウロになっていて
人が歩いて通れる。根元を撮したが、その巨大さがわかるだろうか。
くぐると幸せを呼ぶ「幸招大楠」。根元の洞を右に3回、左に3回
くぐるのだそうです。(後で知りました。涙)

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鬼が一晩で積み上げたという「鬼の石階段」
注意書きが有り、「後ろを振り返らず階段を上りきってください」と
ある。近くにいた家族のお父さんが登り始めた子供たちに
「おーい、写真撮るからこっち向け」、お父さんの方を向き直った
子供たちが先の注意書きに気づいて「もう、お父さん、振り返ってしまったじゃない」
お父さんも気づいてきまり悪そうでした。
どうぞ、いい一年でありますように・・・・・・
私は一度も振り返らずに登りきりましたが・・・・・・

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でも結局登りきった後で写真撮ってしまいました。
この階段、写真ではわかりにくいかもしれませんが、ちょっと
石のスケールが違うんです。登山の岩登りのようです。

その昔この地に鬼が住み、悪事を働いては村人を困らせていました。
しかも村一番の美しい娘を嫁にしたいといいます。見かねた霧島の
神様は鬼にこう言いました。「一晩のうちに千個の石を積み上げる
ことができたら願いを叶えてやろう。しかしできないときはこの地を
立ち去れ」。怪力の鬼はみるみる石を積んだが、神の霊力により
夜が明け、999個を積み上げたところで退散せざるをえなかったと
いいます。(´・ω・)カワイソス

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ようやく頂上いや違う、神社にたどり着きました。
お年寄りには大変なところです。

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お参りして脇道からスロープを下ります。

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なかなか神秘的な場所でした。

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「神石」まるで鋭利な刀で切られたかのようです。
祭神であるイザナギの尊が、妻イザナミの尊が最後に
産み落とし命を落とす原因となった子・火雷を十握剣で
切った跡とも、イザナミ尊の死を悲しんだイザナキの尊
の涙が固まってできたものとも言われています。

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結構盛りだくさんでした。帰りにお守りを買いました。
ここの守り神は龍神なんです。お守りには
「昇運龍御守」とありました。

皆さん、どうぞ今年もいい年でありますように





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初詣

.07 2018 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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お正月過ぎの週末、初詣に行こうと・・・・
近場を考えると・・・
榎原神社か都井岬御崎神社か
たいして悩むこともなく御崎神社へ行くことにしました。

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参道を下りていくと目の前に太平洋が開けています。
しばらく下りたところで参道は左右に分かれます。
左は本殿ですが、崖崩れの危険性が高いというので
通行止めです。
右へ参道を下りていくと小川に出ます。橋を渡った先に
平らな箇所があり、そこにちいさな拝所があります。

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本殿はご覧のようにオーバーハングした崖の下に
あります。非常に危険な場所なんですね。

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ここらの海岸線は荒波に削られて崖崩れ状態の
荒々しい海岸線なんです。海岸には崩れた大きな岩が
ゴロゴロしています。

おや、下の方の岩の上に人影が・・・・・

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釣り人です。この日、非常に風が強く海も荒れていますが
よく見るとあちらこちらの岩の上に釣り人がいます。

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真下の崖下をそっと覗いてみました。
ぞっとしますね。時々高波が釣り人を
襲っています。命がけですね。
ここはよく釣り人が高波にさらわれるんです。

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見ていたら、「おっ、来た」 竿が大きくしなっています。
何か釣れたようですね。

十日恵比寿の大きな鯛を脇に抱えたえべっさん
ということでめでたいめでたい

おあとがよろしいようで
(あれ、俺何しに来たんだっけ?)




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鎌倉

.23 2015 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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結婚式を終え、娘(姉)と新橋へ出た。外は雨。駅で別れてJR横須賀線で鎌倉へ向かう。鎌倉駅で下車、鎌倉は意外に小さな町だ。周囲を小高い山々に囲まれていて町は歴史と共に封印されたそんな印象である。駅から小雨の中を少し歩くと左側に朱い鳥居が立っている。小町通りである。さらに少し歩くと大きな通りに出た。若宮大路である。海岸から真っ直ぐに北北東に向かいその先に鶴岡八幡宮がある。この町の軸線であり中心である。この通りに面した小さなホテルに宿泊した。

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翌朝、朝食をホテルで摂り、チェックアウトして駅に向かう。荷物をコインロッカーに預け、身軽な格好で、まずは若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮に向かう。若宮大路の中心部は工事中で両サイドの歩道を歩く。道幅があり歩きやすい。

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鎌倉に行ったら、ぜひ見ておきたい建物があった。坂倉順三氏設計の県立近代美術館鎌倉である。入口左側に白い建物が見えた。私は場所を全く調べずに来たのだが、こんなところにあったのだとビックリ。鶴岡八幡宮境内の入って左側の池の縁にそれは立っていた。シンプルで美しい。外装は石材とばかり思っていたがなんだか白いパネル、よくわからない。

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鶴岡八幡宮は1063年に頼朝の先祖・頼義が前九年の役に勝利した際に京都の石清水八幡宮を勧請した由比若宮(元八幡)が起源だといわれている。鶴岡八幡宮の祭神八幡宮は武神であり、源氏の氏神であると共に、その本体は応神天皇といわれており天皇家の祖先神でもある。頼朝が、そんな八幡神を京都の石清水八幡宮から勧請したのは、まさにこれこそが公武合体の象徴だったからである。1180年伊豆で挙兵した源頼朝は、鎌倉入りをするとまず由比若宮を遥拝し、平家討伐と天下統一を誓う。そしてそのわずか5日後に、材木座にあった社殿を現在の地に移したのが始まりという。八幡宮を大内裏に、若宮大路を朱雀大路になぞらえ、以後、源氏の守護神として崇拝したと伝えられている。当初は簡素な鶴岡八幡宮のみであったが、次第に山門や鐘楼、経蔵などが立ち並び、神仏混合の本格的な伽藍配置が整えられていった。しかし1868年の神仏分離令により仏教関係の建造物は取り壊され、現在の形になったという。

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下拝殿の背後、本宮へ向かう60段の大石段西側にある高さ30m、周囲7mもあるイチョウの大木ので、鎌倉で唯一の県の天然記念物に指定されている。1219年3代将軍源実朝は、八幡宮の社頭で右大臣拝賀の式を終えた後、甥の公暁に暗殺された伝説が残る。しかし残念ながら昨年の台風により倒れてしまい今は折れて残った部分だけである。実朝を暗殺する際に、公暁が隠れていたとされる大銀杏。本当に公暁はここに隠れて、叔父である実朝を殺したのだろうか。暗殺者は、不自然にも自ら「おれは公暁だ」と名乗っている。そして犯人として討ち取られた公暁の死もまた謎に満ちている。

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源頼朝の墓は意外やかなり離れた場所だった。源氏の氏神をおく鶴岡八幡宮の北東、頼朝の持仏堂であった法華堂跡から石段を上った、西御門の山懐にある。すぐ隣の山腹には大江広元の墓もある。

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帰り道は小町通りを通ることにした。この通りは観光客でいっぱいである。ある店で足を留めた。陶器や木工細工の店である。うどん用箸、片つき、箸置き、ヨーグルト用木製スプーン。ついつい買ってしまいました。

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JR鎌倉駅の裏側が江ノ島電鉄の鎌倉駅だった。長谷寺と大仏さんを見ることにして長谷駅で下車。普通の日でも観光客は多い。外国人が多いのにはびっくりである。

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長谷寺は736年開創と伝えられる古刹で年中いろんな花が楽しめる寺である。坂東三十三観音霊場の第四番札所で、人気がある。

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帰りの飛行機の時間は羽田が16時35分。帰りの時間を気にしながら行けるところまで行ってみようと江ノ島の見える七里ガ浜までいって砂浜に降りてみる。あちらこちらでサーファーがサーフィンを楽しんでいる。
ここがそうか。ふーんてなもんである。サザンオールスターの歌が聞こえてきそうである。が先を急ぐ、帰らねば。




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大神神社

.07 2014 寺社めぐり comment(0) trackback(0)
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明日香へ行った帰り道、寄りたいところが一つあった。大神神社(おおみわじんじゃ)である。三輪山を御神体とする日本最古の神社の一つである。祀ってある神様は大物主大神、そう出雲大社と同じ大国主命(おおくにぬしのみこと)である。

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深い森の中の参道を進むうちに厳粛な気持ちになってくる。夕方ではあるが参拝者が途切れない。

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拝殿の前の鳥居も変わっている。

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普通ならこの拝殿の奥に本殿があるのだが大神神社はこの拝殿から後ろにある三輪山自体を仰ぎ見る古神道の形態を取る。実はあとからわかったことだが拝殿の奥には三つ鳥居という奇妙な鳥居が建っておりその中央には御簾が下りていてここは神様しか通れないという。申し込めば見せてもらえるらしい。三つ鳥居という形式はこの神社だけのものではなく全国に数社あるようである。例えば大阪の坐摩神社にもあるらしいので興味のある方は。

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今年伊勢神宮が式年遷宮を迎えたが同じく60年周期の遷宮を終えた出雲大社は今でも謎の多い神社である。敗者でありながら生きながらえた神というのは例がない。生者の世界を伊勢が死者の世界(天上の世界)を出雲が収める約束であったという。無血降伏の代わりに天に届く神社が約束された。伊勢の本殿は平入で正面の柱が4本、当然中央に扉がついている。一方の出雲大社の本殿は妻入りで柱が三本。つまり真ん中に柱がある。梅原猛氏の「隠された十字架」の中で法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じるためのお寺との推察がなされているが、法隆寺の門の柱も奇数なのである。つまり門の真ん中に柱がある。どう見ても人を迎え入れるものではなく、中から出ないように封じるように見える。出雲も同じである。同じように怨霊を封じているのかもしれない。そう考えると大神神社の三つ鳥居なるものもなんだか符丁があってくる。が真相はわからない。


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