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アリー / スター誕生

.06 2019 映画 comment(0) trackback(0)
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昨年、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見たあと、2週間後に
「アリー / スター誕生」を見た。前者については既に
ブログで書いたのだがアリーの方は年末忙しくて書けなかった。
そこで今書くことにする。
何故、今か。
グラミー賞とアカデミー賞双方が発表された後だからだ。
その結果を先に記しておこう。
・グラミー賞
  ポップ部門
    最優秀ポップ・パフォーマンス賞(グループ/デュオ)
         レディー・ガガ&ブラッドリー・クーパー
         「シャロウ~『アリー/スター誕生』愛のうた」
    最優秀ポップ・パフォーマンス賞(ソロ)
         レディー・ガガ
         「Joanne (Where Do You Think You're Goin'?)」

・アカデミー賞
   主演男優賞
        受賞:ラミ・マレック(『ボヘミアン・ラプソディ』)
   編集賞
        受賞:ボヘミアン・ラプソディ
   録音賞
        受賞:ボヘミアン・ラプソディ
   音響編集賞
        受賞:ボヘミアン・ラプソディ
   歌曲賞
        受賞:“Shallow”『アリー/スター誕生』
https://www.youtube.com/watch?v=N_5wSvxTydk
        (上記ユーチューブにアカデミー賞受賞時の映像と歌が入ってます。)

この二つの映画が如何に凄かったかよくわかる。
ともに上映されたのが昨年末であるから、賞を狙っての
上映だったのだろう。だが実際、映画をプロデュースした側は
どうだっただろう。ボヘミアンラプソディは明らかに上映後に
予想以上の人気となった。作った側が慌てるぐらいの大ヒット
だった。特にリピーターが多く。普通なら上映期間を通じて
徐々に客足は遠のいていくのに反して、徐々に増えるという
奇妙な現象に見舞われて、慌てて客数を上方修正した。

ただ個人的にはまさかラミ・マレックが主演男優賞を
射止めるとは予想だにしなかった。残りの編集賞、録音賞、
音響編集賞はまあ納得のいくところだ。

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一方のアリーについては、アカデミー賞の方でもう少し
評価されていいのではないかと思った。よくできた映画だった。
ただ、グラミー賞、アカデミー賞双方でレディー・ガガが受賞
したことは本当に喜ばしいことだ。

本当のことを言えば、この映画を見るまでレディー・ガガに
ついてはほとんどの方と同様、名前は知っていて何かと
評判になった女性歌手というぐらいしか知らなかった。
よく知っている側の評価はこうである。「稀有な歌唱力、作曲力、
音楽的造詣の深さ」。そして私を含めた一般の評価は
「過激なファッション、奇想天外なステージ演出、キッチュな
ダンス・ポップ」。この才能ある女性は、あるいは一般的で
オーソドックスな手順を踏まずにいきなり世界のトップに
躍り出たのかもしれない。私がこのアリーという映画で
最初に出てきた女性を見たとき、正直驚いた。気が強くて
才能あふれる美人女優が突然現れて、観客の心を鷲掴みにして
しまう。更にアカペラで歌う歌の力強いこと。
あっと思った。彼女が飛ばしてしまった初期の手順を
我々は見せられている。そう思ってしまう。ひょっとして
この映画はボヘミアン・ラプソディのように、レディ・ガガの
実話物語なのかとそう錯覚してしまうのである。
レディ・ガガはいつも厚化粧をして表情の少ない仮面を
被って演奏をしている。一方、映画で見せられる彼女の素顔は
なんとも魅力あふれる美人である。

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ところでこの映画にはアメリカ映画のもうひとつの歴史がある。
「スター誕生」という映画はアメリカ人が持つ共通の夢物語なのである。
第1代のスター誕生が制作されたのは1937年
第2代が1954年に制作され、主演女優はジュディ・ガーランドだ。
第3代が1976年に制作され、主演女優がバーブラ・ストライサンド
そして相手役がクリス・クリストファーソンである。
この映画の主演女優に抜擢されるということはもう成功の半分が
約束されているということなのだ。それほどこの映画は完璧に作られている。

物語はこうである。歌手を夢見るウェイトレス、アリーが夜の仕事、バーで
歌っているところに世界的ミュージシャン、ジャックがたまたま立ち寄り、
その才能に驚き、自身のコンサートに招待する。いきなり、舞台に上げ
その歌唱力を観客に披露する。そこから成功の階段を登っていく。
という物語だ。映画の中で成功の実現がつまりグラミー賞の受賞なのだ。
そして、実際にこの映画が評価されて映画の中で歌われる歌が
本当のグラミー賞を受賞する。映画の中の歌も完璧に作られていることが
わかる。映画を見ているとわかるが歌がすごい説得力を持っている。
一昔前なら映画の音楽CDが爆発的に売れたのだろうなと思う。
今はユーチューブで聴けてしまう。

映画を見終わって、レディー・ガガ自身の曲を数曲聴いた。何度か聴くうちに
次第に彼女のファンになっていく自分がいる。




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ボヘミアンラプソディ

.09 2018 映画 comment(0) trackback(0)
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ロックグループ「クィーン」の音楽は当時から嫌いではなかった。
LPレコードの時代、どういうわけか代表的アルバム
「オペラ座の夜」が1枚だけある。ロックオペラなる謳い文句が
何故か僕の気を引いたのだ。そして中でもお気に入りは
SIDE2(B面)の最後から2曲目の「ボヘミアン・ラプソディ」が
最大のお気に入りで若い頃は繰り返しよく聴いた。

ある日、雑誌だったか新聞だったか忘れたが映画評論の中に
「ボヘミアン・ラプソディ」というクィーンが主人公の物語が映画に
なっているという。こういう映画は大抵三流映画だ。
そう思って読んでいるとあにはからんや大変な評判であるという。
数日後NHKがこの話題を取り上げた。
・通常の映画は一週目が最高の人出であとは入場者数が減っていくのに
 この映画は逆に週を追うごとに客足が増えていく。
・目標営業利益を上方修正した。
・クィーンを知らない若い世代の入場者数が増えている。
・リピーターの客が増えている。

ちょっと待ってくれ、俺が見終わってからそういったことは言ってくれ。
ということで12月8日宮崎までわざわざその映画を見に行った。

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映画自身は二流に近い。がしかしよくできている。
が役者はいくら似せたところであの伝説のボーカル
フレディー・マーキュリーの偽物に過ぎない。が
音楽が本物だ。おまけにその音楽に訳が入る。
これが観客を感情移入させる。こういう歌詞だったのかと
私にとっても再発見であった。

当時のLPの解説を見るとフレディーのことについては
一言も触れていない。当時、フレディは四人のメンバーの
一人に過ぎない。が人気が出るにつれ、フレディは神がかり的存在に
なっていく。今映画を見る我々はフレディーの
死の原因も彼が既に亡くなったことも知っているから、音楽にフレディーが
込めた歌詞の言葉ひとつひとつが観客の心を打つのだろう。

彼はスーパースターでもなんでもなく、悩める若者の一人に
過ぎなかったのだ。そのことが現代の若者たちを惹きつけるのだろう。

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最後は伝説のウェンブリー・スタジアムでの20分に渡るライブ・エイド
すごい臨場感で我々観客はそのコンサートにいるような感覚に襲われる。

正直言って、感動で不覚にも涙してしまいました。




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羊と鋼の森

.27 2018 映画 comment(0) trackback(0)
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宮下奈都は好きな作家の一人だ。
出会いは2007年に発表された
「スコーレNo.4」という作品。
若い女性の成長物語。
その後、「太陽のパスタ、豆のスープ」
「田舎の紳士服店のモデルの妻」などを読み、
現在、読みかけなのが「神さまたちの遊ぶ庭」
2016年「羊と鋼の森」が本屋大賞を受賞して
1年ほどたってようやく文庫本が出たので
早速買って読んだ。

その1年前、同じ音楽をテーマにした恩田陸の
「蜜蜂と遠雷」が直木賞と本屋大賞をダブル受賞
して話題をさらった。

文学が音楽を扱うことのむつかしさ。
それを二人の女性作家が全く異なる方法で
表現してくれた。恩田陸の「蜜蜂と遠雷」は
どちらかというと漫画的であるかもしれない。
ピアノのコンペティションというテーマはこれまで
映画になったこともあるし、漫画になったものは
もっとある。今話題になっている。アニメ
「ピアノの森」も同様である。

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だが今回のテーマは少し立つ位置が異なっている。
主人公は新米の調律師で、決してピアノや他の
楽器が弾けるわけではない。純粋に音のみに対して
正面から向き合い、自分の青春や人生をかけていく。

音を文字で描くには読む側の想像力がいる。
読む側の音楽に対する理解力は様々だ。それでも
本屋大賞に選ばれるというのは支持する読者が
いるということだ。読む側に音楽の力量が必要と
されているわけではないのだ。書く側の表現力。
結局これに尽きるのかもしれない。

今回、この作品が映画化されるというので楽しみにしていた。
1年前に新車を購入して、1年目の点検をしに
都城に行った。代車を出してくれた。10時に預けて
夕方5時に上がるという。これはチャンスと
高速を使って宮崎まで行ってこの映画を見た次第。

一体、このなんとも地味に展開する進行をどう描くのか
楽しみでもあった。

でもその心配は全くのはずれ、いい映画だった。
登場人物も少なく、淡々とした進行。ただ音が
澄んで綺麗だった。それに音が発するイメージを
小説は言葉で紡ぐが映画は映像で綴る。
音が映像イメージで表現されると観客はいっぺんに
画面に引き込まれる。
映画が終わったとき、2時間が経っていたが、
「えっ、そんなに時間が過ぎた?」というのが
正直な感想。

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先輩社員に調律にどういう姿勢で取り組めばいいのか
と若い主人公が聞く場面で先輩社員は
こう応える。

明るく静かに澄んで
懐かしい文体、

少しは
甘えているようでありながら、
きびしく深いものを
湛えている文体、

夢のように美しいが
現実のようにたしかな文体

と原 民喜の言葉を伝える。
これは作者自身が日頃、座右の銘としている言葉
なのだろう。

文章を書くということ、音を調律すること。
言葉と音、表現は違うがどちらも心を伝える。

映像はその間を行き来する。
あるいは映像は想像力を代弁する。
代弁しすぎる感のある最近のCGやアニメにのみ
浸りすぎるのは想像力の貧困をもたらすのではと
心配するのだが、若者はその先を見ている。

たまにはこうしたアナログな映画を見て
静かに音に身をゆだねてみるのもいい。





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黄昏時

.17 2018 映画 comment(0) trackback(0)
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最近、日南に行く機会が2度ほど有り、夕方山中の
道路を帰っていると夕陽が山陰に隠れて
水田の向こうの山の上部のみに日が差し、下部は
山陰になる風景に出会いました。
冬ですからこういう風景はなんとなく寒々としていて
寂しげです。

ふっと先日テレビで放映になったアニメ映画「君の名は」
を思い出しました。映画でも見ていたので録画しておいたものを
再度見たわけです。

映画では「たそがれ」という言葉が非常に重要なキーワードに
なっています。それがさりげなく国語の授業の中で
ゆきちゃん先生が高校生に授業するんですね。

「誰そ彼、これが黄昏時の語源ね。これが黄昏時は分かるでしょう?」
「夕方、昼でも夜でもない時間。人の輪郭がぼやけて、
彼が誰だか分からなくなる時間。人ならざるものに出あうかもしれない時間。
魔物や死者に出くわすから『逢魔が時』なんて言葉もあるけれど、もっと古くは
『かれたそ時』とか『かはたれ時』とか言ったそうです。」

私もそうですけどこの映画
最初は気を緩めて楽しい娯楽映画として見ているんですけど
彗星が出てくるあたりから突然緊張を強いられます。
「えっ、なに?どういうこと」
一体このアニメはどこへ向かって収束しようというのか
不安な気持ちになってきます。
その不安な落ち着かない気持ちと
主人公のなにか思い出せない大切なものを
探し続ける切なさみたいなものとが
一緒になって最後の場面にたどり着いて
「ああ、やっと始まる」と思った瞬間に
映画が終わります。

「優れた小説は全部書かない」といいます。
この映画もそんなところがあります。
映画を見終えてから、自分で再構築し直し
終わるところから続きを想像してしまう。

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冬の日の夕暮れどきの寂しげな光景から
「黄昏時」をふと思い出した次第。

映画の中では
『誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ』
(誰、あれは?と私に尋ねないでください。あれは九月の露に
濡れながら君を待つ私なのですから。)
と万葉集の歌がひかれています。

調べてみますと
黄昏時というのは厳密には日が落ちたあとのようです。

黄昏(たそがれ、たそかれ、コウコン)は、一日のうち日没直後、
雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯である。
黄昏時(たそがれどき)。黄昏る(たそがれる)という動詞形もある。
西の空から夕焼けの名残りの「赤さ」が失われて藍色の空が広がると、
「まがとき=禍時」という時間帯に入る。

日南に行ったとき、久しぶりにCDを数枚借りました。
その中の一枚は「夕暮れジャズ」まあ、いろんな
アーティストの曲を集めたものでしたが、あまり期待しなかったけど
聴いてみると意外にいい。それもその筈、顔ぶれが凄かった。
マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン
ビル・エバンス・・・・・・

そんなわけで
黄昏時に夕暮れジャズを聴いています。





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お彼岸

.22 2017 映画 comment(0) trackback(0)
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気まぐれというか、時々こうしてブログの手が止まる。
ああ、何書こうかな?
そうすると数日、頭が彷徨い始める。
そういえば、同じように写真の方もなんだかつまらなくなる。
うーん、天気のせいもあるのかな。
涼しくなったかと思えば、蒸し暑い日が戻ってくる。
晴れたかと思えば、長雨が続く、
庭仕事も家の中の片付けも何もかもが中途半端に
ただ時だけが過ぎていく。

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ある日、道脇に彼岸花が咲いているのを見つける。
ああ、どんな天気であれ毎年、お彼岸の頃には
必ずこうして咲き始める。
それも不思議だ。
彼岸花は突然、地面からにょきにょきと茎が伸びて
花が咲く。その花が枯れた頃に緑の葉が出てくる。
花のあった場所だから、はっきりとその葉が認識できるのだが
春を過ぎた頃、その葉は突然姿を消す。
そうして忘れた頃にこうしてまた花が出てくるのである。

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先日、久しぶりに志布志に行った際に、レンタルDVD屋さんを覗き、
DVDを借りた。
借りたのは「ローグ・ワン」と「ある戦争」
どちらも、雑誌か何かの映画評を読んだ記憶があった。

「ローグ・ワン」は大作「スター・ウォーズ」の余編とでもいうのか
本編とは別に作られた作品である。第3編だったか
帝国軍のデス・スターとの戦いを別視点で描いている作品。
まあ、こういうのが疲れなくていい。
年末には本編の次作が来るらしいが、男というのは
いくつになってもこういうのが好きで、今でも夢中で見てしまう。

「ある戦争」はアフガニスタンでのアルカイダとの戦いの
断片を鋭く切り取った作品。
現代の戦争というのがどういうものか、実にリアルに描いてみせる。
まるでリアルなドキュメンタリーを見ているようで引き込まれてしまった。
言葉が英語ではないので「あれ?」っと思ってみていたら
アメリカ兵ではなくでデンマーク兵だった。
ある地域を制圧していることを示すために、絶えず数名で地域を
巡回する。時には地雷を踏んでしまうし、地元住民が助けを
求めることもあるし、単なる通行人である場合もある。
が兵士はそのどれに対しても「敵かも知れない」という設定で
対処せねばならない。その緊張感が見ていてどきどきする。
兵士は安全に帰還すれば、通常の我々と同じように
携帯電話で家族と話しをする。その日常性が隣り合わせなのが
なんとも奇妙な感覚である。家族は家族で幼い子供たちが
父親不在のため精神的に不安定になり、妻はそうした日常に
疲れ果てている。
ある日、助けを求められた村に入るとその村人たちは殺されていた。
そこに突然、敵の攻撃がある。一方的に攻撃されて釘付けになる。
一人が撃たれ重傷を負う。敵を攻撃してもらうべく、戦闘機の
支援要請を行う。敵の位置が確認できない。後方からは
敵の所在の確認の報が入る。攻撃に身をさらされ、負傷兵を
救出すべく動き回りながら、・・・・・
やがて戦闘機が敵を爆撃・・・・・
数日後、検察官がやってきて兵士は裁判にかけられる。
攻撃した場所に民間人がいて、数名の死者が出たという。
裁判で検察側から敵の居場所の確認を鋭く責められる。
最高刑は懲役4年。後半はその裁判の様子が克明に
見せられる。
不思議な気がした。今や戦争の現場までがコンプライアンス
なのだと

奇妙な異和感の残る作品だった。

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