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本城地区おひなさま雅まつり準備

.01 2019 街づくり comment(0) trackback(0)
毎年のことではあるが、1月が終わる頃から
様々なイベントが次々にあって、それらに巻き込まれずに
過ごすことがだんだん難しくなってきた。
予定表を覗くと
・1月27日 笠祇古竹地区火道切り草刈り
・2月3日  笠祇古竹地区草原野焼き
・2月14日~17日  生涯学習成果作品展
・2月28日 毎日新聞ペンクラブ総会
・3月2日~3日  本城地区おひなさま雅まつり
こんな具合である。
この間に他にも
・ひなまつり打ち合わせ
・宮日ふるさとリポーター記事掲載
・エッセークラブエッセー作品の作成
・本城ひなまつり新聞折込チラシの作成
・ペンクラブ総会資料作成
・大人の遠足案内
などが続いていてとんでもなく忙しい。

なーに、ブログが書けない言い訳をしているだけのことである。

本城地区のひなまつり実行委員会から準備打合せをするから
来るようにと要請があった。場所は丘の上の実藤別宅
実藤さん宅は行ったことはないが春日集落の中にある。
道楽ですぐ近くにある小高い丘の上に手作りで別宅を建てられた。
外装はアクリの波板で外光が入り明るい。窓は突き上げ窓に
なっていて手動で滑車を使って巻き上げる。あちらこちらに
様々な工夫が凝らされていて楽しい。大きなワンルームの板の間に
大きなテーブルが置いてあり、ひな祭りの時はここに
ひな壇が飾られる。

今回はここで関係者が集まって、とにかく最初は真面目に
会議を行った。昨年は7軒がお雛様を飾り、訪問客を
受け入れた。実行会長の実藤さんによると今年は10周年に
当たるとか。それもあり、本城温泉で日曜日の午前中に
イベントをやるという。
私としてはどうだろうと少し疑問。お雛様を飾り付けた家々を
巡り、各家でご接待を受ける。これが本城地区のおひなさままつりの
いいところなのに、イベント会場に午前中の2時間時間を取られると
肝心の各お雛様を飾った家々を回るのがお留守になってしまう
気がする。というのもこの地区にはそもそも食堂が菊屋1軒しか
ないのだ。皆どうするだろう。昼過ぎには食堂のある串間に
行ってしまいはせぬかと心配になる。

他のイベントとして「大人の遠足」と「串間市ウォーキングクラブ」の
歩いて巡る活動が定着してきた感がある。
「大人の遠足」文字通り弁当持参で一日かけて各家々を回る。
「串間市ウォーキングクラブ」毎月第一日曜日に各地域を歩いていて
今回も昼までで終了である。元々参加者に主婦が多い。
主婦はお昼に旦那を食べさせに帰らねばならないのだそうである。
様々な考え方があっていい。

この祭りの手作り感が私は好きである。先ほどの実藤別宅や竹下宅
などはご主人の手作りの家が素晴らしく、私はいつもお雛様より
そちらを熱心に見てしまう。今江宅の古くなった旧屋を改修した中に
囲炉裏があるのもなかなかいい。
といった具合でその家のご主人の趣味に触れるのも楽しみなのである。

その数日後、チラシに載せる各家の写真を撮りに行った。
実藤さんは改修中の隣の家を見せてくれた。この場所は見晴らしがよく、
本城地区全体が見渡せる。裏にというか南側にある家の南側から
山々に囲まれた春日地区の全体が見渡せる。これもまた絶景である。
こんなとこ、喫茶店かレストランにすれば最高の場所だと思うが
田舎では来る人もない。楽しみは至って個人的である。

久しぶりに筆に任せて文章を綴る。昨日、東京へチラシの原稿をメールで
送って手配は終了した。ほっとした反面、今日はひどく疲れを感じる。
思ったよりストレスがあったようである。ずっと行けなかった床屋に
昨日の夕方行ってきて、今日は志布志の耳鼻科へ花粉症の治療と
薬をもらいに行ってきた。まだまだやらねばならぬことは多いのだが、
私のストレスの発散法はブログと料理とピアノとお酒とお風呂である。

今からお風呂が沸くまでピアノを弾き、風呂に入り、肴を作り、酒を飲んで寝る。
ああ、そう言えば明日、読書会だった。あー、寝る前に本を読まねば。




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徒然ね

.30 2019 日記 comment(0) trackback(0)
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先日このブログで「徒然なるままに・・・」などと書いたら
毎日新聞の日曜版に連載されている梨木香歩さんの
エッセー「炉辺の風おと」にその「徒然」という言葉が
出てきたので驚いた。「つれづれ」とは読まず「とぜん」
と読む。なんでも東北民話風の小説に「徒然ね」という
言葉が使われ、それが寂しいという意味だと知り驚いた
というのである。驚いた理由はその「とぜんね」という
言葉が南九州でも全く同じ意味で使われているからだ。

これを読んで私も正直驚いた。実は私の暮らす串間でも
「徒然ね」という言葉を使うからだ。全く他所では通用しない
方言だと思っていた。

梨木さんはこういう古い言葉が日本の端っこに残っている
ことが驚きだという。しかも「とぜん」という言葉に「徒然」
という漢字が当てられていてそれも驚きだという。
辞書を引いてみた。「とぜん:徒然:なすこともなく、たいくつなこと」
とある。ついでに古語辞典では「つれづれ:徒然:①することがなくて、
寂しいこと。所在無いこと。②しんみりとして寂しいこと」とあった。
古語の方が「寂しさを伴っている」

1週間が経ち、次のエッセーはと楽しみに読み始めて吃驚。
話はそれで終わらず、新たな事実として南九州ならぬ
北九州、福岡辺りでも使われていることが判明したというのである。
それは「徒然なか」という。「徒然にゃー」というのもあった。
九州はどうも南が「徒然ね」北が「徒然なか」で間が「徒然にゃー」
ではないかという。
一方、秋田の角館で調べた結果は「とじぇねー」「とぜねー」
「とぜんねな」「とぜんねーべな」となんとなく地方色が色濃く
反映されていて面白い。

何故、梨木さんはこの「徒然ね」という言葉にこだわったのか。
「寂しい」では伝わらない何かを伝えるのに、長い間生き残った
この言葉の持つ切なさの中に「寂しさにまつわる過去の先人たちの
様々な状況」が情景として浮かびやすいからではないか
そんなことを考えさせられる。

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このエッセーの小題は「冬ごもりの気持ち」である。
私も「冬ごもり」という言葉に魅せられて何か冬の寒い間に
書きたいなと思っていた矢先、この「徒然」という言葉に
振り回されてしまった。「徒然どころではなかった」ことになる。

梨木さんは最後にこう書いている。

孤独であることは、一人を満たし、豊かでもあること。
そしてその豊かさは、寂しさに裏打されていなければ。

外には暖かい日差しがさし、水仙が咲き、梅の花が咲き、
春の兆しが次々に顔を出す。九州の最南端では冬ごもりしている
暇はなさそうである。





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古竹火道切り

.28 2019 街づくり comment(0) trackback(0)
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久しぶりに笠祇古竹地区を訪れた。右折して橋を渡り
狭い道を登っていくと突然目の前に視界が広がる。
冬枯れの水田の奥に枯れ草に覆われた小高い丘が
現れる。背後には深い緑色の山々が囲むようにそびえている。
小高い丘の麓に数台の車が止まり、オレンジ色の帽子を
かぶった中山間盛り上げ隊と思しき人が数名たむろしている。
坂道を登り、杉の木立の間の狭い山道を抜けて大きなカーブを
曲がったところに数軒の家が見える。突き当たりに数台の
軽トラックが並び、既に準備を終えた男たちが焚き火に当たっている。

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世話役の浜崎さんを見つけ、挨拶をする。指示された
道脇に車を停め、皆に合流する。

古竹地区には、山裾にかつて牧草を得るために管理された草原が
今も残っている。数年前から、ここに通いだした。山裾が草原の
風景というのはありそうでなかなかない。この独特の風景に
魅せられた人は多い。ただこの集落は現在人口訳40名だとか。
この草原の管理はこの人数ではままならないのだ。3年前、この地区の
要として存在した笠祇小学校が休校になった。最後の年、記録に
残そうとここを初めて訪れた。だが年々寂れる一方だ。
毎年、生まれる人はいないのに、数名の方が亡くなられた。

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それでも世話役の浜崎さんは、集落の行事に様々な人たちに
声をかけ続け、なんとか賑わいを絶やさないように努めている。
年が明け、野焼きの声を聞くと春が近いことを知らされる。
野焼きの前に重要で大変な仕事がある。それがこの日の
作業「火道切り」だ。阿蘇の草原ではわち切りという。
野焼きの火が山々の木々に燃え移らないように、先に山の
木々との間を数メートルの幅で緩衝帯を作るのである。
水平な場所なら問題ないが、すごい斜面の連続である。
集落のお年寄りもこのとんでもない斜面を草刈り機を持って
草を刈り、女性や応援の方々は刈った草を脇へ寄せていく。
急な斜面はお尻で滑るようにして下っていく。
昨年、世話役の浜崎さんは草刈中に足を切り数ヶ月入院を
余儀なくされ、結局昨年の野焼きは中止になった。

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休憩時間、向かいの山々を眺める。管理された見事な
風景だ。この草原、今ではもう牧草地としての役目を
持っていない。野焼きをやめてしまえば数年後には
雑木林になってしまう。今は先人たちが残した風景や
生態系を守るためにこの活動が続いている。
昨年一年野焼きがなかっただけで、草原の竹が
随分伸びた。

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午前中で作業は終わった。実際には集落の人たちが
事前にやれるところはやっていて、実際の範囲は
もっと広い。

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古竹地区の公民館に集まり、集落の女性たちが
準備してくれた昼食を頂く。漬物が美味しい。
毎年、応援に来てくれる中山間盛上隊が今年
6人来てくれた。一人は事務局の女性、少し話を聞いた。
盛上隊のメンバーは数百人登録されているという。
が常時動けるのは100名位で子供からお年寄りまで
幅が広いのが特徴。メンバーはその日早起きして宮崎から
やってきたという。中に宮崎大学農学部の先生と学生がいた。
先生の話ではここは非常に珍しい貴重な草原であるらしい。
昔はきっと集落の近くにこうした草原がたくさん
存在したのだろう。昨年は「草原サミット」を開き、ここも
注目されたとか。地元の人たちにもっと注目して欲しいと
思うがこの時期、様々なイベントが重なって、声をかけても
なかなか人が集まらないのが悩みだ。

来週が野焼き、春にはこの草原にたくさんの蕨が顔を出す。
地区主催の花見や他のイベントもあり少し賑わってくる。
できるだけ顔を出したいと思う。





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勝負

.26 2019 エッセー comment(0) trackback(0)
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最近、聴いた曲でいいなと思ったのが数曲ある。
一つは米津玄師の「orion」、そしてもう一つが秦基博の
「終わりのない空」

「orion」は聴き覚えがあった。調べてみると羽海野チカ原作の
アニメ「3月のライオン」の主題歌に使われていた。これは後に
実写版の映画化もされた。幼い頃に両親を交通事故で失い
父親の友人(棋士)宅で育てられた棋士の物語だ。育てられた
家の弟妹とともに棋士を目指すのだが、その家の弟妹は二人共
挫折、その主人公だけが棋士として大成し、中学生で棋士になる。
複雑な家族環境の中で将棋の駒だけが生きる道筋を示す。

「終わりのない空」は大崎善生の小説を元に最近映画化された
「聖の青春」の主題歌である。こちらは実在した棋士村山聖の
短い生涯の物語である。幼い頃から難病と闘いながら将棋の
道を突き進んだ村山の壮絶な人生を描いている。

たまたま、好きな曲のルーツをたどったら曲はどちらもプロ棋士
の壮絶なドラマを秘めたものだった。「勝負」の世界が作曲者に
独特のインスピレーションを与えるのかもしれない。
どちらもとてもいい曲だ。

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さて、昨日で大相撲が終わった。稀勢の里の勝負で始まり
日本中がその行方を見守ったのですが、結局引退ということに
なってしまいました。この稀勢の里について、診療内科医の
海原純子さんが「期待という重荷と火事場の馬鹿力」という
エッセーの中でこんな事を書いている。

人間の筋力というのは私たちが日常生活を営む中で使う力は
ごく一部とされている。もっとたくさんの力を出せる潜在的な筋力
をもっているが、それを使う必要もなく、またそんな力を使ったら
体が壊れてしまうので使わずにたくわえられているのだ。
ところが「火事場の馬鹿力」などと言われるように、命の危険が
ある事態や緊急時には、その力が発揮できる。
さて稀勢の里だが、2017年の春場所、負傷後の2番続けての
取り組みでは火事場の力を発揮しなければ乗り切れなかった
だろう。その力を発揮させたのは周囲からの強い期待であり、
本人の「横綱」という役割に対する使命感だろう。

ここに海原さんは日本の文化的意識の存在を感じるという。
周囲の強い期待と期待された役割を果たさなければならない
使命感、更に無理をしてたとえ散ることになってもそれを
素晴らしいとたたえる文化的背景の存在である。
最後にこう語る。
「散ってしまう美学」もわかるが、長く続けるという「持続の美学」
にも目を向けて欲しい。

大相撲は最終的にこれまで白鵬に一度も勝てなかった
34歳の玉鷲が今回初めて金星を上げそのまま優勝を果たした。
皮肉にも玉鷲関は怪我も少なく一番長く土俵に上がり続けている
力士だそうだ。
こういう「辛抱」の物語もこれまた日本人的心情をくすぐのである。

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先週の土曜日、出先から夕方帰るとそのまま大相撲をみて、
玉鷲、貴景勝の勝ちを見届け、引き続き全豪オープンテニスに
見入ってしまった。結局8時半までテレビに釘付けだった。
見せ場はピンチの後の第3セット目の大坂なおみ選手
だった。表情が明らかに変わっている。無表情だが自分に
怒っているようでもある。後でコメントを聞いて驚いた。
「あらゆる感情のスイッチを切った。感情面でのエネルギーの
ロスを極力避けた。勝っても雄叫びをあげず、負けても
悔しがらない。試合は永遠に続くかと思われた。」それから
こういうことも口にしている。「今目の前にいるのは世界一の
プレーヤー、死ぬ目にあいながらもこうして決勝戦の場に
立っている。相手に対するリスペクトを失うまい」
全豪オープンの覇者になった瞬間も彼女はしゃがみこんで
しばらく沈黙した。それは神々しい瞬間だった。

こういう戦い方もあるのかと驚いた。たぶん今までの日本人
にないタイプの戦い方だ。コート上の選手は孤独である。
どんなピンチに立ってもコーチの助言は受けられない。
それを見越して、運動から精神面まであらゆる訓練を
自らに課して本番に臨む。彼女の後半の勝負に挑む態度には
相手に真摯に向き合おうとする気概が見て取れる。
それこそが勝負の基本的なルールであるのかもしれない。

少しづつ勝負に対する心構えや日常生活での日本人の心情も
変わってきているのかもしれない。それに勝負というのはなにも
スポーツの世界だけではない。我々の日常の中にも多々あって、
我々は日々いろんな場面で実は勝負しているのだが、案外
気付いていないことのほうが多い。
最近読んだ本の中に主人公が呟く言葉が心に刺さった。
「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない。
・・・・・・・・・・・・・・・
人間死んだら、それまでさ。俺たちはふたりとも、
生きている時間というものを舐めてたね」





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水辺にて

.24 2019 comment(0) trackback(0)
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言ノ葉      

いつも言葉を探していた
言葉が詩をつくるのだと
言葉が唄をつくるのだと
言葉が人をつなぐのだと

最初に人の口から出た言葉の奥には
なにがあったのか
ふと考える

想い?
感情?
感覚?
心の底に沈んでみる

心の底から見上げる青い空に
向かって飛び出して言った言葉は
どこへ行った

それは心の底の想いと寸分変わらぬ言葉に
変換し得たのか

誰かの心の底にたどり着けたのか
あるいはまだ宙をさまよっているのか

猥雑な人ごみの中で
人々は目で言葉を追い
耳に言葉を流し込む
そんなにたくさんの言葉消化しきれるのか

意味をなさない言葉が浮遊する
そんな言葉の渦の中で泳ぐように生きている

一つの言葉でいい
一日に一度口ずさむような言葉があればいい
それで充分だ

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