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9月の読書会ースコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」

.19 2021 読書 comment(0) trackback(0)
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「村上春樹 雑文集」という本は、これまで村上春樹が嘗て他の人
のために書いた本の序文やあとがき、雑誌などへの寄稿などを項
目分けして整理した本で、まさに雑文集だ。内容は多岐にわたり、
興味のある章を拾い読みするだけでも楽しい。ある日、スコット・
フィッツジェラルドについて書かれた箇所に出会った。この作家の
生涯を読んで、私はたまらなくこの人の作品を読みたくなった。
それが村上春樹翻訳の「グレート・ギャッツビー」である。

なぜ、この作家の生涯が興味を引いたのか。第一次大戦が終わり、
帰国したスコットは、プリンストン大学に復帰するも成績不良のため
中退、広告代理店に勤めながら小説家を目指してコツコツと作品を
書き続けていたが、持ち込んだ出版社はなかなか認めてはくれない。
彼には愛する女性がいる。戦争中任地で知り合った一人の美しい
女性で当時、ジョージア州とアラバマ州を合わせて比類なき美女と
呼ばれた女性で南部の名家の娘である。愛し合ってはいても彼女は
無一文の男と結婚するつもりはない。彼女がどこかの資産家の息子
と結婚するのは時間の問題に思われた。彼に残された限りなくゼロ
に近い可能性は一つしかない。彼は愛する女性を手に入れたいとい
う一途な熱い思いをエネルギーにして無我夢中で小説を書き続ける。
そして奇跡が起きる。書いた小説が次々にベストセラーとなり、彼は
一躍、文壇の寵児となり名声とお金を手にし、愛する女性を手に入れ
るのである。まるでおとぎばなしである。がこんな人の書いた小説読
んでみたくなるのは私だけだろうか。

読みたくなる理由はもう一つある。村上春樹があげるこれはという本
3冊の内の1冊がこの「グレート・ギャッツビー」でしかも、彼はこの本
の再翻訳を自分が熟練の域に達した60歳時に取り掛かる予定でい
たのを我慢しきれずに翻訳してしまったという代物なのである。

筋書きはおおよそ以下の通りです。


第一次世界大戦の欧州から復員したニックはニューヨークの証券会社に勤めることになり、ロングアイランドのウェスト・エッグに家を借りました。その家の隣にはギャツビーが所有する大邸宅が有り、毎週末、着飾った男女が集まる派手なパーティーが開かれています。パーティーでは、オーケストラが音楽を奏で、ごちそうとシャンペンやカクテルが並んでおり、高級車がニューヨークから客を乗せてやってきます。
ニックにも招待状が届き、パーティーに出かけてギャツビーと知り合います。ギャツビーは五年前、一介の兵士だったときに、任地で良家の子女だったデイジーと知り合い互いに愛し合っていました。しかし彼が戦争で欧州に行って、二人は別れたのでした。
ギャツビーは第一次世界大戦で軍功をたてましたが、なかなかフランスから帰還することはできませんでした。
一方デイジーは、ギャツビーとずっと会えないことや家庭環境もあって、やがて社交界デビュー、派手な生活に染まるようになり、金持ちの息子のトム・ビュキャナンと結婚しました。
しかし、今ではトムには情婦がいて、デイジーもそれを知っています。彼女はとても幸せには見えませんでした。
ギャツビーはようやく帰還してから、がむしゃらに働き、わずか数年でデイズィの家が正面に見える湾の反対側に大邸宅を買いました。成功した自分の姿を彼女に見せたかったのでした。
二人は再会します。ギャツビーは、今でもデイジーが自分だけを愛していると信じこんでいます。ある日、ギャツビーとニックは、ブキャナン夫婦に昼食に招かれますが、その場でトムに二人の関係に気づかれてしまいます。
一同はその後ニューヨークに出かけ、ギャツビーとトムはデイジーをめぐって口論になります。
ギャツビーは、「デイジーが愛しているのは自分であり、トムを愛したことは一度もなかった」と主張しますが、デイジーの態度ははっきりしない。
トムは、デイジーと別れないと宣言し、ギャツビーの仕事を非難中傷する。ギャツビーは裏稼業すれすれの手段で、短期間のうちに大富豪になった経緯があるのです。
ギャツビーは必死に弁明しますが、デイジーがそれに応えることはありませんでした。
その帰り道、デイジーは勘違いをして飛び出してきたトムの浮気相手のマートルを自動車でひき殺してしまいます。
ギャツビーは、デイジーの身代わりとなってマートルの夫ウィルスンに射殺され、不幸な死を遂げてしまいます。
ギャツビーの死を知ったニックは、ギャツビーに縁のあった人に連絡を取ろうとしますが、誰からも反応がない。結局、葬儀にやって来たのは彼の父親ともう一人だけでした。
一方、デイジーは事件をギャツビーのせいにしたまま、夫と旅にでます。

というわけでワクワクドキドキしながら読んだのだが、半分までは一
体この人は何を書いているのだとまるで先が見えない。ところが中盤、
それまでバラバラに積み上げられた各ディテールがあっという間にひ
とつの構築物になったところで話は突然終わる。唖然として、しばらく
内容の意味するところが理解できずにいたがしばらくすると頭は話を
最初から反芻し始める。主人公はお金持ちのギャッツビーの家の隣
に住む青年である。この主人公は謂わばこの物語の語り部である。
そうして若い頃の作者自身でもある。ところがこの隣に住むギャッツ
ビーも実は成功した後の作者自身なのだ。そうしてこの成功したは
ずのギャッツビーなる人物は作者と異なり、最終的には愛する女性
を手に入れる寸前に逃がしてしまう。おまけにとんでもない結末が
彼を襲う。華やかな人生のひとコマがある日突然消滅し、あれは夢
だったのではないだろうかと思いながら元の生活に戻る。主人公だ
けが事の真相を理解し、その虚しさゆえにその地を去っていく。とま
あこんな具合なのだが、これは実に構成の巧みな小説である。では
人の心情に訴える力はあるかといえば、これは不思議なことだが読
んだ直後は単なる構成の力技の小説だと思ったのだが、しばらく経
つうちにいろんなことが心に引っかかる。そういう内容を実は秘めて
いる。それにジャズエージと言われる大恐慌前の好景気に沸くアメ
リカ時代を背景に出てきた小説なのだが、読んでいていわゆるセピ
ア色した古めいた感じがないのである。作者の巧さが光る作品で
ある。


「グレート・ギャッツビー」は「華麗なるギャッツビー」という題で二度映画化されている。一度目がロバート・レッドフォード主演で二度目がレオナルド・デカプリオ主演で割に近い間隔で映画化されている。アメリカが好景気に沸いた古き良き時代の物語として今でもアメリカ人におお受けするのであろうか。こちらは今まで興味がなく映画は素通りであったが、たまたま一ヶ月ほど前テレビでロバート・レッドフォード主演の方が放映された。見たいと思っていたところだったので録画しておいたのを先日見た。

スコット・フィッツ・ジェラルドの短編集「バビロンに帰る」を読んだ。中には5つの短編がおさまっている。
・ジェリービーン
・カットグラスの鉢
・結婚パーティー
・バビロンに帰る
・新緑
正直、玉石混合といった感じ、作品はどれも後期、パリ時代の作品である。短編の背景には2019年の大恐慌によってアメリカからパリへやってきたお金持ちたちが経済破綻に追い込まれ、次々に一流ホテルからアメリカへ引き上げていくさまが描かれる。祭りの後といった感じである。こういった背景の中で、派手好きの妻ゼルダは発狂、スコット・フィッツジェラルドは酒浸りで早世する。主な年代を記すと
1914年(17歳) 第一次世界大戦勃発
1917年(20歳) アメリカ参戦
1918年(21歳) 第一次世界大戦終結
1919年(22歳) パリ講和会議 
1920年(23歳) 文壇デビュー
1924年(27歳) パリへ
1925年(28歳) 「グレート・ギャツビー」上梓(ただし生前中は売れない)
1929年(32歳) 大恐慌
1940年(44歳) 死去

ヘミングウェイは云った。「グレート・ギャツビーのような素晴らしい作品をかける作家が、どうして真剣に執筆に向かわず、このような酒浸りの軽薄な生活を送らなくてはならないのか、その理由が私にはよくわからなかった。しかしある日ゼルダに会って、それですべてがすんなりと理解できた」さらにこうも言っている。「スコットが救われる道は二つしかない。ゼルダが死ぬか、あるいは彼が胃を壊して酒が一切飲めなくなるか、そのどちらかだ」
天使と悪魔の両性を持つ妻、その妻を限りなく愛し、その行状からヒントを得て書かれた不朽の名作「グレート・ギャツビー」、皮肉にも生前は評価されず、スコットがあこがれ続けたヘミングウェイが時代と共に精彩を失っていくのに比べ、スコットの評価はその死後、高まり、今も古びることなくアメリカ文学に燦然と輝いている。

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読書会の後で、スコット・フィッツジェラルドとこの作品「グレート・
ギャツビー」について考えていたら、何かが分かった気がした。
それを最後に語ろう。

文学者というのは、ある意味、青春時代にかなえることのできなか
った幻を一生かけて追い求めるところがある。三島由紀夫や太宰治、
川端康成しかりである。トーマス・マンの「トニオ・クレ―ゲル」の中で
は、青春時代に恋焦がれた女性、敬愛した友人、双方に強いあこが
れを抱きながら、自身は目立たない存在のまま大きくなる。著名な
作家として名を成した後、旅先で青春時代にあこがれた二人が仲睦
まじくしているところを垣間見る。過去を振り返りながら、それでも自
分の人生を肯定する言葉が秀逸だ。
スコット・フィッツジェラルドは成功するのが早すぎたのである。文学
者としてのスコットを思うのであれば、彼の若き日の成功があと数年
のちであったなら、彼は憧れの女性ゼルダと結ばれることもなく、一
生ゼルダに憧れながら、小説を書き、あるいはトーマス・マンのように
大文豪になったかもしれない。そして、スコットはそのことに誰よりも
早く気付いていたはずだ。だからこそもう一つの人生として「グレート
・ギャツビー」を書き残したのだ。まさにギャツビーは成功が遅すぎて
デイジーを人生の伴侶として得ることが出来なかった。届かないその
あこがれ続ける気持ちが生きるエネルギーとなっているのである。
南フランスでこの「グレート・ギャツビー」を執筆中ゼルダは作中の
デイジーのようにフランス海軍の飛行士と浮気をしているのである。
スコットはトムのような気持ちで小説を書いていたのではなかったか。
スコットの悲劇は人生のスタートの小説家としての早い成功と最愛の
女性ゼルダと幸運にも結ばれたことに尽きる。彼はひょっとしたら逆の
立場に立つもう一人のギャツビーに思いをはせ、ロングセラーの傑作
「グレート・ギャツビー」を残したのではと思う。以降、この二人、
スコットとゼルダは滅亡への道をひたすら突き進むのである。




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台風前後

.17 2021 日記 comment(0) trackback(0)
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 毎朝、スマホをポケットに朝の散歩に出る。定点観測の撮影を
行っているわけではないが、毎日なにがしかの景色をスマホに
撮る。晴れた日も曇った日も雨の日も、それぞれ味わいがある。
特に台風の前後は雲の動きも激しく、過ぎ去ればそれはそれで
えもいわれぬ程に空気が澄んでいて、スマホはその差をきっちり
捉えてくれる。


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 夏草を刈ったタイミングが良かったようで、刈られた草の間から
きっちり彼岸花が顔を出した。


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 東の方に雲が沸き上がり、上空に強い風が吹いているらしく、雲が
渦巻いている様子がとてもきれいだ。私一人が興奮したようにスマホ
で空や雲を追う。
 だって、ほら、あの渦巻く雲の中に「天空の城ラピュタ」があるかも
しれないじゃないかってね。
 不思議なことに西側半分の空はないでいて、穏やかに青い空が
広がっている。この極端な差が面白い。


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 雨が降ってきた。南海上でいやいやしながらぐずっていた台風が
やっと動き出した。九州北部を通過する見込みとか。
最近は少々の雨でも傘をもって散歩に出る。


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 台風が通過した翌日は、なんといえばいいのだろう。空気が明らかに
違っている。多分、空気中のちりやごみをすべて雨や風が浄化してくれ
たのだと思わざるを得ないほどに空気が澄んでいる。そうすると光が
ちりやごみに邪魔されないから、全てのものが実に鮮明に見える。
写真がそのことを何より顕著に物語る。

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 この世の事物すべてが台風により洗濯されたようにさっぱりとして
いる。それをこうして眺めやる私自身もそう、洗われたようにさっぱり
している。


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 彼岸花が日々成長している。彼岸の中日はもうすぐだ。

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季節のうつろい

.15 2021 comment(0) trackback(0)
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 何もかにもが偶然に過ぎない
 その日は真夏が帰ってきたかのように
 晴れ渡っていた
 ただ漂う空気の中に確かにかすかな秋が
 紛れ込んでいた


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 釣りにするか
 写真にするか
 そんなどうでもよい迷いが
 出発の時間を遅らせた


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 日が傾きかけていた
 心地よい一日のはずだったのに
 もうその一日は終わろうとしている


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 その日に情けがあったのか
 私の目を楽しませるに足る光を
 残しておいてくれた


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 蜩(ひぐらし)のなく森閑とした山中に
 わずかな西日が届く
 木立の隙間を縫って静かな水面の奥を
 まるで舞台の緞帳であるかのように
 豪華で贅沢な様々な緑の刺繍


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 水は静謐に流れを感じさせず
 その穏やかな水面に背後の緑を
 映し返す
 水底の砂地と水面の緑の反射が
 虚実ないまぜに具象か抽象か
 分からぬ絵画の世界を作り出す


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 夏の終わりは単なる感傷か
 日々移ろうてゆく時間の断続の中で
 私だけがとらえた時間の奇跡
 そこに夏の終わりの言葉を
 封じ込めるに過ぎないのだ 
 

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 流れゆく時間
 移ろう季節
 切れ目なく続く世界に
 私はこうしてくさびを打つ

 
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 それは自分というものが単なる存在ではなく
 生きるという言葉に支えられている証左の
 ようなものかもしれない


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 こうして季節に身をさらし
 物言わぬものの声を聴き
 目の前の風景を読む


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 時にはこうして、自身の魂を
 洗ってみる

 
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 無に息を吹き込むように
 生きるしかあるまい

 




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日々のこと

.13 2021 日記 comment(0) trackback(0)
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 8月末にあちこちで彼岸花が顔を出した。時期的には3週間ほど
早い。天候不順で時機を間違えたらしい。後続はなく、一時的な
現象だったようだ。そういえば昨年、市営墓地周辺の夏草刈りが
遅くて、彼岸の中日直前に刈ったものだから、地面から顔を出した
彼岸花の茎がことごとく刈られてしまった。今年はどうかと注意して
見ていると、わずかに草刈りが早かったようで、刈られた草の間か
ら、そこここらと彼岸花の茎が伸びてきた。


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 散歩から帰ると庭先に白い彼岸花が顔をのぞかせた。来週は
もうお彼岸である。

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 今年の夏はことのほか雨が多い。梅雨の終わりも遅かったのだが、
それ以降も南九州は雨が続いた。本州で最高気温を日々更新して
いるような日々も雨だった。その雨が上がると晴天がしばらく続いた。
でも大半は雨のイメージである。


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夏野菜の畑は長雨でメンテする暇もなく収穫もままならず、ほったら
かしの状態である。久しぶりに覗いてみると、夏草ではなく青紫蘇
が一面ほこって、まるで青紫蘇畑になっている。白い花が咲き始め
心地よい紫蘇の香りがして、これはこれで種が落ちるに任せるか。
来年も自然に生えてくることだろう。


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 いつもの年ならば、梅雨が終った7月に土用干しにする梅が、真夏
の晴れ間を盗んで、二瓶分干してみた。塩漬けにして、赤紫蘇は入れ
ないでおいたものを3日ほど干した。その後、瓶に戻し、赤紫蘇を入れ
た。昨年のもまだ少し残っている。毎日1個は食べようかなと思っては
いてもついつい忘れてしまう。

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 毎年、この時期ピアノの調律に宮崎から調律師を呼んでいる。1昨年
から調律師を変えた。調律師によってこんなに音が変わるのかと驚いた。
特に低音の響きが格段に良くなった。まあ、そうはいっても私の腕前は
知れているのだが。
 こういう新型コロナ感染症のために自粛生活を強いられていると楽器
などの趣味は身を助けることは間違いない。


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 調律師がやって来る前に玄関前を少しきれいにしておこうと草を
刈ったり、生い茂るミョウガの葉を切ったりしていて、ふと足元を見る
とミョウガが顔を出している。春先のものは花をつけていたが、今の
はそっけなく新芽自体が少し濃い色をしている。よく観察してみれば
地下茎があちこちと張り巡らされている。来年はもっと芽を出すかな。





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8月の読書会ー夏物語(川上未映子)

.11 2021 読書 comment(0) trackback(0)
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 以前、川上未映子の「夏物語」を皆に紹介したのを覚えていてくれた
ようで、読書会で取り上げようということになった。8月はいつもテーマ
を夏に関したテーマを取り上げてきた。最近は戦争をテーマにすること
が多かったが、まあ、夏物語で夏のテーマということでいいじゃないか
となった。


 毎日出版文化賞受賞、本屋大賞ノミネートとちょっと気になる本だった。確か読んだのは昨年の春辺りではなかったかと思う。
いざ読み始めると「なんだこれは?」543ページあるうちの176ページがとにかく前段にしては圧倒されるようなおねーさんのおしゃべり、しかも関西弁だ。正直言ってもうどうでもいい話が延々と続く。内容は東京で作家を目指す女主人公のもとへ2泊3日で10歳年上の姉とその娘が訪ねてくる3日間の話である。何かが起こるわけでもないが、話の中に、姉妹の子供時代や過去の境遇が盛り込まれ、ついついこれは作者自身が自分のことを告白しているかと思うがやはり小説だよなと首をかしげながらそのリアリティの渦に飲み込まれていく。
ところが読み終わってびっくり仰天してしまった。この第1部と題した176ページは作者川上未映子が2008年芥川賞を受賞した受賞作「乳と卵」を大幅に加筆したものだという。
つまりそれとは知らずに作者が芥川賞を受賞した作品を読まされていたわけだ。こんなことありかと思っていたら、作者はこの「乳と卵」の登場人物たちの10年後をどうしても書きたくてこの「夏物語」を書いたというのである。
 何が彼女にこの小説を書くきっかけを与えたのだろう。埼玉に住む娘のところに2人目が生まれた直後手伝いに2週間ほど行ったのだが、川上未映子の話をしたら、「出産前だったからこんな本読んだよ」と渡されたのが、川上未映子の「きみは赤ちゃん」だった。きっと彼女にこの小説を書かせたものは、ある日突然お腹に宿り、この世に出現した赤ちゃんの存在だった。
 だったらきっとハッピーな小説だろうと思われるかもしれないが、決してそうではない。伏線として描かれる男性は誰一人まともではない。おまけにこの小説の主人公夏子は、38歳とかなり妊娠が難しくなる年頃の設定だ。夏子は小説家の卵、最近初めて短編集を出版し、わずかながら生活にゆとりも出てきた。だけど一人になると心の奥底でささやく声がする。「これでいいんか 人生は・・・・・いいけど、わたしは会わんでええんか  わたしはほんまに  わたしは会わんでええんか後悔せんのか  誰ともちがうわたしの子どもに  おまえは会わんで  いっていいんか  会わんで  このまま」そういう心の声に反して、夏子には現在彼氏はいないし、若いころ付き合っていた恋人とはセックスに違和感と苦痛しか感じず、別れた過去がある。それでも女として生まれ、子供を生み出す能力を与えられているのに、もうすぐそれが無駄になってしまう。いろいろ調べていくうちにパートナーなしで、第3者からの精子提供による人工授精(AID)出産を渇望するようになる。
 色々調べていく中で、子供のできない夫婦の不妊治療やその果てに選択せざるを得なかったAIDの弊害も知ることになる。ここでは生まれてくる子供側の視点が示される。これらの集会で出会った逢沢という男性はAIDで生まれたことを大人になって突然知らされる。
これまで実の父親と思ってきた人の種ではなく、誰か分からない自分の父親を絶えず求めるようになり、「自分は何者か」という問いをいつも自分に突き付けて生きている。この逢沢の存在が、夏子に子供を作る行動を躊躇させる。父親のわからない子供は作るべきでないと。さて、夏子はどういう選択をするのか、それはここでは触れないでおきます。

 最近、性的少数者LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)が市民権を持つようになった。彼らも子供を作りたいとき、こういう問題に必ず突き当たる。この小説を読んでいると近い将来、旦那さんとかお父さんとかいった存在はもう必要とされなくなるのではという危惧を覚える。女性が経済力を持って自活していくようになると「子供は欲しいけれど、旦那はいらない」だから精子だけもらえばあとは自分で適正な時期を選んで注入するからというわけだ。そういう意味でこの小説は未来を暗示しているともいえるし、これまで社会通念としての道徳や家族といった骨組みが解体されたとき
案外、動物に近い行動に回帰していくのかもしれない。熊はいつも母子一緒だ。父親は春に雌を求めて、自分の子孫を残す行動をとった後は知らん顔で去っていく。

 先日、テレビで島本理生原作、三島有紀子監督「Red」という映画の紹介を見た。島本理生は17歳でデビュー、高校生で芥川賞の候補になった俊才だが2018年「ファーストラブ」で直木賞を受賞している。この「Red」のテーマは「良妻賢母の女性イメージに対する違和感」である。歴代の芥川賞、直木賞受賞者のリストを眺めていて思うのだが、女性作家が実に多くなった。男たちが築いてきた小説のテーマが大きく揺さぶられ、女にしかわからない世界を堂々と世に問うようになってきたのだと思う。社会通念や家族の意味、男女の社会的役割は昭和、平成、令和と時代が進むにつれ、様々な価値観が微妙にずれてきている。私自身歳を取ってそこらのことはかなり鈍感になっている。

 読書会は結構、様々な意見が出て面白かった。ただ女性側からは
夏子のようにこういう具合に子供を突然切望することってあるんだろう
かとの疑問が投げかけられた。最高齢の三浦さんは、農業高校で
先生をされていた方で、牛の人工授精についてとうとうと語られたが
人工授精をして優生種を普通に残し続ける牛の世界に詳しいこともあ
り、今回の小説をいたく気に入ってもらえたのだが、なかなか問題提
起の小説であった。





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